十二宮11番目の宮。 氷河の師、アクエリアスのカミュが守護する宝瓶宮。 氷河は ここでカミュを倒し、後悔と悲嘆と苦痛、そして 彼が罪だと思うものを その身に抱え込むことになった。 瞬は それを止めるつもりだった。 他に どんな道も 瞬には思いつけなかった。 氷河を死なせることはできない。 氷河を甦らせることができなかったら、瞬は その後の戦いを戦い続けることはできなかっただろう。 仲間を救うことができなかった無力感に打ちのめされ、自分の力を信じることもできず、おそらく双魚宮で 魚座の黄金聖闘士に倒され、とどめを刺されていた。 それは、あってはならないこと。 そんなことになったら、アテナがアテナとして この聖域に君臨する日が来ない。 彼女を真のアテナと信じる青銅聖闘士ごときが、実力で大きな差がある(ことになっている)黄金聖闘士を倒すからこそ、アテナは真のアテナとして、この聖域に彼女の正当な居場所を得ることになった。 アンドロメダ座の聖闘士は、負けるわけにはいかないのだ。 地上の平和と アテナのために。 『ここは師のカミュと俺だけにしてもらいたい。誰にも邪魔をされたくない。たとえ おまえたちにもだ』 氷河に そう言われ、余人は 師弟の間に入り込むべきではないと考え、愚かなアンドロメダ座の聖闘士は 氷河の言葉に従った。 カミュと氷河の間に 仲間にも入り込めない師弟の絆を感じたから。 だが 自分は あの時、二人の間に 仲間にも入り込めない師弟の絆を感じるからこそ、氷河をここに一人で残すべきではなかったのだ。 それは、後悔と悲しみの海に漕ぎ出そうとしている氷河を見捨てること。 あの時、アンドロメダ座の聖闘士は、氷河の仲間として、氷河に この宮を素通りさせるべきだったのだ。 「そんなこと、少し考えれば わかることだったのに……。僕は氷河の勝利を信じていたんだから」 そう ひとりごちて、入ることを禁じられた宮の中に足を踏み入れる。 そこでは、今しも 白鳥座の聖闘士が 水瓶座の聖闘士との戦いを始めようとしていた。 「氷河、やめて! 氷河はカミュと戦うべきじゃない……!」 瞬は、冷たい大理石の宮に 悲鳴のような声を響かせたのである。 できることなら、言葉を尽くして 氷河の師を説得したい。 だが、それが許されない努力だということを、瞬は知っていた。 何よりクロノスが それを許さないだろう。 氷河の師、水瓶座アクエリアスのカミュは、ここで絶命しなければならないのだ。 「瞬、なぜ戻ってきたんだ。星矢たちと先に行けと――」 「氷河こそ、その拳を収めて。氷河は 彼が誰なのか わかってるの」 「何を馬鹿なことを……。水瓶座の黄金聖闘士アクエリアスのカミュ。彼の師に決まっているだろう」 「わかっているのなら、氷河こそ 先に行って。アテナと星矢たちが待ってるよ」 「おまえは何を言っているんだ。たとえ大恩ある師といえど、アテナに背く聖闘士は排除されなければならない」 「うん、そうだね……。だから、カミュとは僕が戦う」 氷河の悲しい決意が、瞬の声を沈ませる。 しかし、今は自分の逡巡と苦悩を御するだけで精一杯の氷河は、瞬の悲嘆に気付く余裕はないようだった。 「おまえは、俺にはカミュを倒せないというのか。俺を侮辱するか」 「倒せるよ。だから、彼とは僕が戦う」 氷河とカミュの間に、瞬は その一歩を踏み出した。 氷河が瞬をどかせようとする。 「瞬、どけっ」 「氷河! 氷河はカミュを倒して、後悔するの。自らの死を願うほど後悔するんだよ。僕は氷河を悲しませたくない。氷河を苦しめたくない。それくらいなら、カミュを殺した聖闘士として、氷河に憎まれる方が ずっといい」 言うなり、瞬は、視線を氷河の師の上に据え、一気に その小宇宙を生み燃やしたのである。 十二宮戦後、多くの戦いを経て 強さと悲しみを増した瞬の小宇宙が、氷河の師が守護する宮に満ち溢れる。 それは、刻一刻と 時を重ねるごとに 広がりを増し、深みを増し、半ば以上 死んでいた白鳥座の聖闘士を温めることで蘇生させたアンドロメダ座の聖闘士の小宇宙とは思えないほど 悲しい色を濃くしていった。 「これは――」 青銅聖闘士の域を超え、自分が育てた弟子との戦いを余儀なくされた黄金聖闘士の悲しみを超えて、大きく燃え上がるアンドロメダ座の聖闘士の小宇宙に、カミュが驚愕の表情を作る。 おそらく――悲嘆で 今の自分に勝るものを抱えた人間は この地上に存在しないと、カミュは信じていたに違いなかった。 「あなたも、氷河よりは僕の方が戦いやすいでしょう?」 瞬は、氷河の師に尋ねた。 驚きに目をみはったカミュが、僅かに かすれた声で瞬に問い返してくる。 「君の小宇宙は なぜ、こんなにも悲しみに支配されているのだ」 「さあ……」 カミュに説明したところで、彼は その説明を信じないだろうと、瞬は思った。 本来であれば まもなくカミュを倒すことになる氷河でさえ、『氷河はカミュを倒して 後悔する』という仲間の言葉を、『氷河はカミュを倒せば 後悔する』という意味に解している。 アンドロメダ座の聖闘士を知らないカミュは なおさら、瞬の言葉を信じようとはしないはずだった。 そもそも 彼は、これから自分が氷河を倒すことになると信じている――水瓶座の黄金聖闘士の勝利を疑っていないのだから。 カミュに対峙し、氷河に背を向けたまま、瞬は氷河に告げた。 「カミュの凍気より、僕の小宇宙の方が冷たいことはわかるでしょう? 氷河は先に行って。カミュは、僕が倒す。氷河は……見ない方がいい」 「瞬……!」 瞬の小宇宙の強大さに(あるいは、悲嘆の激しさに)圧倒され、氷河は不安になったのだろう。 瞬は 本当にカミュを倒す――倒すことができてしまう――と。 だから、彼は瞬を退かせようとした。 彼の師を救うために。 だが、それを、瞬の小宇宙に妨げられる。 「瞬、頼む。やめてくれっ!」 『師を救いたい』の一心で、氷河が アンドロメダ座の聖闘士を思いとどまらせようとしているのが わかるから、瞬の悲しみは一層 深く 濃くなった。 そして、やはりカミュは自分が倒さなければならないと、瞬は思ったのである。 「ネビュラストリーム」 抑揚のない声で、瞬はカミュの周囲に気流を生んだ。 ここで カミュは死ななければならないというのに、それが彼の運命だというのに、なぜ自分は最初から嵐を生まないのかと、自らの行動を訝りながら。 自分は覚悟を決めて ここに来たはず。 逡巡は許されない。 アンドロメダ座の聖闘士に動きを封じられてしまったカミュを見詰め、瞬は胸の内で、氷河の師に、『ごめんなさい』と呟いた。 そして、 「ネビュラストーム」 苦渋と悲嘆で できている声で、その場に嵐を呼んだのである。 十二宮、アスガルド、海界、冥界、更には、過去の十二宮――幾多の戦いを経て、力を増した瞬の小宇宙が生み出した嵐を 消し去ってしまったのは、水瓶座の黄金聖闘士の小宇宙ではなかった。 |