「俺の手には、莫大な財があり、アウストラシア王国の貴族の身分もある。もう、俺と瞬が一緒にいても、貴様は俺に何を言うこともできない。俺が貴様の城に瞬を訪ねた時、貴様は俺のために城の正門を開かなければならない」 それが氷河の目的――もとい、氷河と瞬の目的だったのだと一輝が知った時、氷河と瞬の目的は既に達成されていた。 すっかり二人の策に はめられた一輝にできることは、 「なにい !? こ……この召使い風情が!」 と罵声を響かせて、この結末に不快の念を示すことだけだった。 その不快の念も、氷河への憤りも、すがるような目をした瞬に、 「兄さん、兄さん、僕、氷河と一緒にいたいの……!」 と訴えらると、一輝は 心置きなく表出させ続けることはできなかったのであるが。 つい半月前まで、水を与えられずに枯れかけているようだった瞬の表情が、今は生き生きと生気に輝いている。 それは、どう考えても その側に氷河がいるから。 瞬を愛していればこそ――瞬の健康と幸福を 何よりも大事と思い、願っているからこそ―― 一輝の心は複雑だったのである。 「氷河には、復讐心なんかないの。氷河が兄さんを侮辱したのは、アウストラシアでの貴族の身分を手に入れるためで、氷河は本心から兄さんを侮辱したわけではなかったの。氷河は、崩壊寸前のネウストリアの王城から 氷河を僕のところに連れてきてくれた父様に、心から感謝してるって。国の平和を守るために努めてきた兄さんを、本当に尊敬してるって。氷河に ひどい言葉を言わせたのは僕で、それは氷河の本意ではなかったの。ごめんなさい」 一輝としては、『“本意ではなかった”にしては、真情が こもっているようだったが』と、嫌味の一つも言ってやりたかったのである。 必死の目をして、氷河の悪意のなさを 彼に訴えてくるのが、彼の最愛の弟でさえなかったら。 しかし今、兄に冷たい言葉を投げつけられたら、涙に暮れることになるに違いないと確信できる目をして 兄に許しを請うているのは、彼の最愛の弟だった。 しかも、そこに、真意なのか方便なのか、氷河までが殊勝な言葉を言い募ってくる。 「俺はネウストリアの復興など考えていない。アウストラシアへの復讐も考えていない。そんなことをして瞬を悲しませる気はない。俺の故国は、俺と瞬が出会い 育った、このアウストラシア王国だ」 「だから、兄さん、僕たちが一緒にいることを許して」 「うー……」 瞬の懇願を退けて、瞬を悲しませたくはない。 今の氷河には、アウストラシア王国の家臣としての身分と地位があり、財もある。 瞬に泣きつかれるまでもなく、氷河は 瞬の側にいる権利を有しており、一輝は公人としては 氷河が瞬の側にいることを阻むことはできなかった。 それでも二人が一輝に許しを求めてくるのは、二人が 瞬の兄としての一輝の立場を重んじればこそ――いわば、一輝の権威威信を守ろうとしてのこと。 それは、一輝とてわかっていた。 わかっているつもりではあったのだが。 「国境での状況が 瞬時に都に伝わる通信施設を整えたと聞いた。貴様は都にいながら、元帥としての務めを果たすことができるようになったわけだ。――瞬を寂しがらせないために。貴様が瞬を心から愛していることはわかっている」 「……」 瞬の兄に決闘を決意させた時とは 打って変わって、今日の氷河は やたらと しおらしい。 彼が、らしくもなく、瞬の兄に下手に出てくるのは、彼が本当は瞬の兄の許しを必要とはしていないから。 要するに、余裕があるからなのだ。 だから氷河は、 「俺は、この都に居を構える。貴様の城に――正門から瞬を訪ねることを許してほしい。俺の望みは、瞬の側にいることだけだ。他には何も望まない」 などと言って、瞬の兄に頭を下げることさえ してのけるのだ。 実に腹立たしいことに。 そして――。 『俺の望みは、瞬の側にいることだけ。他に望むことはない』 氷河に そんなふうに訴えられて、一輝には 初めて気付いたことが一つあった。 氷河に、貴族と対等に向き合うことのできる身分がないこと、故国を滅ぼした敵国と敵国人への憎悪、その憎悪が生むかもしれない復讐の恐れ――。 氷河と瞬が共にいることを、瞬の兄が許したくない理由は、そんなことではなかったということに、一輝は今 初めて気付いた――自覚したのである。 一輝はただ、『瞬の側にいられれば それだけでいい』と堂々と言ってのける男が気に入らないだけだった。 自分には言えない言葉を、何のためらいもなく言ってしまう氷河という男が――氷河個人が――気に入らないのだ。 そして、そんな男を瞬が慕うことが。 要するに、ただの嫉妬である。 それが本音で真実。 だが、まさか そんな本心を口にするわけにはいかない。 一輝は、自身の本心を ひた隠し、どんな理由をつけてでも 二人を引き離したかった――引き離さなければならなかった。 瞬の肉親として、それは当然のことだっただろう。 「俺が、おまえに、氷河と一緒にいることを禁じたのは、身分がどうこうというのではなく――わかっているのか。おまえたちは男同士なんだぞ!」 ――なのだから。 1年前、氷河を この城から追放したあの日、二人が唇を重ね合う姿を見たのが決定打だった。 友情ならいい。 友情なら、身分を越え、それぞれの立場を越えて結ばれても、さしたる問題はない。 しかし、氷河と瞬の間にあるものは、どう考えても友情とは異なる情愛だった。 瞬の肉親として、そんな事態を放っておけるはずがないではないか。 できれば言いたくなかった。 だが、瞬の兄に その事実を言わせてしまったのは、友情を逸脱した関係を築きかけているのだろう当の二人。 その二人を、一輝は、憤懣やる方ない表情で睨みつけた。 そんな兄の様子に、瞬が きょとんとする。 そして、兄の怒りの訳が まるでわからないという目をして、瞬は言ってのけた。 「それはわかってますけど……。でも、僕、氷河と一緒にいられないと、つらくて悲しいの。ただ それだけなんです」 「ただ それだけ……って」 兄を謀り、一国の王と その国の貴族たちまで巻き込んだ大騒ぎを引き起こしておきながら、“ただ それだけ”とは。 だが、他に こんなことをした どんな理由もない――と、瞬は言っていた。 「僕は氷河が大好きなの」 「俺は瞬が好きなんだ」 本当に ただそれだけなのだと、真顔で二人に訴えられ、一輝は 一瞬 呆けてしまったのである。 滅ぼされた故国、滅ぼした男、その男に命を救われたこと、そうして与えられた使用人としての境遇。 一つの国を滅ぼした男の息子であること、その負い目。 身分の違い、それぞれの名誉、当然 生まれていいはずの復讐心、憎悪、野心。 二人は、そういったことを何も気にしていなかった(らしい)。 ほんとに、何も考えていなかった(らしい)。 二人はただ、それらのものが“一緒にいたい”という自分たちの願いを妨げるから 取り除こうとしたにすぎなかった(らしい)。 そのために、策を弄し、兄を謀り、決闘騒ぎを起こし、王を瞞着し――それもこれも、ただ“好きで一緒にいたいから”。 素朴にすぎる その願いを叶えるため、氷河と瞬は これだけのことを しでかしてのけたらしい。 一輝は――瞬の兄は、もはや(やけになって)笑うしかなかったのである。 “好き”という心には、それだけの力がある。 人間というものは、そういうものだったのだ――と。 Fin.
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