「お、ご苦労さん。おっかえりー」 「エリーゼの正体はわかったのか」 現代に戻った氷河と瞬を出迎えたのは、命をかけた戦いを共に戦ってきた彼等の仲間たちだった。 時間の流れの ある一点から過去に飛び、そこで数時間を過ごし、同じ一点に戻ってくる。 当然、現代にいる人間たちは、彼等が過去に飛んでいたことに気付くことはない。 星矢と紫龍が 瞬と氷河の帰還に気付いたのは、彼等がアテナの聖闘士だったから、彼等が氷河と瞬の仲間だったから――だったろう。 「で、エリーゼはどっちだったんだ? テレーゼかエリザベートか」 当然のごとく発せられた質問に、だが、瞬は答えることができなかったのである。 世界中の人間に愛奏され愛聴されている曲の楽想は、僕たち二人にあった――とは、たとえ事実でも、瞬は口にすることができなかった。 恥ずかしくて。 照れくさくて。 その謎の答えを知る者を、“僕たち二人”だけにしておきたくて。 「僕、沙織さんに、“エリーゼのために”、リクエストしてこよ」 だから瞬は、謎の答えを“二人”以外の人に知らせないために、その場から駆けだした。 「へえ。瞬の奴、復活したみたいじゃん。よかったな。あいつ、昨日は 自分は情熱的じゃないとか何とか、訳のわかんねーことで落ち込んでたんだぜ」 エリーゼの正体は テレーゼか エリザベートか。 実は そんなことには全く興味のなかった星矢は、肝心のことを告げずに 仲間の前から立ち去っていった瞬に 気を悪くした様子も見せず、その場に残された“二人”の片割れに告げた。 星矢同様、テレーゼにもエリザベートにも興味のなかった氷河が、僅かに唇の端を歪め 顎を引くようにして首肯する。 「そうだったらしいな。おかしな話だ。瞬が情熱的でなかったら、この世界に 情熱的な人間は一人もいなくなるだろうに。瞬は自分を知らなすぎるようだ」 「へ? でも、瞬はどっちかっていうと平和主義者じゃん。人様との間に波風立てるのも嫌いだし。おまえと違って」 星矢も、“情熱的”の意味を“嵐を呼ぶこと”と思い違いをしているらしい。 正真正銘の“嵐を呼ぶ男”は、しかし、仲間の認識違いを指摘してやる親切心を 持ち合わせてはいなかった。 代わりに、自分の思うところを独り言のように口にする。 「そうだな。自分がベッドでどれほど情熱的か、俺が毎晩 どれほど瞬に喜ばせてもらっているか、瞬が気付いていないことに気付かずにいた俺が迂闊だった」 氷河は、基本的に、“俺たち二人”のことしか考えていないから、二人の世界の外に嵐を生んでも平気でいられる男だった。 自省、自己改善といった高次な作業は、まず二人の世界で行なう。 二人の世界の外で、そういう行為を為すことは滅多にない。 そして、だからこそ 彼は、二人の世界の外にいる人間に呆れられ、(あまり)理解もされないのだ。 「即物的というか、何というか……。おまえほど 芸術から遠いところにいる男はいないぞ」 「楽聖ベートーヴェンが、俺たちの恋は芸術的だと 太鼓判を押してくれたが」 紫龍の決めつけに、自信満々で氷河が反論する。 あまりに堂々とした その態度に、星矢は遠慮会釈なく顔をしかめた。 「なーにが芸術的だよ。芸術が泣くぜ。芸術ってのはさー……」 言いかけた言葉を、星矢が途切らせたのは、芸術がいかなるものであるかを、彼が知らなかったからではなかった。 知っていたと言い切ることはできないが、そうではなかった。 そうではなく――。 芸術とは いかなるものであるか。 そんなことを論争するのは不毛だと教え諭すものが、ふいに その場に舞い下りてきたのだ。 ラウンジにいる仲間たちに聞こえるように、瞬が音楽室の窓を開けたらしい。 昨日とは打って変わって優しい“エリーゼのために”の輝くような旋律が、アテナの聖闘士たちの耳に滑り込んできた。 Fin.
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