一度は、生きること、戦うことを放棄した氷河が、実力的には劣っていたにもかかわらず、蠍座の黄金聖闘士を退け、水瓶座の黄金聖闘士を倒すことができたのは、もちろん 彼の奉じる女神が真のアテナだったから――だったろう。 そして、自分の命が瞬によって復活を果たしたものだという事実。 瞬が命をかけて守ったものが無価値なものであってはならないという願い。 自分という人間は 自分一人で生きているものではなく、仲間たちによって生かされているのだという思い。 その思いが生む力、強さ、希望――。 そういったもののためだった。 アテナに従う アテナの聖闘士たちは、自らの信じるもののために、命がけで戦い、勝利した。 聖域が陥っていた誤謬を正し、聖域を 正当なアテナが統べる地とし、そこに あるべき秩序を取り戻したのである。 それは、地上世界の平和を守り、その世界に生きる人々を守ることでもあった。 とはいえ、聖域での戦いが終わってからも、地上の平和を脅かす新たな敵たちは アテナの聖闘士たちの前に現われ続け、彼等は彼等の戦いを戦い続けなければならなかったのだが――アテナの聖闘士たちの戦いは、いつまでも終わることはなかったのだが。 それらの戦いは どれも、決して易々と勝利できるようなものではなかった。 それでも、アテナの聖闘士たちは それらの戦いのすべてに かろうじて勝利を収め、地上の平和を守り続けることができた。 彼等を常に勝利者としたものは、彼等の――アテナの聖闘士たちの――絆の強さだったろう。 絆といっても、それは、自分の危地には必ず仲間が手を差しのべてくれるというような甘い思いでできているものではない。 それは、自分が死んでも仲間の誰かが、仲間たちが死んだら自分が、世界を守る。そして、必ず勝つ――という信頼でできている絆だった。 厳しく、だが とても美しい絆。 アテナの聖闘士たちが対峙する戦いは どれも つらく苦しいものだったが、その つらく苦しい戦いを重ねることで、アテナの聖闘士たちの信頼と絆は 一層強固なものになっていったのである。 中でも、瞬に対する氷河の信頼は特別のものだった。 自らの命をかけて 仲間の命を救ってくれた人に、信頼や感謝の気持ちを抱くのは 至極自然で当然のことである。 瞬に対して、不信など抱きようもない。 氷河にとって、瞬は 特別な仲間だった。 強く優しく温かく、その上、清らかで美しい。 時折 優しすぎて 弱さを露呈することもあったが、氷河は それを瞬らしいと思うことはあっても、直すべき欠点だとは思わなかった。 氷河は、瞬のすべてを肯定した。 瞬には 常に誠意をもって接し、氷河自身 あまり上手にできていると思うことはできなかったが、可能な限り 優しく親切に振舞うことを心掛けた。 瞬に対しては 疑いの心など 毫も抱かない。 たとえ 殺されることになっても、信じ続けることのできる仲間――誰よりも大切な仲間――特別な仲間。 氷河は、瞬に対しては 常に至誠を尽くした。 もっとも 瞬は、自分が白鳥座の聖闘士に そんなふうに特別扱いされることを喜んでいる様子はなく、むしろ当惑の気持ちの方が強いように見えたが。 瞬は、自分が その命をかけて白鳥座の聖闘士の命を救ったことを、そこまで重い行為だったとは考えていないのだろう。 自分は、命をかけた戦いを共に戦う仲間に対して 当然のことをしただけだと、瞬は思っているのだ。 だから、自分に対する白鳥座の聖闘士の特別の感謝の念を、瞬は 居心地悪く感じている――おそらく。 氷河に 特別扱いされることを、瞬は むしろ悲しく思っているようで、氷河に優しくされると、瞬は その瞳に涙を浮かべさえした。 氷河の振舞いに、瞬は傷付いてさえいるようで――瞬に悲しげに『ありがとう』と言われるたび、氷河は、瞬を特別な仲間だと思う気持ちは表に出さない方がいいのだろうかと迷うことになったのである。 迷って――氷河は 結局、結論に至るどころか、迷うこと自体を放棄するのが常だったが。 氷河にとって 瞬は、どうしても――瞬に どう思われようと――特別な仲間だったのだ。 それは 動かし難い事実なのだから、瞬を特別と思う気持ちを隠すことは、瞬に嘘をつくことになる。 瞬に対して そんな不誠実を為すことは、氷河にはできなかったのである。 そんな日々の中――。 氷河は、時折 思った。 天秤宮で、瞬の命を取り返すために、自分が あの声の主に捧げた“いちばん大切なもの”は何だったのだろうか――と。 命ではない。 希望でもない。 勇気でも、聖衣でも、小宇宙でも、友情でも、人を信じる心でもない。 それらは すべて、今も氷河の許にあった。 それ以外の何か――失ってしまっても、それが何なのか わからぬほど ささやかな何か。 そんなものが、人の生死を自在にできるほどの者に、それほど価値あるものだったのだろうか。 それが、氷河には わからなかった。 どれほど 戦いを重ねても、どれほど時を重ねても。 |