「聖闘士になって日本に帰ってきた時、氷河の奴、ガキの頃にも増して 無愛想になってたじゃん。妙に すかしててさ。俺でさえ気安く近付く気になれなかったのに、おまえ、よく近付けたよなー。泣き虫で、いつも一輝の陰に逃げ込んでたおまえが、とことこ氷河の側に寄ってって、『こんにちは』って言った時には、せっかく助かった命を、おまえは ここで捨てる気なのかって思ったんだぜ、俺」
「へえ。星矢でも恐いものってあったんだ」
「そりゃあ、あるさ。俺は、機嫌悪い時の氷河と、機嫌悪い時の魔鈴さんと、機嫌いい時の沙織さんには近付かないようにしてる」
「機嫌がいい時の沙織さん――って、星矢……」
「いや、星矢の危険回避能力は確かだ。沙織さんは、機嫌がいい時の方が何を言いだすか わからなくて危険だ」
「そんな……紫龍まで――」

瞬が仲間たちと そんな軽口を叩き合えるようになったのは、青銅聖闘士たちが日本での再会を果たしてから かなりの時間が経ってからだった。
再会直後から息つく間もなく 次から次へと敵が現われ、アテナの聖闘士たちは ゆっくりと旧交を温めるどころではなかったのだ。
もっとも、その戦いの中でこそ、アテナの聖闘士たちの友情と信頼は育まれ、深さを増し、やがて、どんな力をもってしても 断ち切り難いものになっていったのだが。

そして 瞬は、現実の世界で、嫌になるほど 現実の氷河を知った。
思い込みが激しく直情径行、猪突猛進、走り出したら止まることを知らず、鹿を追い始めたら 山を見ることをしない氷河。
クールを標榜しながら 全くクールではなく、むしろ真逆の激情家。
内罰的傾向を体現しているようだった、あの灰色の世界での彼は 本当に氷河自身だったのかと疑いたくなるほど 自信過剰の気味があり、喜怒哀楽のはっきりした腕白坊主。
どちらが嘘だということではなく、どちらも氷河なのだと思えること、どちらの氷河にも好意を持てる自分が、瞬は少々 不思議ですらあった。

「好みのタイプだったんだ」
「氷河が? おまえ、面食いだったのよ」
「そんなことないよ。僕は 弱くても死なない人が好きなんだ」
何の気なしに瞬が口にした“理想のタイプ”を聞いた星矢が ぎょっとした顔になり、それから なぜかラウンジのドアに駆け寄る。
思い切ったようにドアを開け、廊下に人影がないことを確認すると、星矢は 彼が掛けていたソファの元の場所に戻ってきた。
どうやら それは、聞かれると まずいことを、聞かれると まずい人に聞かれていないことを確かめるための行動だったらしい。
元の場所に戻ると、星矢は、どこまでも用心深く 低く抑えた声で、瞬に忠告してきた。

「おまえ、んなこと、氷河の前で言うなよ。あいつ、自分のこと、かなり強いと思ってるぞ」
「そうかなあ……」
「思ってる、思ってる。そんで、特に おまえの前ではかっこつけたがってる」
「うん」
ここは、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間の観察眼の鋭さに感服すべきなのか、あるいは 星矢にも見透かされるほど、氷河が わかりやすすぎるのか。
判断と対応に迷った瞬は、とりあえず この場は苦笑でごまかすことにした。

あの灰色の世界は、今は もうない。
氷河も瞬も あの世界に行くことはできなくなってしまった。
今になって 改めて、あの世界は何だったのだろう――と、瞬は思うのである。
氷河自身は、あの世界を、“自分が傷付き苦しむための世界”“自分を罰するために作られた世界”だと言っていた。
あれは、自分の命をもってしても償えない罪を犯してしまった人間が作った世界だったのだろうか。
そして、氷河のあの世界に 自分が行くことになったのは、なぜだったのか。
自分が“瞬”を呼んだからだと、氷河は思っているようだったが、だとしたら自分は彼の救いとして求められたのか、罪を責め裁く者として呼ばれたのか。
今になってみると、単に氷河が“瞬”に会いたいと思っただけ――という気がしないでもない。

完全に消えたと思っていた氷河の灰色の世界が、一度だけ甦ったことがある。
天秤宮で、氷河はまた あの世界を作った。
瞬はそこに行って、氷河を現実世界に連れ戻した。
その世界に留まりたがる氷河に、『この世界は作ってはいけない世界なのだ』と諭し、『僕と一緒に生きよう』『僕の理想は死なない人だ』と訴えて。

「あんなふうな世界を作って、現実世界に戻れなくなってしまった人もいるのかもしれないね……」
時折 ふと、瞬が氷河に そんなことを言うのは、氷河が もう二度と あの灰色の世界を作ることはないという確信を持てるようになったからなのかもしれない。
「そういう奴等には、経験者の立場から、現実世界の方が断然いいと教えてやりたいな」
自分が辿り着いた結論に自信満々の(てい)で、氷河は そう答えてくる。
そうして、そう答えてくれる氷河に、瞬は心を安んじるのだ。

「いいの? 現実世界の方が?」
「当たりまえだ。まあ、あの世界ででも、おまえに ずっと側にいてほしいと、俺はいつも思っていたんだが――思ってはいたんだが……。しかし、肉体が伴っていないせいか、あの世界では、俺の中に おまえと寝たいという気持ちは生まれてこなかったんだ。ただの一度も。あの世界に執着することは、自分が幸福になる機会を自分から放棄しているようなものだ。そんな輩は大馬鹿者だ」
「氷河っ」
そんなことを いけしゃあしゃあと言ってのけるのが、現実世界での氷河。
そして、そんな氷河を、
「俺は、おまえがいるところに 必ず戻ってくる」
と言われたくらいのことで すぐに許してしまうのが、現実世界の瞬だった。






Fin.






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