「なーんか……おまえの話を聞いてると、名家のお嬢様方より おまえの方が一般常識の備わった善良な市民に思えてくるから不思議だよなー」
「沙織さんの行くパーティや会合で出会う女なら、さぞかし趣味も洗練され、人間的にも優れた人間ばかりなんだろうと思ったのが間違いだった。どいつも こいつも、我儘で見栄っ張り、でなければ精神的に自立できていない馬鹿ばかり。聖闘士になる前、ただのガキだった頃の俺たちの方が ずっと大人だったぞ」
憤懣やるかたなしといったていで、氷河が自身の浅慮に舌打ちをする。
『仏の顔も三度』、氷河は 仏の倍も無法に耐えたのだ。
氷河の忍耐は立派なことだと、星矢は思った。
しかし、それでも星矢は、氷河の憤りに同調同感する気にはなれなかったのである。

「けどさー。おまえに、そんなこと偉そうに言う権利があんのかよ? そりゃ、最初は向こうが おまえのツラにイカれてアプローチしてきたんだとしてもさ、おまえもOKって言って相手に会いに行ったんだぜ? けど、おまえには 相手を楽しませてやろうなんて気持ちは これっぽっちもないんだろ?」
それが、氷河に同調も同情もできない星矢の理由だった。
氷河にも責任の一端がある――というのが。
残念ながら、氷河は、星矢と同じ考えを持ってはいないようだったが。
彼には彼の行動を正当化する(極めて一方的な)事情があったらしい。

「なぜ俺が 向こうを楽しませてやらなければならないんだ。俺はただ、完璧な恋のできる相手を求めているだけだぞ」
「へ」
氷河の口から思いがけない言葉が飛び出てくる。
それが あまりに思いがけない言葉だったので、星矢は軽く1分以上、氷河の発言に反応を示すことができなかった。
1分と少しの間を置いてから、素朴かつ率直に、
「完璧な恋って何だよ」
と、氷河に尋ねてみる。
氷河からの答えは、
「したことがないのにわかるか」
という、実に無責任なものだった。
それでも――“わからない”なりに、氷河が 補足説明(推測)を披露してくる。

「これは俺の想像にすぎないが――人間的に優れていて、俺の癇に障らず、もちろん美人、この人こそ俺の運命の相手と信じられる人に出会い、情熱的な恋に落ち、結ばれ、幸福な状態が永続する。ハッピーエンドのロミオとジュリエット、祝福されて結ばれるトリスタンとイゾルデ、不治の病にかからないマルグリットとアルマン――そんなところじゃないのか」
マルグリットとアルマンが どこの誰なのかは知らないが、ロミオとジュリエットは 星矢も知っていた。
だが、もしかしたら、星矢は、マルグリットとアルマンだけでなく、ロミオもジュリエットもトリスタンもイゾルデも知らない方がよかったかもしれない。
へたにロミオもジュリエットを知っていたせいで、星矢は、氷河の言う“完璧な恋”を彼なりに理解し、思い切り呆れることになってしまったのだから。

「おまえ、どこの女子中学生だよ。変な夢、見てるなー。何が完璧な恋だよ。おい、瞬。おまえも 黙ってないで、この馬鹿に何か言ってやれよ」
「え」
仲間に急に水を向けられた瞬が、弾かれたように顔を上げる。
繰り返される氷河の失敗デートを 瞬がどう思っているのかを、そういえば星矢はこれまで一度も確かめたことがなかった。
デートの報告の場には、大抵 瞬も同席しているのだが、それに対して瞬が何らかのコメントを発表したことは、これまでに ただの一度もなかったのだ。
いつも ごく うっすらと微笑んでいるだけで。
今日も瞬は、テーブルの上のアイスティーのストローに手を添え、微笑んでいるのか無表情でいるのかの判別が難しい、まるで別世界を見詰めているような様子で 仲間たちの傍らにいた。
とはいえ、瞬は、仲間たちのやりとりを聞いていなかったわけではなかったらしい。

「いいじゃない。『恋なんて くだらない』なんて言って 斜に構えてるより、素敵な恋に巡り会いたいって夢見ている方が」
それは、否定的なことを滅多に口にしない瞬らしいコメントと言えた。
だが、仲間の“非常識”を否定してやるのが、常識を持った仲間の務め。
氷河の仲間が その務めを怠れば、氷河は自分の常識を世界の常識と思い込み、とんでもない過ちを犯すことになりかねない。
それが、氷河の仲間としての星矢の懸念だった。
そして、氷河の常識を正す役目は 他の誰よりも瞬が適役だろう――というのが。
が、瞬がそういう考えでいるのであれば無理強いもできない。
とりあえず星矢は その役目を自分で務めてみることにした。

「けどさ。肝心の氷河当人が我儘で自分勝手で、完璧な恋どころか、そもそも恋自体ができそうにないような男なんだぞ。この顔にイカれて、氷河の傍若無人を1週間 耐えられる女はいるかもしれないけど、氷河に一生 付き合える女なんかいるわけない。『恋なんて くだらない』って言って 斜に構えてた方が、世のため人のためになる男だろ、氷河は」
「そんなことないよ。氷河は一途で情熱的だもの。素敵な人に出会えば、きっと素敵な恋ができるよ」
「それは絶対にない」
瞬による氷河の“完璧な恋”の擁護を、星矢は言下に否定した。
決して悪意からではなく、むしろ 世のため人のために公正かつ冷静に判断して。
「はばかりながら、この俺様だって、仲間だっていうんでなかったら、こんな我儘で傍迷惑な男とは さっさと友だち やめてるぜ」
「でも、仲間ではいるんだね」
「そりゃ……仕方ねーだろ。仲間なんだから」
「うん」

星矢のぼやきに、瞬が微笑む。
それ以上、仲間の恋に くちばしを挟みたくなかったのか、瞬は そこで180度 話題を変えてきた。
「ところで星矢。そのペットボトル、半分くらいは融けてるみたいだけど、星矢のスピードで振り回してたら、成分分離して飲める状態じゃなくなるよ」
「へ」
言われて、ウエイト・トレーニングを中断した星矢が ペットボトルの中を確かめると、確かに瞬の言う通り。
聖闘士の力と速さで振り回され続けていたペットボトルの中のスポーツドリンクは、その遠心力によって、見事に 水と他の沈殿物への分離を果たしてしまっていた。

「な……何だよ! これ、どういうことだよ!」
「どういうことって……ごく自然な成り行きだと思うけど」
室内に素頓狂な声を響かせた星矢に、瞬が軽い苦笑で答える。
「代わりの飲み物を持ってくるよ」
これまでの努力が水泡に帰してしまった星矢のために、瞬は掛けていたソファから立ち上がろうとした。
氷河が、そんな瞬を視線で押し留める。
「ああ、俺が持ってきてやろう。自分の分を持ってくるついでだ」
「お、少しは 世のため人のために働こうって気になったか。なら、冷やしてないストックがあるはずだから、それを適度に冷やして持ってきてくれよ。おまえの小宇宙って、そんな使い道しかないんだから」

「星矢。貴様は、沙織さんが話を持ってくる女共より 我儘で横柄だぞ」
“それでも仲間でいる”のは、氷河も星矢と同様らしい。
おそらく 意識して“仲間だから仕方がない”という態度を装い、氷河はラウンジを出ていった。






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