「守衛室にひそんで、東第一校舎に入っていく あの子を見た時、ぴんときたんだ。これは絶対に氷河の好みのタイプだと。となれば当然、氷河は女子学生になど目もくれず、あの子にかかりきりになるだろうから、私の学長就任は絶望的だと思ったんだが……。まさか、他の学生たちが皆、糞真面目に合コンの開催目的を探り話し合うばかりで、少しも砕けた方向に話が向かないとは思ってもいなかったぞ。あげく、個人情報保護の観点から、個人の連絡先を安易に他人に渡すわけにはいかないときた。慎重で用心深いのも結構だが、硬すぎるのもどうかと思うぞ、紫龍」

「カミュ……」
満面の笑顔のカミュに そう言われ――カミュにまで そう言われ――紫龍は思わず 全身の力が抜けてしまったのである。
紫龍は、つい10分前にも、彼の恩師である農学部長 老師に 同じことを言われたばかりだった。
『詰まらん。おまえは人間が固くて詰まらん。詰まらん、詰まらん、ああ、詰まらん。これまで目を掛け指導してやった恩を仇で返しおって』と、『詰まらん』を5回も。
いったいそれはどういうことなのかと問うた紫龍に、老師は 心底詰まらなそうな顔をして、『カミュに聞け』とだけ答えてきた。
そうして、人間科学部の学部長室に足を運んだ紫龍は、先日の合コンが何のために開催されたものだったのかを、氷河の恩師に知らされることになったのである。
不機嫌そうだった老師に比して、カミュは上機嫌の極みだった。
それはそうだろう。
並居る先輩諸氏を差し置いて、彼は、聖域学園大学の学長という地位を手に入れたのだから。
否、その地位は、彼の手の中に自然に(?)転がり込んできたのだ。

「だが、まあ、今回のことは、私の研究の裏づけにもなったな。氷河は、マザコン、視野狭窄、無愛想、はなはだしい差別意識に面食い等々、社会的に好ましいとは言えない性向性癖を多く持った不肖の弟子だ。いや、氷河に限らず、人間というものは、誰もが一つ二つは 社会的に有益とは思えない要素を抱えている生き物だ。しかし、それらは決して淘汰されるべきものではない。それは単なる個性であって、負の要素ではない。マイナス要素としか思えなかった個性が、いつどんなふうにプラスに働くか わからない。今回の氷河のようにな。それが どれほど非社会的なものであれ、人間の個性を否定せず、その多様性を重視することは人間科学の基本、それこそが人間科学における最重要思想というのが、私の持論なんだ」
「はあ……」

腹の底から楽しそうに そう告げるカミュの姿が、心の底から嬉しそうに瞬へのメールを打っていた氷河の姿に重なる。
いかんともし難い疲労感に打ちのめされ、紫龍は、滔々とうとうと持論を述べ立てるカミュに、思い切り気の抜けた生返事を返すことしかできなかったのである。
「何にしても、持つべきものは出来の悪い教え子だ」
聖域学園大学 次期学長は、そう言って笑った。

どんな人間にも、生きて存在する意義と価値がある――と、彼は言っている。
いかにも人間科学の分野で名を馳せた学者らしい高説に、紫龍は、『この師匠にして、あの弟子あり』という言葉を(胸中で)呟くことになったのだった。






Fin.






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