王に資料室での仕事を命じられることになるまで、このイスの都の城に資料室なる部屋があることを、瞬は知らなかった。 そもそも イスの都は 神に守られた神聖な国。 その歴史は“文字”などという汚れたもので記録されてはならないものなのだ。 瞬は そう聞いていたし、そうであることを疑ったこともなかった。 だが、そうではなかったらしい。 本来なら許されないこと――建前上は許されないとされていること――が為されている。 とはいっても、“イスの民が、許されないことをすること”を神が許すはずはないのだから、それは神も許していることなのだろう。 瞬より1年早く資料室の担当になっていた者たちは(それは僅か3人の青年だけだったが)、自らに与えられた職務を特別に尊いものと考えているようだった。 「この資料室の資料を見ることを許されたということは、王に特別に見込まれたということだと思う。ここには、本来なら王にしか知り得ないイスの都の歴史や、神が王に下した命令が、代々の王の直筆で残っているんだ。ここにある資料の本当の管理責任者は、王ではなく神なのかもしれない」 「これまで君は陛下の お側で仕えていたんだろう? 陛下は、君に何かを知ってほしくて、資料室の管理を命じられたのかもしれない」 「ただの小間使いから資料室勤務なんて、普通じゃ考えられない大抜擢だ。少なくとも、ここは、資料に記された秘密を守れる者にしか立ち入りが許されない場所だから」 彼等は、王から遠ざけられてしまった瞬を慰めようとして そんな言葉を瞬にかけてくれたのではなく、本心から そう信じているようだった。 王がもし、彼等の言う通り、瞬に何事かを知ってほしくて、瞬に ここでの仕事を任せたというのなら、その期待に応えなければならない。 瞬は、王と共にいられなくなった寂しさに挫けそうになる自分を鼓舞して、資料室にある山のような資料を読み漁ったのである。 資料室に積まれた資料は、そのほとんどが、羊皮紙に 断片的に綴られた 歴代の王の日記のようなものだった。 各時代を通しての年号がない それらの資料は、羊皮紙の古さで おおよその時代を察することしかできなかったが、おかげで瞬は、このイスの都が驚くほど多くの王を戴いてきた国だという事実を知ることになった。 これまでは知るよしもなかった、多くの――500人以上の王の名、それらの王が水門の鍵を授かったこと、鍵につけられた名前、そして、その水門の鍵の使用を神に命じられた日のこと。 羊皮紙に記されている事柄は、基本的に その3種類に大別できた。 『新たな王の即位と、王の名』 『王が 水門の鍵を授けられた事実と、鍵に与えられた名』 『水門の鍵の使用を命じる神の神託』 この3種類。 ただ、肝心のこと――水門の鍵を使うことによって、王とイスの都がどうなったのかが記されていない。 水門の鍵の使用を命じられた記録の次の記録は、そのほとんどが新しい王の名になっていた。 ごく稀に――50人に1人の割合で、第二の鍵を与えられた王がいたが、その王も二度目の水門の鍵の使用後は 次の王にとって変わられていた。 いったい これはどういうことなのか。 500人以上の王。 イスの都は、いったい いつから この地上世界に存在しているのか。 500人の王が それぞれ30年の治世を持ったとして、15000年。 イスの都は そんなにも長い歴史を持っているのか。 過去の王たちは どこに消えてしまったのか。 王は、これらの資料から何を読み解いてほしくて、瞬を王の側から遠ざけたのか――。 その理由がわからないことが、瞬を焦らせた。 もしかしたら ここにある資料の内容に大した意味はなく、重要なのは その数の方なのではないかと、瞬が考えるようになったのは、瞬が王の許から遠ざけられてから50日近くが過ぎた頃。 瞬は、かさばる羊皮紙の資料のほとんどを読破し、それらの新旧を吟味し、イスの都に すべての時代を通して年番が付与される紀年法が存在しないことの不便を痛感するようになっていた。 王は 自分が王になった時、この資料室の資料の膨大さに驚き、自分の前に500人以上の王が存在したことに驚き、彼等がどこに消えてしまったことを訝って、自身の未来を不安に思ったのではないだろうか。 瞬が調べた限りでは、この資料室にある最新の資料は 現在の王の即位に関するもので、王が水門の鍵を授かった記録はない。 王は、もしかしたら未だに水門の鍵を授かっておらず、自分が守るべき水門の鍵を探しているのではないだろうか。 だから、即位直後には 優しく落ち着いていた王が、徐々に 苛立ちを募らせ、苦渋の表情を浮かべることが多くなったのではないか――。 様々な可能性が、瞬の中に生まれては消え、消えては生まれてくる。 その謎の答えは、本当に この山積みの資料の中に隠されているのか。 (でも、ここにある資料には、同じことが繰り返し記されているだけだよ……!) その日――謎を解けない自分の無能に、瞬の焦燥感が限界に達しようとしていたその日。 苛立ちながら 目を通していた資料から顔をあげた瞬は、資料室の入り口の脇に王が立っていることに気付いたのである。 「陛下!」 掛けていた椅子から慌てて立ち上がり、王の側に駆け寄ろうとした瞬の足が、その場で止まる。 瞬を その場に引きとめたのは、瞬を見詰める王の悲しげな――むしろ苦しげな――眼差しだった。 瞬が その場に棒立ちになっている間に、王は足早にどこかに立ち去ってしまった。 瞬にあとを追うことを禁じるように、素早く。 だから、瞬は、王のあとを追っていくことができなかったのである。 王の つらそうな眼差しの意味、その心を確かめ、叶うことなら王の苦しみを共に分かち合いたいと願う己れの気持ちを無理に抑えて。 「陛下は、日に一度はここに いらしてたよ。以前、お姿に気付いて『何かご用ですか』って訊いたら、君には知らせるなって言ってたから、君を見に来てたんだと思うけど」 「え……」 「陛下は、この資料の山の中から 君が何か掴んだのか、それを気にしているのかもしれない」 「やっぱり、期待されてるんだよ、君は、陛下に」 瞬の3人の同輩は皆、王の来訪に気付いていたらしい。 王の期待に応えなければと、資料に没頭していた瞬だけが、毎日ここに通っていた王の姿に気付かずにいたのだ。 瞬は、自身の魯鈍に腹が立った。 王が すぐそこに来ていることには気付けなかったのに、王が苦しんでいることだけは、その瞳を一瞬 見ただけで感じ取れてしまう自分という人間。 王の苦しみが自分の愚鈍のせいなら、彼に謝りたい。 きっと必ず陛下の期待に応え、陛下のお心を安らげてみせると、せめて この決意だけでも 王に伝えたい。 平和で豊かな このイスの都で、その心に苦しみを抱えているのは、おそらく王ただ一人だけである。 そして、その事実に気付いているのは、もしかしたら自分一人だけなのかもしれない――。 そう思うと、いても立ってもいられなくなり――瞬は、その夜、就寝前の薬酒を王の許に運ぶ役目の者に交代を頼み込んで、王の私室に赴いたのだった。 |