氷河は、それは見事な金髪と青い瞳の持ち主でした。 亡き父王も素晴らしい金髪の持ち主でしたが、母君の金髪が氷河の髪の金色に更に輝きを増したため、氷河の金色の髪は 建国の祖を彷彿とさせるほどのものと、国中の者が氷河の金髪を 口を揃えて褒め称えました。 ブルーアンバーの国は建国から そろそろ千年が経とうとしていましたから、建国の祖の金髪を見たことのある人間なんて、もちろん一人もいなかったのですけれどね。 ともかく、そういう事情で、ブルーアンバーの国民は その誰もが、氷河がブルーアンバーの王でいる限り、国の繁栄は確実と信じていました。 氷河はブルーアンバーの国の希望の星にして期待の星――いいえ、まさに太陽のような存在だったのです。 そんなブルーアンバーの国の王である氷河が、金色の髪も青い瞳も持たない平民に恋をしたのが、事件の始まりでした。 氷河の恋は、最初から、誰にも祝福されるものではありませんでした。 氷河の恋は、そもそも氷河の母君の死の葬列の後に続いてやってきたものでしたから。 氷河の金髪に更なる輝きを与え、その青い瞳を更に青くしてくれた氷河の母君が亡くなったのは、氷河が16歳の時。 氷河の母君は、ブルーアンバーの国で最も輝かしい金髪と、最も美しい青い瞳の持ち主で、つまり大貴族中の大貴族の家の令嬢でした。 そして 王に望まれて ブルーアンバーの王妃になり、王母になり――彼女は まさにブルーアンバーのトップレディ――ブルーアンバー第一の女性だったのです。 にもかかわらず――だからこそ?――彼女は国の福祉政策に専心し、特に親を失った貧しい平民の子供たちのための施設作りと制度を整えることに熱心でした。 彼女は ブルーアンバー国第一の女性でありながら、平民の孤児たちが暮らす施設に 実際に足を運び、子供たちの世話をすることさえしていたのです。 その王妃様が病で亡くなられた時、母君を心から愛していた氷河は、都を望む丘の上に、王室の霊廟とは別に母君のためだけの特別に美しい白亜の霊廟を建てました。 そして、毎日 その霊廟に通い、優しく美しかった母君の面影を偲んでいたのです。 そんな日々を過ごしているうちに、やがて 氷河は気付きました。 氷河が 夕刻に遠乗りがてら霊廟を訪れると、その入り口の脇に毎日必ず 一輪の花が供えられていることに。 それが本当に毎日で、自分以外にも これほど母の死を悼む者がいるのだと知り、氷河はぜひ その人に会いたいと願うようになったのです。 供えられているのは 素朴な野の花、供えられている場所は霊廟の中ではなく 入り口の脇。 おそらく 毎日 その花を供えているのは、霊廟の中に入ることが許されていない平民で、しかも かなり貧しい人物です。 ブルーアンバーの国王が気安く接していいような相手ではありません。 けれど、そんなことが何だというのでしょう。 確かに、その人は 金色の髪も 青い瞳も持っていないかもしれません。 けれど その人は氷河と同じように、大切な人を失った悲しみと 美しかった人を悼む心を持っている人、思い出が美しすぎて、喪失の痛手が深すぎて、あの美しかった女性をいつまでも忘れられずにいる者同士。 身分の違いなど無視して、その人と、美しかったひとの思い出を語り合いたいと、氷河は強く願ったのです。 そこで、氷河は ある日、いつもより早めに母君の霊廟に向かい、そこで問題の人物を待ち伏せすることにしました。 その手に一輪の花を持って、今は亡き王妃の霊廟に やってきたのは、いかにも貧しげな身なりをした、氷河より1つ2つ年下らしい痩せっぽちの一人の少女(実はそれは誤認で、氷河は 後に 彼女は 痩せっぽちの少女ではなく 痩せっぽちの少年だと知ることになったのですが)。 それが、瞬でした。 瞬は、突然 目の前に現れた 一目で貴族とわかる人間に驚いて、その場から逃げ出そうとしたのですが、氷河は もちろん瞬を逃がしたりはしませんでしたよ。 怯える瞬に、自分は この国の王で、亡き王妃の忘れ形見だと告げると、瞬はすぐに氷河を恐れる気持ちを打ち消してくれました。 「貴族は 僕たちを見下してて威張っていて恐いけど、あの優しかった王妃様のご子息なら、あなたも とても お優しい方なんですよね」 そう言って。 氷河が優しい心の持ち主であることを微塵も疑っていない様子で そう告げる瞬を見て、氷河は 心から亡き母の優しさに感謝したのです。 もし氷河の母君が優しい心の持ち主でなかったら、氷河は この可憐な花に避けられ逃げられていたかもしれなかったのですから。 瞬との出会いは、美しく優しかった母からの贈り物なのに違いないと、氷河は思いました。 瞬は、氷河の母君が作った救貧院に暮らしている孤児で、氷河の母君には特に優しくしてもらったのだと、氷河に言いました。 あの優しい王妃様に もう会うことができないなんて 悲しくてたまらないと、涙を流し 肩を震わせて訴える瞬の様子は、氷河の心を強く揺さぶりました。 誰よりも愛する人を失って、同じように悲しむ者同士――ということもありましたが、瞬は 素晴らしく澄んで清らかな瞳の持ち主で、その面差しも、氷河が知る限り、母君を除けば おそらく国中で最も美しいと断言できるほど清楚。 瞬が身に着けているのは簡素な麻の短衣一枚きりでしたが、それは かえって瞬の清らかさや優しさを強く印象づけるもので、氷河は むしろ自分が身に着けている金糸銀糸の贅沢な衣装を仰々しくて みっともないとさえ感じたのです。 全く何も着飾っていない瞬は、澄み切った泉のように自然で美しく、金や宝石で装飾された服で我が身を飾っている自分は、せっかくの澄んだ泉に 毒々しい色の絵の具を流し込んで かえって泉を汚してしまっている馬鹿者に思えました。 そんなふうに感じることは、氷河には初めてのことだったのですけれど。 ブルーアンバーの国の王である氷河はもちろん金髪碧眼。 氷河が幼い頃に亡くなった父王も、氷河が愛してやまなかった母君も そうでした。 お城の中を闊歩している貴族たちも、その金色や青色には結構な差異がありましたが 基本的に金髪碧眼です。 ブルーアンバーの国の王宮で、栗色や黒色の髪や瞳をしているのは、官位のない兵卒や召使い、下働きの者たちだけでした。 その上 氷河は、自分の母君こそが世界でいちばん美しい人だと信じていましたので、金色の髪と青い色の瞳の持ち主こそが美しく優れているというブルーアンバー国の価値観に、これまで一度も疑いの念を抱いたことがなかったのです。 金髪碧眼でない人間は、醜いとまでは言わないまでも、美しくはないと信じていました。 けれど、瞬の瞳は、青くはないのに 奇跡のように澄んでいて、瞬の髪は 金色ではないのに やわらかく美しくて、触れずにいることが つらく感じられるほど。 氷河は、さほどの時を置かずに、すっかり瞬に心を奪われてしまいました。 瞬は、氷河の目と心に、陽光より まぶしく、青い空より清々しく、花よりも可憐で美しく、春の微風よりも優しく映り、感じられました。 瞬は、貴族の傲慢もなく、浅ましい欲もなく、ブルーアンバーの国王だからではなく、優しい王妃様と同じ優しい心を持っているから(事実はどうあれ、そう信じて)、氷河を好きになってくれたのです。 瞬に会うたび、その瞳を見詰め、その瞳に見詰められるたび、その声 その言葉を聞くたび、その思い遣りに満ちた心に触れるたび、瞬に対する氷河の思いは 強く深く激しくなっていったのです。 なのに、瞬の髪は金色ではなく、瞬の瞳は青くない――。 できることなら、瞬を城に連れていって、いつも側に置きたいと――いいえ、いつも側にいてほしいと、氷河は思いました。 けれど、金色の髪も青い瞳も持っていない瞬を 城に連れていったなら、氷河は瞬を召使いとして遇さなければならなくなります。 王が、自分の命より大切に思っている人なのに! 氷河は瞬を強く抱きしめ、瞬に深く口付けたかったのです。 それは お城でなくてもできますし、実際 お城の外では そうしていたのですが、氷河は瞬と離れていることが不安でした。 瞬は綺麗で優しくて、氷河でなくても 瞬に好意を抱く人間はいくらでもいるでしょう。 誰かが横から瞬を さらっていくことがないとは限りません。 人目を避けて こそこそ会うことしかできない不便な恋人に、瞬が愛想を尽かさないとも言い切れません。 そんなふうにしか会えない二人の関係を悲しみ、苦しむようになるかもしれません。 瞬自身には何の非もないことなのに。 たまたまブルーアンバーの国の王に愛されてしまったせいで。 氷河は、瞬への思いを公にすることのできない自分が腹立たしく、瞬の価値を認めようとしないブルーアンバーという国のありようが 恨めしくてなりませんでした。 それでも2年。 2年間、氷河は そんな状態に耐えたのです。 金髪碧眼の貴族たちが のさばり返っている王宮で、瞬が 傲慢な貴族たちに 召使いとして 顎で使われることだけは我慢できそうになかったので、瞬を お城に入れることなく、離れて暮らす日々を2年間。 平民だけの社会でなら、美しく優しいだけでなく 賢くて理解力にも優れている瞬は、何をしても成功するだろうと思われました。 それが、瞬を自分の側に呼び寄せることを氷河にためらわせる理由の一つでもあったのです。 平民だけの社会でなら、瞬は その価値を認められるのだと思わざるを得ないことが。 自分にとって誰よりも大切な人を、下賤の者と見下されるのは不愉快極まりないことです。 ブルーアンバーの王は、瞬を、自分より貴く価値ある者だと思っているのに、その瞬を 他の者たちが見下すなんて、到底 我慢できません。 ですが、金色の髪も青い瞳も持っていない瞬を貴族に列することは、国是に阻まれて、国の王である氷河にもできることではないのです。 瞬の存在を、その髪の色や瞳の色のせいで無価値とする この国の価値観に、氷河は怒りを禁じ得ませんでした。 ですが、それは、ブルーアンバーの国で千年近く守られてきた金科玉条、規矩準縄。 氷河の一存で変えることはできません。 そんなことをしたら、氷河は 彼がブルーアンバーの国王でいることの根拠を失いかねず、また、いざという時に瞬を守るために発動できるかもしれない国王の大権を放棄しなければならなくなるかもしれないのです。 長い間 守られてきた決まりを王の一存で変えることは、王の横暴もしくは乱心と捉えられ、国民の期待を裏切り、不安を煽り、最悪の場合には国の乱れを招くことにもなるかもしれません。 瞬に出会うまでは考えたこともなかった それらのことを考えることは、自分の王位は どこまでも金髪碧眼のたまもので、その才や努力で得たものではないのだという事実を、氷河に思い知らせるものでした。 |