「紫龍!」 突然そんなことを言い出した紫龍の名を、瞬が責めるように呼び、 「紫龍! 貴様、傷心の俺を愚弄するか! これ以上 俺の傷を増やして、何が楽しい! それとも貴様、俺に何か恨みでもあるのか!」 氷河が、火口に沸騰する溶岩の姿をたたえている噴火直前の火山のように 強圧的な声で、紫龍を怒鳴りつける。 「氷河……?」 派手に爆発していない分、凄み――むしろ狂気――を感じさせる氷河の様子に驚き 慌てたのは、紫龍ではなく瞬の方だった。 瞬の上から その怯えを取り除くために――とりもなおさず、それは、氷河の悲憤を取り除くことでもある――紫龍が瞬に尋ねる。 「違うのか」 おそらく紫龍は、言葉にはせず視線で、『氷河のため、自分のため、二人のために、正直になれ』と、瞬に忠告した。 瞬は、その忠告に戸惑い 迷わなかったわけではないだろう。 しかし 瞬は、紫龍の忠告や助言が 大抵の場合 適切なものであることを知っており、何より 瞬自身が そうすべきだと判断し決意したに違いない。 瞬は、瞬にしては きっぱりした口調で、 「違いません」 と、紫龍に答えた。 その答えを聞いた途端、噴火直前だった火山が 急速に勢いを失う。 「し……しかし、俺は男で――」 「僕も男だよ」 「そういう意味ではなく……」 ならば どういう意味なのか。 氷河は、自分でも よくわからなくなってきているようだった。 「そういうことを言っているのではなく、その、普通は、そういうことは女子に……」 瞬が いつもの瞬らしくなく確然としているのに、氷河は いつもの氷河らしくなく愚図愚図している。 紫龍は、今度は 氷河に助け舟を出してやらなければならなくなった。 「氷河。『普通』だの『普通じゃない』だのという言葉は、あまり連発しない方がいいぞ。『異常』もな。どこの人権擁護団体からクレームがくるかわかったものじゃない。それは、今時 珍しいことではないだろう。一応、マイノリティではあるだろうが」 性的指向による差別は 世界の潮流に反しており、全く感心できない――。 紫龍の助け舟は、世界的・大局的視点に立ったものだった。 星矢が、紫龍のそれとは 対照的に、局地的個人的な立場に立った意見を提示してくる。 「俺、今、思ったんだけどさ。もしかして、これって、おまえが普通じゃないんじゃなくて、瞬が特別で異常なんじゃねーか? 瞬にオツキアイとやらを申し込んだ このガッコの男共も みんな普通の男でさ。実際、瞬に告白した あの3年生の男のこと、俺、全然 異常だと思わなかったんだよな。瞬が相手なら、まあ そういうこともあるだろーなーって思っただけで。当たりまえだろ。相手は瞬なんだ。惚れたって、仕方ねーよな」 「それは……」 それは 言われてみれば、星矢の言う通りだった。 氷河自身、青二才上級生の身の程知らずに 腹は立ったが、彼を異常と思うことはなかった。 相手は瞬なのだ。 好きになっても仕方がない。 「うむ。おまえは普通の男だ。特別で異常なのは瞬の方なんだ」 「男に告白されるのに慣れてる男が 普通のはずねーし」 紫龍と星矢が、次から次へと 畳み込むように助け舟を送り込んでくる。 「瞬が特別なのは認めるが……」 これは そういう問題なのだろうか。 それで納得してしまっていいのだろうか。 氷河にとって、それは なにしろ十数年 抱えてきた苦悩なのである。 それが こんなに簡単に消滅解消してしまっていいのか。 氷河は、今はむしろ、十年来の苦悩が あっさり解決消滅することに戸惑い苦悩してしまっていた。 そこに星矢が、決定的な質問を投げかけてくる。 「おまえ、そもそも瞬が男だから惚れたわけじゃないだろ? 瞬が女の子でも、やっぱり好きになってただろ?」 「それは、もちろん」 「つまり、おまえは、それが瞬だから瞬に惚れたわけで、ただ それだけのことなんだよ。おまえは最初から 普通の男だったんだ」 「……」 ただ それだけのこと――と言われれば、確かに それは ただそれだけのことだった。 自分の前に、澄んだ目をした可愛らしく優しく強い人がいた。 だから好きになった。 氷河の恋は、ただ それだけのもの。 ごく普通、ごく自然、そして必然で 当然のものだったのだ。 「俺は普通か……そうか……」 しみじみ 深く得心して呟いた氷河の脇で、瞬が変な顔をしている。 瞬は これまで ただの一度も、自分を“特別な人間”“異常な人間”と思ったことはなかったのだろう。 むしろ、ごく普通の人間と思っていたに違いない。 そこに、長い付き合いの仲間たちに、散々 『異常』『異常』を繰り返されたのだ。 瞬が変な顔になるのも、これまた普通で自然なことだったろう。 瞬は 何か言いたげな素振りを見せ、実際 口を開きかけたのだが、それは一人の普通の男によって妨げられた。 「瞬。俺はおまえが好きだ。ガキの頃から ずっと、おまえが好きだったんだ」 普通の男が意を決して告白すると、 「え……」 瞬の“変な顔”が、花が咲くように ぱっと明るくなる。 それで瞬は、自分のどこが異常なのか、実際に異常なのか などということは、どうでもよくなってしまったらしい。 「僕も氷河が大好きです」 特別な瞬は そう言って、心の底から嬉しそうに 特別製の笑顔で微笑んだ。 Fin.
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