それから3日後。
母さんを聖域に住まわせてもいいっていう許可が下りて、俺は早速 瞬さんに礼を言うために処女宮に向かったんだ。
そしたら、そこに瞬さんはいなくて、代わりに(?)星矢さんと紫龍さんがいた。
射手座サジタリアスの黄金聖闘士と、天秤座ライブラの黄金聖闘士。
瞬さんや氷河と一緒に 幾つもの激戦を戦い 勝利してきた、歴代最強聖闘士の一角ならぬ二角。
氷河は、自分は運がよかったから聖闘士になれたって言ってたけど、俺も かなり運がよくないか?
聖域に長くいたって、黄金聖闘士と個人的に言葉を交わす機会なんて 滅多にあることじゃないのに。

「瞬に会いに来たのか? 瞬は、氷河のとこ行ってるみたいだぞ。俺たちも 瞬と氷河のとこに行くから、一緒に行こうぜ。おまえ、オパールだろ」
射手座サジタリアスの星矢さんは、明るい目をした、妙に人懐こい人だった。
あの氷河が『才能がある』と認めてる人。
もちろん ただ者であるはずがないんだけど、俺は、割りと気軽に、
「オパリオスです」
と訂正を入れることができた。
星矢さんも、実に気軽に、
「おんなじじゃん」
と応じてくれた。
確かに意味は同じだけど、一応 人の名前なのに。
でも、星矢さんは 細かいことに頓着する人じゃないらしい。

「聞いたぞ。タソス島で暴れてきたんだって? 俺もついてきゃよかった」
「暴れたのは、氷河さんと瞬さんで、俺は何も――」
「でも、おまえの小宇宙、強くて大きいじゃん。見込みがあるって、瞬が言ってた」
瞬さんの名前を出されて、俺の心臓が大きく跳ね上がる。
俺の心臓は いつも 正直すぎるほど正直で、俺は氷河みたいにクールな聖闘士には きっと絶対になれないだろう。

「ん?」
天秤座ライブラの紫龍さんが、そんな俺を見て、怪訝そうに眉をひそめる。
紫龍さんは、聖闘士の善悪を判断する要の役目を負う天秤座ライブラの黄金聖闘士。
紫龍さんは俺に気になるものを見たんだろうかと、俺は、裁判官の前に引き出された被告人みたいに、少し戸惑ったんだ。

その、聖闘士の裁判官たる紫龍さんが、
「瞬は男子だぞ。わかっているか」
と、俺に訊いてくる。
さすがに鋭い――というか、何というか。
俺は こくこくと頷いて、そして わざとらしく話題を逸らした。
「あ……俺――いや、私は、氷河さんと瞬さんの戦いを見て、聖闘士になりたいと思ったんです。でも、そんなことを言ったら、氷河さんが 嫌な顔をしそうで、それを心配してるんですけど」
紫龍さんを うまくごまかせたのかどうかは わからなかったけど、星矢さんは すぐに俺の話題転換に乗ってきてくれた。

「んなことは ねーだろ」
星矢さんは、『なぜ そんなことを心配するのか わからない』というような顔になったけど、紫龍さんは 俺の懸念の妥当性を認めてくれた。
「嫌な顔はするだろう。嬉しくても、それを顔に出す奴じゃない。とりあえず、嫌そうな顔をするんだ、氷河は」
紫龍さんに そう言われて、星矢さんも納得した――のかな?
とにかく、星矢さんは紫龍さんに頷き返した。
「あいつくらい 誤解されやすい男もないよなー。昔は もう少し可愛げがあったんだけど」
「氷河は わざと誤解されようとしているんだろう」
「そうなんだろうけどさー……」
「どうしてです」

事情がわかっている二人だけで話を進めていく星矢さんと紫龍さんに口を挟み、挟んでから、俺は、俺ごときが黄金聖闘士同士の話の腰を折るようなことをするのは まずかったかと、内心で慌てた。
星矢さんは、そんなことを気にするふうもなく気さくに、俺の疑念に答えてくれたけど。
「んー、それはさ。へたに人と親密になって、そいつがいい奴で、崇高な理想があって、その理想の実現のために一生懸命で、でも 弱い奴だった時に 困ったことになるから――だろうな。黄金聖闘士つったって 万能なわけじゃない。守りたい人を、力及ばず守り切れないことだってある。氷河は 親しい奴や好きな奴を失いたくないんだよ。そういう経験を何度も繰り返してきたから。だから、基本的に人と付き合わないし、強い奴としか付き合わない。氷河の無愛想や 素っ気なさは、自己保身の一種で、氷河は 必死に自分の心を守ろうとしてる。氷河は……臆病なんだろうな、多分」

臆病?
氷河が臆病?
あんなに強いのに?
それで聖闘士をしてられるのか?
ただの聖闘士じゃない黄金聖闘士――氷河は、世界で最も強い人間(の一人)なんだぞ。

俺は 声に出して そう言ったわけじゃないけど、紫龍さんは俺の疑念をわかってくれたらしく、さもありなんっていう顔をして頷いた。
そして、俺の疑念に答えてくれる。
「氷河には、瞬がついているからな」
「瞬さん……?」
「『俺は運がいいんだ。俺をわかってくれて、守ってくれる仲間がいる』」
「え?」
「それが氷河の口癖なんだ。瞬にそう言うのが」
「その“仲間”ってのに、俺たちは入ってないって顔でな」
『でも、入ってることはわかってるんだ』って顔で、星矢さんが苦笑する。

そういう意味だったのか。
『運がいいから聖闘士になれた』って、氷河が言ってたのは。
俺に聖闘士になることを断念させるためじゃなく、俺を揶揄してたわけじゃなく、俺をからかってたわけでもなく――氷河は、本当に心の底から そう思ってるから、そんなことを言ったんだ。

「誤解されやすいというより、言葉が足りないんじゃないか、氷河は」
「それもある。で、誤解じゃない時もある」
言葉が足りなくて、でも、誤解じゃない時もある?
それって、どういう意味だ?
よくわからない。
わからなくて――俺は そういう顔をした。
星矢さんが、そんな俺に、
「普通の人間には、氷河はわかりにくいよなー」
と言って、溜め息をつく。
『普通の人間にはわかりにくい氷河を、でも、俺はわかってる』って顔。
実際、星矢さんと紫龍さんは わかってるんだろう。
あの わかりにくい氷河を。

なんかいいな――って、俺は思ったんだ。
こういう関係。
こういう友情。
うん、確かに 氷河は運のいい男なんだ。
この仲間たちがいなかったら きっと、氷河は 聖闘士として戦い続けることはできなかったに違いない。
特に 瞬さんがいなかったら、氷河は 自分の周りに敵を作りまくることになっていただろう。
聖闘士になって――黄金聖闘士は無理だろうけど、せめて青銅聖闘士になって、この人たちの仲間になりたいと、俺は 心から思った。

「俺、もちろん死ぬ気で頑張るつもりではいるんですけど、俺でも聖闘士になれるでしょうか? 俺は瞬さんみたいに優しくもないし、氷河さんみたいにクールでもないし……」
「氷河がクール?」
俺が聞きたいのは、俺が聖闘士になれるかどうか、その可能性について だったんだけど、星矢さんは ちょっと違うところに引っかかったみたいだった。
「聖闘士になれるかどうかは おまえ次第で、なるって決めて頑張るしかないんだけどさ。おまえ、クールじゃない氷河を見たら、自信を持てるか?」
「え?」
「クールじゃない氷河を見せてやる! 早く、宝瓶宮に行こうぜ!」
「はあ……」

星矢さんが 、やたらと楽しそうに そう言う。
俺は、なんか嫌な予感がしたんだ。
すごく嫌な予感がした。
でも、宝瓶宮に向かう道すがら、星矢さんが、
「聖闘士になるには、いい師匠につくことが大事なんだ。瞬に頼んでみろよ」
なんてことを言い出したもんだから、つい どぎまぎして、その嫌な予感を忘れてしまった。
「それは……そうしてもらえたら嬉しいですけど、黄金聖闘士に教えを乞うなんて、畏れ多いです」
「なに殊勝っぽいこと言ってんだよ。あの氷河の師匠でさえ黄金聖闘士だったんだ。全然 畏れ多くなんかないぜ。瞬は、誰かにお願いされたら 断れない奴だし。ああ、そこに咲いてる花を摘んで持ってって頼んでみろ。“お願い”する時には、手土産が必需品だからな。小さな健気な花に 願いの丈を託すんだ。瞬は そういうのに弱いから」

それは瞬さんなら 大いにありそうなことだけど、なんで星矢さんは こんなに楽しそうなんだ?
不安になって、俺は紫龍さんの顔を見上げたんだけど、紫龍さんは素知らぬふうで。
結局 俺は、星矢さんに言われた通り、道の傍に咲いていた小さな花を一輪 摘んで、宝瓶宮に向かうことになったんだ(というか、引っ張って連れていかれた)。
そこで氷河と瞬さんの姿を認めると、星矢さんが 俺より早く、俺の願い事を瞬さんの前で まくしたて始める。

「おい、瞬。こっちの坊主が、おまえの優しさと 華麗な戦い振りに感動してさ、聖闘士になる決意をしたんだと。ついては、可愛くて強くて綺麗な瞬さんに、ぜひとも手取り足取り いろいろ教えてもらいたいって言ってるんだけど、おまえ その余裕あるか?」
「オパリオスの指導を僕が? それは もちろん、構わないけど」
なんか、すごく あっさり 瞬さんが俺の“お願い”をきいてくれる。
あんまり簡単にOKの返事をもらえて、俺は夢でも見てるんじゃないかと思った。
で、瞬さんに ご指導を仰ぐのは俺なのに、肝心の俺が『お願いします』の一言も言ってないことに気付いて、用意してきた花を 急いで瞬さんに手渡したんだ。

「ほ……ほんとですかっ。ほんとに俺なんかの――あ、この花、どうぞ!」
黄金聖闘士の指導が受けられるなんて――しかも 瞬さんの指導を受けられるなんて!
それこそ天にものぼる気持ちになった俺が、滅茶苦茶 嬉しそうにしたのがよくなかったらしい。
「貴様、この身の程知らずが……!」
突然 氷河が、氷が凍るみたいな――いや、氷が凍りすぎて みしみし 軋んでるみたいに低く不気味な唸り声を、宝瓶宮の内に響かせる。
「え…… !? 」
氷河は怒ってる――ものすごく怒ってるみたいだった。
俺の“お願い”は 確かに図々しいものだったけど、でも、瞬さんがいいって言って、星矢さんが口添えしてくれたことなのに、なぜだ?

「せ……星矢さん。なんで 氷河は怒ってるんですか!」
「なんで? なんでって、そりゃあ、氷河は瞬に惚れきってるから、おまえの図々しいアプローチが癇に障ったんだろ。氷河の目の前で 瞬に花を贈るなんて、おまえ、すげー大物だなー。俺なら、そんな命知らずなこと、とてもじゃないけど 恐くてできないのに。それだけの度胸があったら、おまえは絶対 聖闘士になれるぞ。俺が保証する!」
氷河が瞬さんに惚れきってる?
氷河の目の前で 瞬に花を贈るなんて、すげー大物――って、そうしろと言ったのは星矢さんじゃないか!
なのに、自分は何も知りませんって顔で――黄金聖闘士のくせに卑怯だぞ!

てなことを思いつつ、動転しまくっている俺の前で、氷河の小宇宙が 途轍もない勢いで燃え上がっている。
冷たく――冷たく、燃え上がってる。
そして、世界中のお母さんの敵を見るみたいな目で、俺を睨んでる。
「ま……待ってくれ……! 違う、誤解だ! 俺は確かに瞬さんを好きだけど、そこまで うぬぼれてなんかいない……!」
俺の弁解は、おそらく氷河の神経を逆撫でするだけのものだったろう。
でも、多分、俺の弁解を、氷河は聞いていなかった。
氷河の両腕が ゆっくりと その頭上に掲げられ、俺は、蛇に睨まれたカエルみたいに身動きができず――。
そして、その数秒後、俺は絶対零度の氷の棺の住人になっていたんだ。

俺が氷の棺の住人になっていたのは ほんの1時間ほどだけ。
紫龍さんがライブラの聖衣の武器で棺を砕き、ほとんど死にかけていた俺を、瞬さんが その小宇宙で温め蘇生させてくれた。
瞬さんの解凍作業が、氷河の怒りを増幅させたことは言うまでもない。
氷河がクールだなんて、そんなのは とんでもない大嘘だった。



まあ、そんなこんなで。
結局、俺に聖闘士になるための指導をしてくれるのは、瞬さんじゃなく氷河になったんだ。
氷河の指導は、ほとんどいじめとしか思えないほど厳しくて、冷酷で、苛酷で――俺は 一日が終わり、眠りに就く時には毎晩、『今日も何とか死なずに済んだ』と神に感謝を捧げることになった。

で、それが いいことなのか 悪いことなのかは何とも言えないが、毎日 氷河に修行をつけてもらうようになって、俺にも少しずつ、氷河がどういう男なのかが わかるようになってきている。
要するに、氷河は、世界の中心に 瞬さんがいる男なんだ。
だから、瞬さんに特別な好意を抱いていることを感じさせる男に 容赦がない。
氷河は毎日、
「見どころがあると思うから、俺は 涙をこらえて、おまえを厳しく鍛えてやってるんだ」
と俺に言うんだが、それは絶対に嘘だと、俺は思っている。






Fin.






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