「氷河は瞬と外出か?」 数年に渡る氷河の仮病騒動が ついに収束を見たというのに、星矢は、今日も朝から不機嫌で不愉快そうな顔をしている。 あれほど氷河の仮病を忌々しく思っていたようだった星矢が、 「氷河の奴、対人恐怖症でいた方がよかったんじゃないのか」 とまで言い出したのには、さすがの紫龍も意表を衝かれてしまったのである。 「おまえが そんなことを言い出すとは、いったい どうしたんだ」 紫龍に問われ、それでなくても歪み気味だった星矢の顔は 更に歪みの度合いを大きくした。 その声には、怒りの響きが にじんでいる。 「あの馬鹿、瞬の早朝ジョギングについてって、さっき戻ってきたんだよ」 「早朝ジョギング? いいじゃないか。氷河を一人にできないというので、瞬はずっと行けずにいた」 「それはいいんだよ。氷河が 瞬のジョギングについてくだけなら」 「そのあとが よろしくないと?」 「大いによろしくないぜ。ジョギングから戻ってきた瞬がシャワー浴びに行こうとしたら、あの馬鹿、シャワーなんて いちばん無防備になる場面だから、浴室の前で 見張りに立つとか言い出しやがってさ!」 星矢は、氷河の名を口にするのも不愉快でならないらしい。 その名を口にしただけで 口が汚れると言わんばかりに、星矢は、氷河を『あの馬鹿』呼ばわりし続けた。 「助平心 丸出しだな」 「だろ! 瞬が、心苦しがって、『なら 一緒に浴びよう』とか言い出すんじゃないかって、俺、はらはらしたぜ」 「ははははは」 瞬なら、真面目に そんなことも言い出しかねない。 星矢の心配は あながち杞憂ではないかもしれないと思えるせいか、紫龍の笑い声は空虚な響きを帯びることになった。 「対人恐怖症の仮病は、氷河の助平心の抑制に役立っていたのかもしれないな」 「あの馬鹿は 対人恐怖症の振りしてた方が 断然よかったぜ! 対人恐怖症なら、『恐いから一緒に寝てくれ』って言うことはあっても、『おまえを一人にできないから、一緒に寝てやる』とは言い出せないだろうからな」 「違うのか、その二つ」 「全然 違うだろ!」 星矢の断言を受けて、しばし考え込んだ後、紫龍は、『確かに その二つは全く違う』という結論に至ったのである。 守られる立場の人間の助平と、守る立場の人間の助平の間には、数日前に隠した どんぐりの隠し場所を忘れてしまった小リスと、半月近く 獲物にありつけていない飢えたライオンほどの違いが ありそうだった。 「確かに 違うな」 「だろ! 決定的に違うんだよ、これまでの氷河と 今の氷河は!」 その厚かましいセリフを 氷河が口にするのは時間の問題だと、星矢は考えているらしい。 そして、その時 瞬が ちゃんと(?)氷河を拒否できるのかどうかが、星矢は心配でならないらしい。 『十中八九、瞬は氷河に押し切られるだろう』 紫龍はそう思ったのだが、彼は その確信に近い推察を言葉にして 星矢に告げることはしなかったのである。 『嘘も方便』だからではなく、『沈黙は金』だからでもなく――それは、瞬の身を案じる星矢への、いわゆる『武士の情け』だった。 Fin.
|