それにしても綺麗な子――すんごく綺麗な子。
造作もだけど、なめらかな肌と、何より その瞳。
嘘みたいに澄みきってて――澄んでるのに、それは冷たい泉の水面みたいじゃなく、温かくて優しい。
無垢に見えるのに、確かに理知の光がある。
こんな人間、滅多にいない――ううん、きっと、この子の他には一人もいない。
すごい美形なのよ。
でも、何ていうか、普通の美人、美少女とは何かが違う
どう言えばいいのか――妖精めいてるっていうか、天使みたいっていうか。
バーに来るからには成人してるんだろうけど、やっぱり10代に見える。
なのに、その言動は、氷河より はるかに物のわかった大人のそれ。

センスもいいわ。かなり特殊だけど。
この子が白いシフォンのドレスや、フリルやリボンで飾られたドレスを着たら、それこそ ただの途轍もない美少女になってしまう。
スーツだから、独特の雰囲気をかもし出して、この子を不思議な何かにしてる。
興味を引くっていうか、存在してないようで、ものすごい存在感があるっていうか――ほんと、どう言い表わせばいいんだろう。
とにかく、氷河の瞬は 特別な生き物だった。
その姿を人間に見られてしまったせいで、妖精の世界に帰れなくなってしまった妖精。
でなければ、地上に下りて人間に接してしまったせいで、天上に帰れなくなってしまった天使。
なのに、それでも やっぱり人間。
人間であることが、奇異に思える人間――人間。

この特殊な人間の天使様は、けど、普通の人間であるところの氷河よりずっと、人間界の礼儀を心得てるみたいだった。
いろいろ気まずいのに、どうしても その場から立ち去れずにいる私に、礼儀正しい天使様は、
「氷河。この方に、お詫びに1杯、ご馳走してあけて」
って、優しい声で言ってくれたの。
天使様の指示が、人間の氷河には大いに不満だったみたいだけどね。
氷河は、もはや取り繕う気もなさそうな様子で、その唇を への字に ひん曲げた。
今日の氷河は、本当に表情が豊かだわ。

「そんな顔をしないで。氷河が失礼なことをしたんだから」
「何が失礼だ。俺は おまえと二人きりで過ごすために、わざわざ店を休業にして、おまえを待ってたのに、そこに闖入してくる方が よっぽど失礼だろう!」

うん、まあ、氷河の言い分はわかる。
数日前から、今日は誰も来るなって、事前告知の張り紙までして、氷河は、周知徹底に努めてたんだものね。
少なくとも 氷河の綺麗な顔に いかれて店に通い詰めてる女の子たちは、今日は ここには来ないはずだった。
たまたま私が探偵業の神様に愛されてたせいで、こんなことになっちゃったのよね。
その点には同情する。
でも、その言い分は言わずにいた方がよかったみたい。
氷河の苛立った声に、瞬は その瞳を見開いた。

「やっぱり、そうだったの? いつ来ても、氷河のお店にお客様がいたことがないから、氷河のお店は大丈夫なのかって、僕、ずっと心配してたんだよ」
「それは――おまえのために店を休みにしていると知ったら、おまえが心配するかと……おまえが遠慮して来てくれなくなるかと思ったんだ」
それは子供じみた言い訳だったけど、ほんとのことなんだろうな。
氷河は、氷河なりに配慮したつもりなんだ。
自分が(・・・) 瞬と楽しい時を過ごすために。

「お客様がいない方が心配なのに決まってるでしょう」
瞬が、無情にも あっさり、氷河の配慮の無効を断言。
そして、瞬は、
「どうぞ、お入りください。今日は、臨時休業じゃなく臨時営業にします」
って言って、私に にっこり笑いかけてくれた。

やっぱり、天使めいてる。
というか、人間らしくない。
優しげで親しみやすいのに、清らかすぎて気後れするっていうか――。
邪気がなくて可愛いのに、所作に無駄がなく、隙もない。
成人しているようには見えないのに、“身内より他人に気を配る”っていう大人の対処もできる。
さりげなく手を差しのべて、カウンター席に私を招いてくれるあたりは、氷河よりずっと接客業向き。
華奢で、すべすべの手。
細くて、しなやかな指。
この子が成人して 何かの職に就いてるとして、この手はどうだろ。
こんな手でいられる仕事って何。
イメージ的にはピアニストの手なんだけど、実際のピアニストの指は、骨間筋が発達してて、結構 ごついのよね。
ピアニストじゃあ ない。

「あの……このお店、普段はお客様がいるんですか」
ピアニストでも人間でもない美少女が 私の隣りの席に座って、私に尋ねてくる。
氷河は カウンターにも入らず、フロアの脇で むすっとしてて、私が邪魔で仕方がないって顔。
でも、無視よ無視。
知るもんですか。
こんな上得意の顔も覚えてくれないような男の都合なんか。
「ええ、それはもう。毎晩、女の子たちが席取り合戦するくらい。氷河は群がる女の子たちを整理するのに、いつも気を配ってくれてるわ」
――ってのは もちろん、いつも客を放っておく氷河への当てつけ。
そして、瞬に探りを入れるための発言でもあった。
瞬からは、気が抜けるほど のんびりした答えが返ってきただけだったけど。

「よかった。僕、本当に、このお店、いつ潰れてしまうのかと心配してたんですよ。僕は お酒は あまり飲めないので、いい客にはなれないし」
氷河が女の子に もてまくってるって聞いても、瞬は表情を変えない。
動じる様子も、案じる素振りも見せない。
ってことは、この天使様は氷河の恋人って わけじゃないのかしら。
でも、だとしたら、他に 可能性がある?
どういう場合が考えられる?
血縁ではないわね。
人間と天使が血縁同士なわけがない。

んー。
ここは、ぜひとも ジンジャーの利いたモスコー・ミュールでも飲んで、頭をすっきりさせて考えを整理したいところ。
ほら氷河、あなたの出番よ。
氷河に仕事をしてもらおうと思って、私は氷河のいる方に視線を巡らせた。
その私の視線を捉えて、まだカウンターに入らずにいた氷河が、
「おい」
って、偉そうに顎で私を呼びつける。
いったい どんな内緒話をしてもらえるのかと 意地の悪い期待をして、私は席を立った。






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