「あれでは、あの者に アテナの聖闘士になるよう促したようなものではありませんか」 冥府の王に そう尋ねたのは、金色の髪と金色の瞳を持つ眠りを司る神ヒュプノスだった。 ヒュプノスには、彼の主の真意が読めなかったのだろう。 彼の主である漆黒の冥府の王ハーデスが、その黒い瞳に憂いと倦怠をたたえ、金色の従神に物憂げに答えを返してくる。 「瞬がアテナの聖闘士になろうとなるまいと、そんなことは 余にはどうでもよいことだ。所詮、人間と神では 力の差は歴然としている。瞬は余のものになるしかないのだ。だが、瞬は おそらく 聖闘士になれぬと、その清らかさを保ち続けることができない。清らかさというものは、強くなければ保ち得ないものだ。人生の敗残者は 清らかでは あり得ない。それゆえ――瞬に生きる力を与えるために、この茶番は必要だったのだ」 「生きる力を与えるために――なるほど、さようでございましたか」 その言葉に頷きながら、しかし、ヒュプノスはハーデスの言葉に矛盾を感じていたのである。 清らかな者であるための力を、この茶番によって、瞬は瞬の仲間たちから得た。 そうして その清らかさを保ち、やがて冥府の王ハーデスの魂を その身に受け入れることになった時、瞬は、瞬自身の力の源である彼の仲間たちを滅ぼすことができるだろうか。 それをしてしまったら、瞬は 清らかさと力を二つながら失い、ハーデスの魂を身の内に置く力をも失ってしまうのではないだろうか。 ハーデスに問おうとしたヒュプノスは、しかし、憂いの色の濃いハーデスの瞳に出会い、その問いを発するのをやめたのである。 瞬がハーデスの魂と一つになるのは、今より ずっと後のこと。 その時、アテナの聖闘士が どうなっているか、世界はどうなっているのか、それは神にも わからないことなのだ、 否、神には 未来を見る力も 未来のありようを知る力もある。 であればこそ、ハーデスは 瞬の意識と心を未来へと運ぶこともできた。 だが、ハーデスは あえて 未来を知ろうとはしないのだ。 たとえ神であっても、変えることのできない未来が見えていれば、何事にも意欲を持って生きようとすることはできない。 それは神であるハーデスもヒュプノスも、人間と 何ら違いはない。 誰にとっても、未来は 見えていないから未来たり得るものなのだ。 だから――その時の到来を、ヒュプノスはハーデスと共に 順当な時の流れの中で待つことにしたのである。 Fin.
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