和解成立後、星矢が語ったところによると。 彼はギリシャの聖域で、知恵と戦いの女神アテナに従い、地上の平和を守るために戦う聖闘士というものをしている――ということだった。 聖域には、瞬や氷河と同じような力を持つ者が大勢いて、地上と地上に住む人間を滅ぼそうとする邪神と戦う術を身につけるために、日夜 技と力を磨いている。 力を持つ者の情報が聖域に もたらされると、聖闘士が その人物をアテナの許に招くために派遣されることがあり、今回の星矢がそう。 正義の味方である聖闘士の存在が大っぴらになっていないのは、異教徒――特にキリスト教徒との摩擦を避けるため。 キリスト教徒にとっては、ギリシャの神と その神に仕える者は異端であり、まかり間違うと、力を持つ者と持たない者の間に対立を生む危険があるから。 とはいえ、アテナは、言ってみれば自然発生的な自然宗教の神であり、人為的に作られた倫理宗教の神とは、そもそもの質が違うもので、その二者は対立し合うものではない。 ――そういったことを、星矢は瞬と氷河に語ってくれた。 星矢の話を聞いた瞬が、もしかしたらと一縷の希望を抱いて 兄のことを尋ねると、聖域には確かに瞬の兄と同じ名の聖闘士がいると、星矢は答えてきた。 答えてすぐ、奇妙に眉根を寄せる。 「でも、聖域にいる一輝は全然 おまえに似てねーぜ?」 「じゃあ、間違いなく兄さんだ!」 「へ」 似ていないと言われた途端に、それが兄だと嬉しそうに断言する瞬の横で、氷河も眉根を寄せる。 瞬に行方知れずの兄がいることは聞いていたのだが、氷河は、瞬の兄は 当然 瞬に似て目許涼やかな白皙の美青年なのだろうと決めつけていたのだ。 「そーいや、一輝の奴、自分には滅茶苦茶 可愛い弟がいるとか言ってけど……。その弟が 変な神に つけ狙われてて――その時が来たら、いずれ自分のものにするとか何とか言う神に会ったんだと。で、その場で、弟を守る術を手に入れなきゃならないって決意して、その方法を探す旅に出て、聖域に辿り着いたとか言ってた。弟を放ったらかしにしてきたのかよって訊いたら、俺の弟は軟弱じゃないから、一人でも大丈夫だとか言ってさあ」 「兄さんらしい……」 遠い異国の軍隊の兵士になっていても、海賊として大海原を冒険していても、生きていてくれさえすれば――と願っていた兄が生きていてくれた。 嬉しくて――瞬は それ以上のことを望むことはできなかったのである。 生きていてくれさえすればと願っていた兄が生きていてくれたのだ。 他に何を望むことがあるだろう。 「あの一輝の弟が 神に目をつけられるくらいの美形だなんて、んなこと絶対にありえないから 話半分で聞いてたけど、確かに おまえなら神も目をつけそうだな。あんな強い力を持ってるのに、全然 そう感じさせないってのも、聖闘士としては かなり特殊だし」 「……」 間男疑惑が晴れたと思ったら、今度は瞬をつけ狙う神の出現。 氷河の眉間の皺は 更に深くなった。 その上。 「おまえは 聖域に来るのが いちばん安全だと思うけど、一輝は 弟は戦いに向いていないとか言ってたし、おまえを男つきで聖域に連れ帰ったら、激怒した一輝に 俺が殺されそうだし、どーしたもんかな」 「そんな、まさか激怒だなんて」 「するだろ。一輝は、おまえを守るって決意したら、肝心の おまえを放っぽり出して修行の旅に出ちまうような、超短絡的で直情的な男だ」 その上、単なる“弟思い”の一言では片付けられないような、瞬の兄の存在。 氷河の眉間の皺は、更に更に深くなった。 「聖域に行くったって、そんな急には……。あ、でも、真珠畑に 村の人たちが通えるように水流の隙間を作って、それをみんなに教えておけば、僕がいなくなっても どうにかなるかな……」 急に村を離れることはできないようなことを言いながら、瞬の心は 既に兄のいる聖域に飛びたっている。 その様を見て、氷河は思い切り不愉快になった。 「俺は行かないぞ。聖域なんて、そんな得体の知れない神だの聖闘士だのがいるところになぞ」 「えっ……」 瞬は、氷河が そんなことを言い出すとは思っていなかったらしい。 それでなくても大きい瞳を 更に大きく見開いて、瞬が不思議そうに、悲しそうに、氷河を見詰めてくる。 その眼差しに出会って、氷河は絶望的な気分になってしまったのである。 氷河はもちろん、自分を思ってくれる瞬の心に対して、どんな疑いも抱いていなかった。 瞬は確かに、自分に恋をしてくれていると思う。 だが。 瞬は、恋をすることはできるのに、恋がどういうものであるのかを まるでわかっていない。 恋を生む力は持っているのに、その力が どこから生まれ、どういうものであるのかを、全く わかっていない。 恋をしている男には、神も 恋人の兄も邪魔者でしかないという、改めて考えるまでもない事実を、瞬は全く理解してくれていないのだ。 恋をした弱みで、結局 自分は瞬の望みを叶えてやるしかないのだということがわかるから、氷河の心はやるせなかった。 Fin.
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