- エピローグ -






店に残っていた客たちは、事の顛末を教えてもらえないことには不満そうだったが、無表情、無感情、無感動、無愛想で売っていた この店の主に恋をする能力があったという貴重な情報を得たことで、不満を相殺してくれたらしい。
彼等は皆 上機嫌で帰っていった。
誰もいなくなったバーのカウンターで、氷河が――氷河だけが――不満そうな顔をしている。

「俺はおまえ以外の女に色目を使ったことはないぞ」
それは 言い訳なのか、憤りなのか。
瞬は縦にも横にも首を振ることができず、小さな吐息だけを 彼に返した。
「それは わかってるけど……。でも、氷河に普通に見られただけでも、女の人は誤解するよ。期待するって言った方がいいかな」
「同じことが また起こる可能性があると思うのか? 俺はもうご免だぞ。俺以外の男の口から あんな話を聞かされるのは」
「氷河に相手にされないことに腹を立てることができるのは、よほど自分に自信のある人だけだから、今回みたいなことは そんなに頻発はしないと思うけど」
「女は皆、自信家で、うぬぼれ屋だ」
「そうなの? 僕は女性心理には詳しくないから、よく わからないんだけど」
「俺は もっと詳しくない」

ここで氷河の発言の矛盾を指摘しても、状況が ややこしくなるだけである。
瞬は しばし考え込んで、氷河に 一つの提案をした。
「僕の病院の泌尿器科の診察券を作って、氷河に迫ってくる女性に それを見せるようにするっていうのはどうかな。ご期待には添えない身体ですって」
「……」
無表情、無感情、無感動、無愛想が売りの氷河が、その提案に絶句する。
さすがの氷河も、その提案の衝撃から立ち直るには、5秒以上の時間を要した――僅か5秒で、彼は立ち直ってみせた。
「医者だけあって、えぐい策を思いつくな。いい手だ」
「えっ」
氷河は、それで構わないらしい。
氷河の答えに、今度は瞬が絶句し 呆れることになったのである。
氷河は、他人のことを気に掛けないが、自分自身のことも気に掛けない。

「でも、それでも諦めない人がいたら、その人を僕に会わせて。僕が どうにかするから」
「催眠術でもかけるのか? 俺には 熱愛する恋人がいるから諦めろと」
「まさか。僕は催眠術なんて かけられないよ。さっきのは、ただの はったり」
「はったり?」
氷河は本気で瞬が催眠術を使えるのだと思っていたらしい。
微笑んで種明かしをする瞬に、彼は肩をすくめてみせた。
「なんだ。おまえが催眠術を操れるのなら、俺を おまえを抱けなくても我慢できる男に変えてもらおうと思ったのに」
「それは、絶対に嫌」

氷河の望みを、瞬は言下に きっぱりと退けた。
その断固とした声音に、氷河が一瞬 大きく 瞳を見開く。
そうしてから、瞬が抱きしめ温めてやりたい孤独で臆病な魂の持ち主は、嵐が去ったあとの青空を見上げる子供のように嬉しそうに、その瞳を明るく輝かせた。






Fin.






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