「瞬の目的は、俺の機嫌取りじゃなく、暗殺でも 俺を腑抜けにすることでもなく、間諜行為でもなく、あの大獅子奪還だったんだな」 甘いことを考える男になる決意をした氷河が、その決意後 最初にしたことは、瞬の同郷のただの友人を捕まえることだった。 捕まえると言っても、兵士たちに命じてひっ捕らえさせたわけではなく、猫舎を出た星矢と紫龍に『話がある』と言って、王の執務室に来るよう 丁重に要請しただけだったが。 なぜ一国の王が(実質、二国の王が)夜の夜中に たった一人で こそこそと猫舎の周囲をうろついているのか わからないまま、王の要請を拒否できる立場でもなかった星矢と紫龍は、彼の要請を受け入れたのである。 その王の最初の発言が、政治向きのことではなく瞬とゴールディのことだったので、星矢と紫龍も 薄々 王の事情を察することになったのである。 瞬は なにしろ、世にも稀なる美少女ならぬ美少年で、性格は素直、心根は清らか。 しかし、どこか何かが “普通”や“常識”から ずれている、恋人としては 実に扱いの難しい人間なのだ。 「おまえたちの村には、船を送ってやる。瞬は俺の許に残していけ」 「てことは、ほんとに瞬は上手に おねだりできてたのかよ?」 「おねだり? とんでもない。瞬は、俺と寝てくれと何度 頼んでも、俺を拒み通している」 「だろうなー……」 瞬はヒュペルボレイオスの王を好きなのだろう。 そして、ヒュペルボレイオスの王も瞬を気に入っているのだろう。 それでも、二人の仲は順調に進展しない。 当然である。 瞬はこれまで常に、村のこと、村の住人たちのこと、ゴールディのことばかりを考え 案じて生きてきた。 自分のことなど、考えたことがなかったのだ。 「ま、俺たちは、船さえもらえれば、ゴールディがいなくても漁ができるし、戦がなくなれば 安心して畑仕事ができるようになるから、それで特に文句もないけどさー」 「うむ。貴殿の目的が、この国を戦のない平和な国にすることだというのなら、いっそ、これまで散々 俺たちを苦しめてきた自分勝手な領主たちを、貴殿に従えるための手伝いをしたいくらいだ」 瞬の ただの友人たちは、あの瞬の友人にしては、話が通じる男たちのようだった。 物分かりがよく、世情にも通じていそうである。 氷河は、すみやかに 彼等をヒュペルボレイオス王の仕事の協力者にすることを決定した。 「それは有難い。貴様等には、本日 たった今から 復興担当部門の次官待遇を与える。で、早速 その仕事に取りかかってくれ。俺と寝るよう、瞬を説得してほしい」 「おい。それが 戦のない平和な国の実現だの、この国の復興だのに、どう関係あるんだよ!」 この国の平和と復興のために尽力するための機会を与えてもらえるのなら、それは喜ばしいことである。 それが、たとえ 使い走り待遇で 使い走り程度の仕事だったとしても、星矢たちに不満はなかった。 もともと“瞬のただの友人たち”は一介の孤児、貧しい村の住人にすぎないのだから。 しかし、その最初の仕事が 異国の侵略王の夜の下半身問題の解決とは。 一介の無力な孤児という 自らの身の程を知っている星矢にも、それは到底 納得できる仕事ではなかったのである。 だが、ヒュペルボレイオス王には その仕事の意義深さを疑っている様子は毫もなかった。 「大ありだ。俺のやる気が違ってくる」 「そんなことで?」 「そんなこととは何だ! 毎日、瞬のあの可愛い姿を見せられて、指1本 触れさせてもらえない俺の苦しみが、貴様等にわかるかっ!」 「いや……だからさー……。あんた、一応、この国の侵略者ってことになってんだぞ。侵略者らしく、力づくで 瞬を押し倒せばいいだけのことじゃん」 「それで、俺が瞬に嫌われるようなことになったら、貴様、その責任をとれるのか!」 「いや、それは無理だけどさあ……」 それは無理なことなので 無責任に煽ることはできないが、侵略者権力者とは こういうものなのだろうか。 強力なヒュペルボレイオス軍の指揮統帥権を持つ大国ヒュペルボレイオスの王。 僅か数ヶ月で、200以上の小国が乱立し混乱を極めていた この国を平らげてしまった有能な侵略者。 そんな男が、これほど卑屈卑俗な男でいいのか。 それが、星矢の本音だった。 もっとも、まもなく彼は、『そんな男でいいのだ』と思い直すことになったのであるが。 こうでなければ、権力者は民の心を理解することができず、当然 人心を掌握することもできず、国を一つにまとめることもできないだろう。 どうやら紫龍も、多少の躊躇はあったにしても、星矢と同じ結論に至ったらしい。 紫龍は神妙な顔をして、氷河の やる気を養うための助言を、大国の王にして この国の侵略者でもある氷河に垂れてやったのだった。 「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ。ゴールディの機嫌を取ることだ。ゴールディは、大抵ニシンやサバを食っているが、いちばんの好物はマグロなんだ。村に船が一艘だけあった頃、一度だけ食ったことがあって、それ以来、マグロはゴールディの憧れの魚なんだ」 「マグロ……マグロね。俺が上手くゴールディの機嫌を取れれば、瞬は俺と寝てくれるようになるのか」 「瞬は、おまえに多大な好意を抱くことになるだろう」 “貴殿”が、あっというまに“おまえ”に進化。 紫龍が自らの助言に、『寝てくれるかどうかは わからないが』の一言を付け加えなかったのは、氷河のやる気を殺がないための賢明な判断だったろう。 紫龍の助言を容れた氷河は、早速 遠洋に出られる漁船にマグロ捕獲の指示を出し、ゴールディは週に一度はマグロを食することができるようになった。 逃亡の心配も感じなくなったので、ゴールディには 瞬の監督付きでなら、猫舎を出る許可も与えた。 憧れのマグロを食して張り切ったゴールディは、最近は 運動不足の解消も兼ねて、荒れ果てた都の周囲を走り回って 都市再建のための地ならし作業にいそしんでいる。 氷河は、氷河としては破格の譲歩をして ゴールディの機嫌をとったのだが、ゴールディは一向に氷河に懐こうとはしなかった。 もっとも、それだけの厚遇を与えてやったというのに ゴールディが自分に懐いてくれないことに落胆している氷河を哀れんで(?)、瞬が毎夜 氷河を慰めてくれるようになったので、それは 氷河的には 結果オーライ。“災い転じて福と為す”と言っていい状況だったかもしれない。 瞬を手に入れて張り切った氷河は これまで以上に 彼の職務に邁進し、さほどの時を置かずして、100年の長きに渡って乱れ切っていた国を 戦のない平和な国に変えるという難業を無事 成し遂げた。 おそらく、真の平和というものは、ただ 愛(と切実な欲望)によってのみ 築かれるものなのである。 真の平和を望む者は、その第一原則を忘れることがあってはならない。 その第一原則を忘れなかった者だけが、真の平和を その手にすることができるのだ。 多分、きっと。 Fin.
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