出不精が治ったわけではない。と思う。 俺は もともと必要に迫られれば行動する男だったんだ。 あれを“必要”と言っていいのかどうかは判断に迷うところだが、小学生の時の家出も、あとさき考えず即時決行したからな。 しかも、今の俺は、恋という、切羽詰った“必要”に迫られている――むしろ、追い立てられている。 瞬さんに会いたい。 瞬さんを見ていたい。 その願いが叶わなければ、苦しくて、切なくて、仕事も手につかない――という“必要”。 俺が生きているために必要だから、俺は翌日またグラード財団総帥の私邸に出掛けていったんだ。 門は、 「昨日、こちらに伺った際、忘れ物をしてしまったので」 で、通してもらった。 門から正面玄関までの徒歩5分の道のりを、昨日とは違う理由で 心臓を ばくばくさせ 歩く俺の足取りは、昨日のそれより はるかに軽くて、そして急いでいたと思う。 その俺の足と心臓が止まったのは、屋敷の玄関に到着する前。 徒歩5分の道のりのちょうど半ばに差し掛かった辺りの場所でのことだった。 城戸邸の庭は、平面幾何学を取り入れたフランス風ではなく、小型の世界を創造しようとする日本風でもなく、自然の風景をそのまま現わそうとする英国式に近いもので、樹木がかなり多い。 その木々の間に 何か光るものがあって、俺は真っすぐに目的地に向けていた視線を、脇に逸らしたんだ。 何か光るもの――と思ったのは、あの冷たくて傲慢な金髪男の髪で――庭の木々の間に、奴が立っていた。 もっとも、奴は、俺がそこにいることになんて気付いてもいなかったろうが。 気付くはずがない。 奴の胸の中には瞬さんがいて、瞬さんの細い腕は 奴の首と髪に絡みついていて――二人は世界中のどんなものも意識の内に入っていないみたいに、熱烈なキスを交わし合っていたんだから。 それから俺が どうやって城戸邸の正面玄関まで辿り着いたのか、俺は憶えていない。 ただ、門の方に引き返すわけにはいかなかったから(忘れ物を取りにきたはずの男が そんなことをしたら警備員に怪しまれるだろう)、玄関に向かって歩き続けるしかなかったんだ、俺は。 その日、城戸邸の客間で俺を出迎えたのは、瞬さんと あの金髪男ではなく、髪の毛が あちこちに撥ねた、色々 大雑把そうな男と、つい正気を疑ってしまいそうになるほどの長髪を蓄えた男だった。 「昨日 氷河と瞬を訪ねてきた客ってのは、あんたか」 この屋敷にいる人間は皆、年齢不詳だ。 この大雑把男も、見た目は10代だが、案外20代に突入しているのかもしれない。 ともかく、それが 存在自体が嫌味な あの金髪男でなかったから、俺は訊くことができたんだ。 「瞬さんと、あの氷河とかいう奴は恋人同士なんですか」 と。 『こんにちは』も『はじめまして』も言わず、出し抜けに そんなことを尋ねてくる客に、大雑把男は驚き、そして呆れたようだった。 「まあ、そんなもんだけど……。氷河の奴、また周囲に人がいないことを確かめもせずに、ツツシミのないことやってたのか」 どうやら金髪男のツツシミのない行動は日常茶飯のことらしい。 大雑把男は とんでもないものを見せられてしまった俺に対して、にわかに同情的になった――ように見えた。 「あの二人は、今 呼びに行かせたから、もうすぐ ここに来ると思うけど――」 「瞬さんは宇宙人じゃないんですか! あの二人は宇宙人じゃないのかっ!」 「へっ」 「瞬さんは、花の咲かない真冬に花を咲かせ、あの金髪野郎は 凍らないはずの川を凍らせた。瞬さんには 信じられないほどの跳躍力があって、俺は、あの日、瞬さんが誰かと戦い、その誰かを倒したことも知っている。どうして瞬さんは、12年もの時間が経ったのに、あんなに若くて綺麗なままなんだ!」 「それは、あの二人が恋し合っているからだろう」 正気の沙汰とも思えない長髪を持った男が、興奮して取り乱している俺を なだめるように落ち着いた声で答えてくる。 こいつだって地球人なのかどうか怪しいもんだ。 20代にしか見えないが、本当は10代のガキなのかもしれない。 きっと そうだ。 でなかったら、『恋し合っているから、あの二人は若く美しいままでいる』なんて非科学的なセリフが自然に出てくるはずがない。 だいいち、そんなことが認められるか――許せるか。 瞬さんは、俺が12年間 思い続けた人だぞ。 俺が12年もの間 忘れられなかった人だ。 人生の半分以上の時間を、俺は瞬さんを思い、瞬さんの影響下で生きてきたんだ。 それを、あの全世界の男の敵が、無意味で無益なものにするというのか? そんなこと――そんなことが許されていいはずがないだろう! 俺は、瞬さんが宇宙人でもいいんだ。 俺が地球人だから、瞬さんの恋の相手に なり得ないのか? そんな理不尽なことがあるか。 瞬さんは、地球人なんかより ずっと綺麗で澄んだ目をしていて、馬鹿なガキだった俺に優しくしてくれた。 優しい心を持っているんだ。 俺は、瞬さんが宇宙人だって 一向に構わない。 「瞬さんは宇宙人だ! 俺は ごまかされないぞ。アンドロメダが、瞬さんの本当の名前だ。瞬さんは 真冬に花を咲かせ、空を飛び、敵の宇宙人と戦って、そいつを倒したんだ!」 「おい……あんた、落ち着けよ。瞬が宇宙人? 正気で言ってんのか? 自分が なに言ってんのか、わかってんのか? ――あ、瞬、ちょうどいいところに!」 いつのまに来ていたのか、瞬さんが客間のドアの前に立ち、びっくりしたような目で俺を見詰めていた。 「いや。これは、ちょうどいいというより、最悪のタイミングなのではないか」 瞬さんの登場に ほっとして顔の引きつりを消した大雑把男。 逆に渋い顔になった長髪男。 俺は、そんな二人なんかどうでもよかった。 俺は、瞬さんの側にいたいんだ。 瞬さんを見ていられるなら、それだけでいい。 「誰にも言わない。瞬さんが宇宙人だってことは、誰にも言いません。俺はずっと瞬さんを好きだったんだ。ずっと瞬さんを忘れられなかった。宇宙人と地球人だって、友だちにも恋人にもなれるはずだ。誰にも言わない。本にするのも諦める。だから、俺と付き合ってくれ――いや、付き合ってください!」 違う。 俺は瞬さんを脅迫したくなんかないんだ。 そんな卑劣なことはしたくない。 俺は ただ、12年間ずっと思い続けてきた瞬さんを、その時間と その気持ちを否定されたくないだけなんだ。 「違う。俺は脅迫するつもりなんかじゃ……」 我ながら、本当に支離滅裂。 これなら、出不精の引きこもりでいた方が ずっと 世のため人のためになる。 瞬さんを脅すなんて、そんなつもりはないんだ。 違うんだ。 ああ、くそっ。 どうして こうなるんだ。 これじゃ、瞬さんに、俺を嫌ってくれと言っているようなもんじゃないか。 俺は瞬さんの目を見るのが恐くて、あの澄んだ瞳に 俺がどう映っているのかを確かめるのが恐くて、瞬さんの目に軽蔑や嫌悪の色が浮かぶ様を見るのが恐くて、瞬さんを脅迫しておきながら、臆病者のように顔を伏せていた。 長い沈黙のあと、瞬さんが静かな声で、 「僕は宇宙人なんかではありません」 と言う。 少なくとも その声に軽蔑や嫌悪の響きはなかった。 俺は勇気を出して 顔を上げ、 「だったら、俺と――」 瞬さんに 俺の願いを叶えてくれと訴えた――訴えようとした。 俺が その願いを言い終える前に、瞬さんが更に言葉を重ねる。 「僕は氷河が好きなんです。12年より ずっと長い時間、僕たちは一緒にいた」 「じゃあ、俺の――」 じゃあ、俺の気持ちはどうなるんだ !? 俺の12年間はどうなる? 俺が遅れてきた男だってことは わかる。 瞬さんが 嫌味な金髪男を好きだっていうなら、それは俺には どうしようもないことだ。 だが――。 瞬さんに好きだと言ってもらえたんだから大袈裟に喜んでみせればいいのに、その方がずっと俺も気が楽なのに、哀れむように俺の取り乱しようを見おろしている金髪男への憤りを、俺はどうすればいいんだ ! 「タナカさん……」 この思いをどうすればいいのか。 いや、どうすればいいも何も、諦めるしかないんだ。 それは わかっているんだ、俺にだって。 ただ、どうしても そうできないだけで。 どうしても、そうできない。 進むもならず、退くもならず――俺は まさに進退両難状態にあった。 俺自身に どうすることもできないんだから、他の誰にだって どうにもできない。 にっちも さっちもいかず、抜き差しもならない。 そんな膠着状態を打破してくれたのは、巷で宇宙人と噂の グラード財団総帥 城戸沙織 その人だった。 |