「アテナ神殿に行け。そして、アテナに祈れ。聖闘士は無理でも、アテナは おまえに おまえが生き延びるための術を授けてくれるだろう。彼女は酔狂な神だ」
この人は、神じゃない。人間。
自信に満ちていて、力と覇気にあふれている人間。
綺麗で強い人。
「聖闘士になれば、僕は あなたみたいに強くなれる?」
「なれたらな。おまえには無理だろう。聖闘士になるのには、つらい修行に耐える必要がある。そこまで無理をする必要はない。今は とにかく、生きる力と術を――」
「僕に強くなれって言ったのに、今度は無理はしなくていいって言うの」

こんなに正面きって 大人に口答えするなんて、僕、これが初めて。
僕の綺麗な人は、一瞬 むっとした顔になって――でも笑った?
綺麗な青い瞳。
ずっと この瞳に見詰められていたい。
でも きっと、僕が泣いて死を待つだけの子供でい続けたら、この瞳は 僕を見ることもしなくなるだろう。
だから。
だから、僕は決めたんだ。
「僕は聖闘士になる」
って。
「おい。そこまで無理はしなくても――」
「僕は あなたみたいになりたい。神様とも戦えるくらい強い人間になりたい。兄さんのために」

死ぬことは恐くない。
それは、生きていることより ずっと楽な生き方だ。
でも、兄さんを悲しませることは――僕、それは恐いよ。
それだけはできない。
だから、僕は聖闘士になるんだ。
この人と同じものになるんだ。

僕の決意は固かった。
もしかしたら 僕は本当は 死にたくなんかなかったのかもしれない。
生きていたかったのもしれない。
何のために生きればいいのかが わからなくて、迷っていただけで。
その目的を、この人は僕にくれた。
僕の綺麗な人は、僕の決意が変わらないことを わかってくれたみたいで、それ以上 『無理をするな』って言うことはしなかった。
そして、非力な子供を見る目じゃない目で 僕を見て言った。

「俺の名は氷河だ。おまえが聖闘士になれたら、聖域に来い。褒めてやろう」
「聖域……?」
聖域って何? どこにあるの?
僕は、僕の綺麗な人に――氷河に――訊こうとしたんだ。
でも、その時にはもう、氷河は僕の前にいなくて――僕は 古い神殿の前に、元の通りに一人でぽつんと座っていた。

今のは夢?
僕は、夢を見ていたの?
白い空間は消えてしまっていた。
エティオピアの都の上の空は、僕の悲しみも孤独も知らぬげに 真っ青。
けど、僕が あの人からもらった希望のことを知ってるみたいに 晴れて青かった。
同じ空なのに、それは見方一つで全然違うものになる。
きっと、夢も同じだね。

氷河の姿は もうない。
あの 綺麗で恐くて優しい人は、もう そこにはいなかった。
でも、自分がこれからどうすればいいのかはわかっていたから――氷河が教えてくれたから――僕は立ちあがったんだ。
これから僕が過ごす、すべての時間。
これから僕が経験する、すべての試練。
これから僕がする、すべてのこと。
それらが 僕を氷河の許に運ぶためにあるんだっていうことが、僕には わかっていた。






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