氷河の屋敷で 再び かぐや姫の話題が出たのは、彼等5人が藤見と鮎釣りを楽しんだ日の数日後。 話を持ち出したのは、今度は星矢ではなく、かぐや姫に全く興味がないように見えていた氷河その人だった。 「何が光り輝く かぐや姫だ! どうせ目も当てられないほどの不細工女に決まっている! 饅頭に目鼻なら まだまし、せいぜい潰れた豆腐くらいの女に決まっているんだ!」 例によって、星矢たち4人が氷河の屋敷に赴いた その日 その時、氷河は激昂の真っ最中だった。 怒髪天を衝いて 友人たちを迎えた氷河に、星矢たちは たじたじとなってしまったのである。 が、彼等は――少なくとも星矢は――“屋敷の主が不機嫌だから 後日出直す”などという殊勝さは持ち合わせていない男。 むしろ何か楽しい話が聞けそうだと 期待に胸を膨らませて、星矢は氷河に尋ねていったのである。 「いったい何を そんなに怒ってんだよ。かぐや姫が どうかしたのか?」 「どうかしたも こうしたも、あの馬鹿帝!」 氷河の激昂の原因は かぐや姫――ではなく、かぐや姫に興味津々の彼の異母兄――つまり、帝だった。 何でも今朝方 氷河は、菖蒲酒の宴を張るという帝に呼びつけられて、嫌々ながら内裏に赴いたらしい。 その宴の席で、菖蒲酒を きこしめした帝が、昨今 都で噂に高いかぐや姫を ぜひとも宮中に招き入れたいと言い出したのだそうだった。 「俺は、がっかりするのが落ちだから やめておけと言ったんだ。どんな姫も、瞬より綺麗なはずがないと。そうしたら、あの馬鹿帝、それは かぐや姫を見てみなければわからないと、阿呆なことを言い出しやがった。そんなことは、わざわざ見て確かめるまでもないことだというのに!」 「氷河、あのなー……」 帝も馬鹿だが、帝の前で そんなことを言い張る氷河も賢いとは言えない。 どれほど美しくても、瞬は男子。 氷河以外の普通の男には、男が女より綺麗でも 有難くも何ともないのだ。 「俺が親切に忠告してやったのに、あの馬鹿帝は、都中で噂になるほどの姫が不細工なはずはないと、訳のわからないことを言い張り続けるんだ。あげく、『そなたの“瞬がいちばん”は聞き飽きた』ときた! 俺は事実を言っているだけなのに、あの帝は それを認めようとしやがらない。かぐや姫とかいう不細工女の顔も見たことのない奴が、かぐや姫は 瞬より綺麗だと言い張るなんて、馬鹿の極致。そんな馬鹿な噂に踊らされた阿呆共に 不当に貶められる瞬の繊細な心は どれほど傷付いていることか。俺は、この命にかけても、瞬の心と名誉を守らなければならん!」 「え? 僕は そんなこと、別に……」 瞬自身には、かぐや姫と争うつもりも競うつもりもないのに、氷河はなぜ そんな話に“繊細な”瞬を巻き込むのか。 ここは、どう考えても、氷河に同調する場面ではなく、瞬に同情すべき場面である。 「氷河、本当に帝の前で そんなことを言ったの……」 ほとんど泣きそうな顔になっている瞬に、星矢は――紫龍も――大いに同情した。 一輝だけは、氷河への怒りの方が勝っているらしく、悪鬼のごとき形相で 氷河を睨みつけ、ぎりぎりと歯噛みをしている。 たった今 一輝が、一応 臣下の身で、皇族の氷河に殴りかかっていっても、星矢と紫龍は彼を押しとどめようとはしなかったに違いない。 だが、男同士の醜い争いは起きないに越したことはないので――星矢は とりあえず、氷河を なだめにかかったのだった。 「んなことで、いちいち 腹を立てたりすんなよ。おまえだって、かぐや姫の顔を拝んだことはないだろ。顔を見たことのない お姫様と瞬を比べて、かぐや姫より瞬の方が綺麗だって言い張ってる おまえだって、帝とおんなじなんだから」 「そんなことは見なくてもわかる」 「おまえと おんなじことを、帝も思っているのかもしれないじゃん。おまえと帝は、結局 同じ穴のムジナなんだ」 「俺と、あの馬鹿帝が同じだと!」 星矢の言は、氷河の怒りを静めるどころか、全く逆の方向に作用した。 竹取の翁の張った罠に自ら足を踏み入れようとしている帝と同じと断じられて 更に怒りを増した氷河は、その怒りに任せて、 「その 光り輝く姫とやらのツラを見てやる! そして、そんな得体の知れない女より 俺の瞬の方が はるかに美しいことを確かめてやる!」 と言い出したのだ。 「何が、俺の瞬だ! いつから瞬が貴様のものになった!」 そこに引っかかる一輝の気持ちは わからないでもないが、今 瞬の所有格の件で一輝と氷河に 争われては、話が ややこしくなる。 それまで星矢と氷河の やり取りを苦笑しながら眺めていた紫龍が、慌てて仲間たちの間に割って入り、氷河を諌め始めた。 「かぐや姫の顔を見ようなどと、そんな馬鹿なことを考えるのは やめておけ。竹取の翁は、どれほど大金を積まれても、誰にも姫を会わせようとはしないそうだ。金に目が眩んで 余人と姫との対面を許し、かぐや姫の容貌が 実は大したことがないと世間に知れたら 一巻の終わりだということを、翁は承知している。かぐや姫との対面を願い出ても、貢ぎ物を かすめ取られるだけ。翁の屋敷を明るくする脂代を提供するだけだ。おまえは 女に言い寄ったことがないから知らないかもしれないが、そもそも貴族の姫に対面を願い出るということは、その姫に求婚するということだぞ。おまえ、その辺りのことが わかっているのか」 「それくらいのことは、俺だって知っている! そんな不細工な女のために、誰が 大金など使うか! 竹取爺ではなく、爺の館の女房か小者に小金を掴ませて、不細工姫を ちょっと庭先に連れ出させればいいだけのことだ。皇后や女御の地位を狙うほどの姫がいる名家名門ならともかく、所詮は我利我利亡者の貧乏公家。脇が甘いに決まっている!」 「我利我利亡者の貧乏公家だからこそ、のんきな大貴族と違って、守りが堅固ということも考えられる。家中の者への買収策の可能性くらい、翁は想定済みだろう。まず買収は無理だ。おそらく、屋敷の警護も厳重。正式な求婚をしなければ、かぐや姫との対面はおろか、屋敷の中に入ることすら許してもらえんだろう。顔だけを見せてくれというのは 土台 無理な話。万一、どうにかして かぐや姫との対面が叶ったとしても、どうせ瞬より不細工な姫で、がっかりするのが落ちだ」 そう諌止してから、氷河は かぐや姫が美しくないことの方を望んでいるのだという事実を、紫龍は 遅まきながら思い出したのである。 だが、それなら なおさら、さして美しくもない姫の姿を見るために あれこれ策を講じるのは無益の極みである。 そう考えるのが常識人だろうと、紫龍は思った。 が、常識人の考え方を氷河に期待することが、そもそも大間違い、大いなる非常識。 氷河は もちろん、紫龍の諫言に耳を貸したりなどしなかった。 「俺を、人の手を借りなければ何もできない無能な公家共と一緒にするな! 居場所のわかっている人間の顔を見る方法など、いくらでもある!」 「おい。おまえ、まさか、自分で翁の屋敷に忍び込むつもりじゃないだろうな」 のろまで鈍重な――もとい、おっとりして上品な 並みの公達と違って、氷河なら それくらいのことは容易にしてのけるだろう。 しかし、世の中には、“できても、してはならぬこと”というものがある。 当然、紫龍は氷河を止めた。 星矢も一輝も瞬も、それはやめておけと、氷河を止めた。 紫龍、星矢、一輝だけなら まだしも、瞬にまで止められたのでは、氷河としても折れるしかない。 「わかった。竹取爺の屋敷に忍び込むのは やめておく」 氷河は いかにも不承不承といった体で、(おそらくは 瞬のために)仲間たちの忠告に従うことを約束してくれた。 約束を取りつければ 取りつけたで、氷河にしては聞き分けが良すぎる引きざまに、氷河の幼馴染みたちは 更に不安を募らせることになったのであるが。 |