そんなふうに、春なんだか冬なんだか、ほのぼのしてるんだか 殺伐としてるんだか、今ひとつ 訳のわからない状況下で、俺と おやっさんが瞬さんの宮の修繕に取りかかって6日目のことだった。 聖域に敵襲来の報が、処女宮に飛び込んできたのは。 黄金聖闘士の力を借りようと 白羊宮から順に十二宮を駆けあがってきたらしい下働きのおっさんが 息を切らしながら言うには、どこの神の手の者なのかはわからないが――神の手先なのかどうかもわからないが――襲撃してきた敵の数は30人ほど。 武器を携えていないので、おそらく普通の人間ではない――危険な者たち。 アテナの結界を破るほどの力はないようで、そのため 敵に聖域内への敵侵は許さずに済んでいるが、食糧や資材を聖域に運び入れようとしていた者たちが、その荷を奪われたり、運搬車を破壊されたりしているらしい。 そんなふうに 聖域の入り口で暴れながら、襲撃者たちは アテナの聖闘士を連れてこいと息巻いているとか。 功名心に逸ったのか、闘技場で体練をしていた聖闘士志望の奴等が 敵を撃退するために襲撃場所に向かったが、そいつ等では心許ないから ぜひとも黄金聖闘士のお出ましを願いたいと、そういう話だった。 それまで 処女宮で 春のそれに似た空気を生んでいた瞬さんが にわかに心身を緊張させたのが、俺にはわかったんだ。 氷河の冷たい小宇宙を制していた瞬さんの小宇宙の密度と強さが変わって、ほのぼのしてた宮の中の空気が ぴんと張り詰めたから。 「氷河、敵を追い払ってきてくれる? 大した力は持ってなさそうだけど、僕は 一応アテナに報告してくるよ」 瞬さんが氷河に そう言ったのは、その時 瞬さんが聖衣を身にまとっていなかったからだったろう。 瞬さんは なぜか乙女座の黄金聖衣を身にまとうことに ためらいがあるらしくて、滅多に それを装着することはないんだそうだ。 乙女座の黄金聖闘士に、瞬さんほど ふさわしい人はいないだろうにと、おやっさんは いつも不思議そうに 言っていた。 「星矢か紫龍に行かせろ。何ということもない雑魚だろう。やっていることが せこすぎる。わざわざ十二宮の下まで下りていくのは 億劫だ」 氷河が、言葉通りに億劫そうな様子で、そう応じる。 地上の平和を守るために戦う正義の味方が こんな怠け者でいいのかと、俺は少々――いや、大いに――むかついた。 瞬さんが、そんな氷河を困ったような目で見やり、短く小さな溜め息を一つ洩らす。 「ここがいちばん近いのに、そんなの非合理だよ。星矢たちが宮にいるとは限らないし。じゃあ、敵の相手は僕がするから、氷河はアテナ神殿に――」 「俺が行く。ガキ。一緒に来い」 氷河が 急に気を変えたのは、瞬さんが敵の許に向かうと言い出したからか、それとも 突如 合理的精神に目覚めたからなのか。 案外、処女宮からだと、アテナ神殿に行くより 聖域の入り口に下りていく方が近いから――なーんていう、怠け者らしい理由からだったのかもしれない。 いや、そんなことはどうでもいい。 俺に『一緒に来い』ってのは何だよ。 神殿修理に使う石を運び込んだり、おやっさんが修繕作業で出した破砕屑を集めて片付けるくらいのことしかできない俺を 敵が暴れてるところに連れてって、氷河はいったい俺に何をさせる気なんだ? ――と思いはしたんだが、処女宮の出口に向かって すたすたと歩き出していた氷河のあとを、俺はすぐに追いかけた。 騒ぎの後始末をする者が必要なのかもしれないと思ったし、何より 俺は、世界で最も強い男(の一人)の戦いってのを、この目で見てみたかったんだ。 アクエリアスの氷河が、恰好ばかりの ぐうたらな怠け者か、やる時は やる男なのか、確かめたいと思ったから。 そんなわけで 妙に昂ぶっている俺の気も知らず(知らなくて当然なんだが)、聖域の入り口に向かう氷河の足取りは 実に のんびりしたもので――そう見えるのに、なぜか俺は走らないと奴についていけなかった。 それで、不自然なほど早く 俺たちは目的地に到着したんだが、そこでは、敵味方入り乱れての乱闘の真っ最中。 まさに、宴もたけなわ状態だった。 俺と同時期に聖域に入った聖闘士志願の奴等が、血気盛んに大声をあげて敵に飛びかかっていき、ほぼ例外なく、一撃で倒されていく。 敵は さほど強そうでもないのに。 瞬さんや氷河のそれに比べると、敵たちの小宇宙なんて あってないようなもの。 なのに、俺の同輩たちは 次々に倒されていく。 そもそも選んだ道が違ってたから、俺は別に 奴等に親近感や仲間意識を抱いてたわけじゃないけど、俺よりはずっと強くて 前向きで やる気があると思ってた奴等が 一人 また一人と地面に転がる様を見せられて、俺は滅茶苦茶 慌て、取り乱した。 とはいえ、すぐに、俺の隣りに立っている男が世界で最も強い男(の一人)であるところの黄金聖闘士様だってことを思い出して、俺の焦りは 徐々に落ち着くことになったんだが。 俺は、当然、氷河が奴等を助けてくれるものだと思ったんだ。 俺の同輩たちは致命傷を負っているようではなかったし、死にさえしなれば何とでもなると思った。 なのに――なのに、氷河は動かなかった。 俺の同輩たちが次々に地に伏していくのを、冷ややかな目で ただ見てるだけで。 なんでだ? と、思ったさ。 世界で最も強い男(の一人)ってのは掛け声だけで、実は氷河は ただの臆病な怠け者だったのか? って。 「おい……」 俺は何て言えばいいのかわからなくて――それきり声も言葉も作ることができなかった。 俺が『奴等を助けてやってくれ』なんて言っても、氷河が その願いを叶えてくれるとは思えなかったから。 氷河が動いたのは、俺の同輩の聖闘士志願者たちが 全員倒されてからだった。 「弱いな」 不愉快そうに――いや、何の感慨も抱いていないような声で 詰まらなそうに そう言って、氷河は、その場にいた数十人の敵を一撃で倒した。 一撃っていうか――氷河が 片手をちょっと動かしたら、敵はみんな倒れてしまっていたんだ。 俺は あっけにとられたさ。 氷河は強かった。 呆れるほど強かった。 多分、今の一撃は、氷河にとっては大理石の削り屑を、ふっと吹き飛ばす程度の仕事。 戦いと呼べるものでさえなかったろう。 こんなに強いなら――こんなに強いのに なぜ 氷河は、あと10分早く その力を見せてくれなかったんだ? そうすれば、俺の同輩たちは誰も倒されずに済んだのに。 こいつ等が聖闘士でも何でもない――聖域では 奴隷同様の下っ端だから? 聖闘士でなくても、下っ端でも、平民でも、奴隷でも――それでも こいつ等は人間なんだぞ! 「大丈夫かっ!」 俺は、特に仲がよかったわけでもない同輩たちの側に駆け寄って、とにかく順番に 誰も死んでいないことを確かめてまわった。 心臓は動いていた。 みんなは どうやら 鳩尾に強烈な一発を食らって意識を失っただけだったらしい。 外傷らしい外傷もない。 俺が同輩たちの生存を確かめている間、氷河は一言も言葉を発しなかった。 俺が同輩たち全員の生存を確認し、ほっと息を洩らすのを見て初めて、氷河は口を開いた。 「死にたくなかったら 聖域を立ち去れと、こいつら全員に言っておけ。多分、こいつ等には その方がいい」 「その方がいい?」 それは どういう意味だ? 世界で最も強い男(の一人)を 思い切り反抗的な目で睨み、俺は氷河に問い返した。 氷河が、抑揚のない声で答えてくる。 「こいつ等の望みは、地上の平和を守ることでも アテナを守ることでもなく、聖闘士になることだ。その望みは叶わない」 力のない奴隷を見下し、蔑んでいるような眼差し、声音。 俺は――俺は、信じ難いほどの氷河の強さを 自分の目で確かめたばかりだったのに――我を失って 世界で最も強い男(の一人)に噛みついていったんだ。 「あんた! あんたさ! あんなに強いなら、もっと早くに助けてやればよかっただろ! なんで そうしなかったんだよ! へたすると、こいつら みんな死んでたんだぞ!」 そうなってからじゃ、取り返しがつかない。 失われた命は取り戻せないんだ。 黄金聖闘士は そんなことも知らないのか。 俺は、そう思った。 腹を立てながら、そう思ったんだ。 さすがに氷河も、その自然の摂理くらいは知っているようだったが。 「そう。死んでいたかもしれない。だが、こいつ等は誰も死んでない。こいつ等は、命をかけて敵に立ち向かっていかなかった。だから、こいつ等は、命があるのに、もう一度 立ち上がることをしなかったんだ。命をかけて聖域を守る気がなかったから――死にたくなかったから。こいつ等は 利口だ。俺は、利口な奴が大嫌いだ」 「……」 吐き出すように そう言って 踵を返してしまった氷河に、俺は何を言うこともできなかった。 何を言えばいいのか、思いつかなかった。 氷河の言うことは事実なんだろう。 こいつ等は、命をかけていなかった。 おそらく、多少 うぬぼれて、これまでの修行の成果を試したいとか、うまく敵を倒すことができたら 自分の力を認めてもらえるだろうとか、そんなことを考えて、自分の力を正しく認識せず、血気に逸って敵に飛びかかっていった。 こいつ等は 自信過剰の馬鹿で、そして、氷河の言う通り 利口でもある。 氷河が断じたように、こいつ等は聖域に留まっても 聖闘士にはなれないのかもしれない。 でもさ。 でも、こいつ等が未熟なのは仕方ないだろ。 こいつ等は まだほんとに未熟なガキなんだから。 俺は、氷河が残していった『こいつ等には その方がいい』っていう言葉に、ものすごい反発と憤りを覚えた。 腹が立って――でも、賛同しないわけにはいかなかった。 氷河のその判断は正しいんだろうと思えるから なお一層、俺は氷河の冷徹が憎らしかった。 |