その翌日の午後のことだった。
ノートパソコンを手にした瞬が、仲間たちのいるラウンジにやってきて、持参のパソコンを おもむろにセンターテーブルの上で立ち上げ、
「氷河。あのね。明日の午後、町内会のミーティングがあるんだ。僕、ちょっと行ってきてもいいかな」
と、氷河に外出許可を求めたのは。
平生なら気にも留めないのだが、なにしろ昨日 瞬の自由と自立についての話し合いの場(?)を持ったばかりだったので、星矢はつい 氷河と瞬のやりとりに気を取られ、手にしていたゲーム機のコントローラーから意識と手を離してしまったのである。
途端に 時間と操作性が勝負の落ち物パズルゲームはゲームオーバーになり、星矢はコントローラーとゲーム継続の意思を さっさと脇に放り投げた。

瞬が 自分の外出許可を氷河に求める――。
瞬自身は それをおかしなことだと思っていないのかと疑いつつ、星矢は瞬の方に向き直った。
そうしてから、試しに、
「なにが町内会のミーティングだよ。んなことで、カッコつけてどーすんだ。寄り合いだろ、寄り合い」
と、軽口のジャブを入れてみる。
「アテナの聖闘士が、町内会の寄り合いとは」
紫龍にまで苦笑されて、瞬は僅かに意地を張ったような顔になった。

「星矢たちはそう言うけど、町内会の活動って、とっても有意義なんだよ。やってることは、つまり地域ボランティアだし。子供たちのためのお祭りとか、道路や公園の清掃とか、みんなのためになるし、喜んでもらえるし」
それは星矢も知っていたし、紫龍も決して それを悪いことだとは思っていないだろう。
瞬の仲間たちはただ、“アテナの聖闘士”と“町内会の寄り合い”というミスマッチをユニークだと思っているだけだった。
瞬は、そもそも その組み合わせをミスマッチだとは思っていないようだったが。

「それでね、今度、区内の町内会の連合で、もっと大きな活動をしようってことになって、各町内会で そのプランを提出し合うことになったんだ。その話し合いへの参加要請がきたの。僕が 町内会の活動に関わるようになったのは この春からで、町内会の連合があるなんて知らなかったんだけど、去年は 高齢者ばっかりの過疎の村とかに行って雪かきのボランテイアをして、村の人たちに すごく喜んでもらえたんだって」
町内会連合の活動と その成果を語る瞬の表情は生き生きと輝き、その瞳は 星のように きらめいていた。

もともと 瞬は、人生の目標目的に『不幸な子供のいない世界を作りたい』『平和のために尽くしたい』を掲げ、そのために努めることに喜びを感じる人間である。
地上の平和を脅かす敵が現われた時には、アテナの聖闘士として戦うことで、その目的に向かって邁進することができるが、アテナの聖闘士が 平時にできることは せいぜい身体の鍛錬くらいのもの。
他には、せいぜい星の子学園に赴いて 子供たちの遊び相手をする程度。
瞬は、そういう現状に少なからず物足りなさを覚えていたのだろう。
そんな時、たまたま星の子学園にやってきていた町内会長に出会い、スカウトされて、瞬は町内会の活動に携わることになった。
アテナの聖闘士の戦いとは異なり、誰を傷付けることもなく、多くの人の幸福や平和に寄与できることが嬉しくてならなかったらしく、それ以降、瞬はすっかり町内会活動に のめり込んでしまったのである。

「雪かきボランティアが悪いとは言わねーけど、それって既に町内の活動じゃないじゃん」
瞬の言う“町内会の活動”に、氷河の言う“瞬の自由と自立”並みの矛盾を感じて、星矢が その点に言及する。
瞬は真面目な顔をして頷いた。
「それは そうなんだけど、最近、あちこちの町内会が連合を作って、以前より広範囲大規模な活動をしようっていう流れが生まれてるんだよ。町内会って、今は どこも人材不足なんだって。特に都市部は、たまたま そこの賃貸マンションやアパートに引っ越してきただけっていう人が多くて、そこに住んでるって意識が希薄でしょう。町内会の活動に参加どころか、町内会があることも知らない人が多くて、どこの町内会も活動内容縮小の方向に進んでるんだって。でも、この辺りは高級住宅街で、比較的“住んでる”人が多いから、町内会の活動が活発な方なんだ。それで、次代の町内会を担う若手の企画力育成のためにも、今回の企画での提案プランは 若手だけで考えてみたらどうかって、町内会長さんが言ってくれて――」

瞬が夢中になるまで、実は星矢も町内会なるものの活動内容どころか、その存在すら知らない人間の一人だった。
他の地域に比べて 比較的“住んでいる”人間が多い この辺りでも、そういう人間の方がほとんどだろう。
あるいは、存在は知っていても、その活動に携わることは面倒だと考える者の方が 住民の大多数を占めているに違いない。
瞬が町内会の活動に入れ込むことが悪いことだとは思わないが、星矢は少々 心配でもあったのである。
人は誰もが 瞬のように 福祉活動に意義を感じ、奉仕の精神を抱いているわけではない。
そういう活動に無関心・非協力的な大多数の人間のせいで、瞬が失望することになったりはしないかと。

「そりゃ、結構なことだけど、今時 町内会の仕事なんてのを意欲的にしようと思うワカモノなんて、おまえくらいのもんなんじゃないのか」
瞬の心を案じつつ、星矢は さりげなく探りを入れた。
星矢の心配は 杞憂にすぎなかったらしく、瞬は 仲間たちに明るい笑顔を向けてきた。
「そうでもないんだよ。さっき、町内会長さんの ご指名を受けた人たちから 町内会連絡用の僕のアドレスにメールが来たんだ。せっかくの機会だから、ワカモノたちだけで いいプランを考えようって。この春、大学を出てNPO法人に就職した人たちらしいんだけど、すごく真面目に町内会や 地域活動に取り組もうとしてて、僕、びっくりしちゃった」

言いながら、瞬が持参のパソコンをプロジェクターに繋ぐ。
瞬は どうやら町内会長の指名を受けた若者たちの 人となりを知ってもらうために、わざわざ仲間たちの(特に、氷河の)許にパソコンを持ってきたものらしい。
瞬がプロジェクターを使って ラウンジのスクリーンに映し出したのは、城戸邸のあるC区I町の町内会のサイトだった。
「この町内会のサイトにね、町内会長さんが指名した人たち――鈴木さんと田中さんっていうんだけど、その人たちの自己紹介が掲載されてるんだ」

“鈴木さん”と“田中さん”の自己紹介文は、結構な長文だった。
一つは、学生時代に 旅行先で一人暮らしの老人の話し相手をし、ただそれだけのことだったのに、思いがけず深く感謝されて、そういった活動が大事で有意義だということに気付いた――というもの。
もう一つは、やはり学生時代に、こちらは障害者施設の子供たちを某テーマパークに引率していった際、そういう場所に行くのが初めてだった子供たちが見せてくれた笑顔が忘れられない――という趣旨のもの。
その紹介文を読むと、“鈴木さん”と“田中さん”は、自分が 人のために何かができることに喜びを感じる人間――つまり、瞬と同タイプの人間のようだった。






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