「氷河さん、はじめまして! お会いできて嬉しいです……!」 氷河が城戸邸の客間に入っていくと、その人物は、 蓋が開けられた びっくり箱のバネ仕掛けの人形も かくやと言わんばかりの勢いで 掛けていたソファから立ち上がった。 その勢いのまま 氷河の前で大きく深く腰を折り、その反動に任せて、大きな身振りで折った腰を元の位置に戻す。 この壊れた玩具はどこから運ばれてきたのだと、氷河は かなり本気で思ったのである。 成人しているかどうかも わからない若い男。 身に着けているものは、白い生成りのシャツに黒いパンツ。 それは、20歳前後の若い男としては ごく普通の出で立ちだが、城戸邸の訪問客としては極めて珍しい服装といえた。 ここはグラード財団総帥の私邸である。 訪問客は 当然それなりの恰好――多少カジュアルでもスーツを着用しているのが常だった。 もっとも彼は、グラード財団総帥を訪ねてきたのではなく、この屋敷の居候にすぎない氷河を訪ねてきた客だったのだが。 そもそも、この訪問客の最も奇妙な点は、彼のカジュアルすぎる服装ではなく、彼の訪問を受けた氷河が彼を全く知らないということだった。 「誰だ」 メイドに来客だと知らされて 客間にやってきたが、初めて見る顔、初めて会う男。 訪問を受ける心当たりもない。 『会えて嬉しい』と言われても、氷河には、この出会いを彼に嬉しがられる覚えすらなかった。 氷河の誰何に、見知らぬ客人は その言葉通りに嬉しそうな――感激しているようにも見える表情と声で、自分の名を名乗ってきた。 「ヤスダ ユウヤといいます。僕は、あなたの曽孫です!」 「ソウソン? ソウソンとは何だ?」 『そうそん』という音に当てはまる漢字を『曾孫』しか思いつけない。 が、彼の言う『そうそん』が『曾孫』であるはずがなかった。 もし そうなのであれば、この見知らぬ訪問者の おかしい点は、城戸邸を訪問してきた人間としてはカジュアルにすぎる服装だけではなくなる。 それは、つまり、この客人が非常に危険な人物であるということで、そんな危険な人物がグラード財団総帥の私邸の客間にいるということは、この屋敷のセキュリティ・システムに大きな欠陥があるということなのだ。 それは絶対にあり得ないこと――あってはならないことだった。 だというのに。 この世界では、“あり得ないこと”“あってはならないこと”が しばしば起こる。 一見した限りでは、(城戸邸を訪ねてくる客に ふさわしいものとはいえないが)白く清潔な生成りのシャツを着た飾り気のない素朴な好青年は、見るからに誠実そうな眼差しを氷河に向け、 「『そうそん』というのは ひ孫のことです。孫の子供です。僕は、あなたの娘の息子の息子です」 と、実に ほがらかな口調で言ってのけてくれたのだ。 「なに?」 言葉の意味が理解できず、反射的に問い返す。 好青年は、いかにも好青年らしい態度で、親切にも、彼の発言の意味するところを氷河に説明してくれた。 「あなたは、僕の父の母の父です」 好青年の親切に、氷河の こめかみが引きつる。 「貴様、頭の方は大丈夫か? 俺のひ孫? 貴様、歳は幾つだ」 「18歳です。あと半月ほどで19歳になります」 「18? 俺と同い年の、俺の ひ孫か。実に斬新だ」 氷河は、ヤスダユウヤと名乗った好青年に、大いに感心してみせた。 そして、好青年の親切に報いるべく 大股で 客間のドアの前に移動し、彼のために そのドアを開けてやる。 その上、氷河は、更なる親切心を発揮し、 「帰れ。狂人に知り合いはない」 と言って、好青年が向かうべき方向を、自らの視線で示すことまでしてやったのである。 その視線の先に、なぜか 彼の仲間たち――星矢、紫龍、瞬の三人――がいることに気付いて、氷河は舌打ちをした。 彼等はどうやら、“白鳥座の聖闘士に訪問客”という珍しい事態への好奇心を抑えきれず、廊下で盗み聞きに いそしんでいたものらしい。 そこにいたのが、盗み聞きの事実を笑ってごまかそうとしている星矢だけだったなら、氷河は、彼を 狂人の好青年と一緒に、城戸邸の外に蹴り出してしまっていたかもしれなかった。 ごまかし笑いをしている星矢の後ろに、心配顔の瞬がいたせいで、残念ながら 氷河は そうすることができなかったのである。 仕方がないので 氷河は、星矢を怒鳴りつける代わりに、ここにはいない誰かに向かって 苛立った声を投げつけた。 「どうして こんな奴を通したんだ。この狂人に凶暴性があって、ここに沙織さんがいたら危険の極みだろうに!」 氷河は、とりあえず 狂人の好青年を追い払うことだけはしたかったのである。 盗み聞きをしていた星矢を殴り倒すことができないなら、せめて。 盗み聞き集団の中に瞬がいたせいで、氷河が 彼の仲間たちを叱責できずにいるのをいいことに、星矢が図々しく客間の中に入ってくる。 「帰れなんて、そんな つれないこと言わないでいてやれよ。おまえの言う通り、斬新で面白いじゃん。ユウヤクンとやらの話を聞いてやろうぜ」 星矢は どこから何をどう見ても、この事態を面白がっている――突然 現われた 狂人の好青年を 絶好の暇つぶしの種と思っている――ようだった。 ここのところ、アテナとアテナの聖闘士を倒そうとする敵さんの お出ましが途絶えているせいで、彼は 暇を持て余しているのだ。 『ふざけるな!』と、氷河が星矢を怒鳴りつけることができなかったのは、星矢に続いて紫龍と瞬までが客間に入ってきてしまったから。 氷河は結局 仲間たちに押し切られ、仲間たちと共に、彼の ひ孫の話を聞く羽目になってしまったのである。 |