「あった、あった、そんなこと!」
げらげら笑いながら、星矢が ソファの上に並んでいたクッションを幾度も叩く。
力の加減を誤ったのか、クッションから白い羽根が飛び出し、それらはラウンジ中に舞い散った。

「星の子学園に行ったら、美穂ちゃんが『きつねの窓』の絵本を 子供たちに読んであげてて、懐かしくて――」
「きつねの窓なんて、今時の子供は信じないのではないか」
紫龍に尋ねられた瞬が、困ったような苦笑を作る。
紫龍の言う通りだったので、瞬は小さく肩をすくめた。
「指で窓を作って、おやつを映して、見えたーって喜んでいたよ」
「ははははは」

紫龍の笑い声は どこか空しいものだった。
だが、冷たくはない。
星の子学園の子供たちが きつねの窓の存在を信じないのは、彼等が今時のドライな子供たちだからではなく、彼等が瞬ではないからなのだ。
昔、子供だった紫龍たちも、その窓の存在を信じていたわけではない。
紫龍たちは、むしろ大人になってから、それはあるのかもしれないと思うようになったのだ。
それぞれの人の心の中に。

「そういえば、あの時、おまえは氷河の話を信じたのか。氷河のところに きつねがやってきたという話を」
「自分でも、よくわからない――憶えてないんだ。氷河に大好きだって言ってもらえて、それがとても嬉しかったことは よく憶えてるんだけど」
「氷河は嘘をつくのがうまいからな」
あの騒ぎの当事者にして責任者だったにも かかわらず、瞬の思い出話に 知らぬ顔を決め込んでいる氷河に、紫龍もまた澄まし顔で 水を向ける。

「氷河は いつも嘘ついてるからなー。自分はクールだとか、俺はクールだとか、本当にクールだとか」
あの日の おやつの恨みを思い出したわけでもないだろうが、星矢が紫龍の嫌味(?)に便乗した。
「俺は嘘などついていない」
と反駁するあたり、氷河は やはり幾つになってもクールに徹することのできない男なのかもしれなかった。
彼の仲間たちには そんなことは既知の事実だったが。
「嘘をついてないつもりで、んなこと言ってんなら、おまえは、まるで自分が見えてない大馬鹿野郎だぞ」
「『嘘をついたことがない』が、人類の最大の嘘だという」
そして 人は、『クールだから 大人だ』とはいえないし、『嘘をつけないから 子供だ』ともいえない。

「シベリアにいる時、おまえに会いたくて、幾度も自分の指で窓を作って、その中を覗き込んでいたんだ。だが、そこに映るのは白い雪原ばかりだった。目をつぶると、はっきり おまえの姿が見えたんだがな」
「氷河……」
その言葉が嘘なのか真実なのかということは、極論を言えば、どうでもいいことなのだ。
重要なことは、その言葉に宿っているものが、何であるのかということ。
それが 優しさから出た言葉なのか、強さから出た言葉なのか、悪意から出た言葉なのか、弱さから出た言葉なのかということなのである。

「今は触れることもできるから」
と、下心いっぱいで真実を告げる氷河のような男もいれば、
「おまえ、沙織さんがいるところで、臆面もなく よく言うな。瞬も、んなことに いちいち感激してんじゃねーよ!」
と、親切心から出たものなのか、悪意から出たものなのかの判断の難しい、忠告なのか嫌がらせなのか わからないことを言う星矢のような男もいる。
星矢の言葉を、瞬は もちろん、親切心から出た忠告と受け取った。
慌てて、対沙織用に居住まいを正す。

「ええ。そんなふうに、沙織さんがプレゼントした絵本セレクション、子供たち みんな 喜んでましたよ。一番人気は、『ぐりとぐら』みたい」
「リスが巨大カステラを作る話か。あれは、何度 読んでも わくわくするよな!」
気負い込んで そう言った星矢に、
「リスではなく、双子の野ねずみだ」
と、紫龍から訂正が入る。
紫龍の告げた真実は、星矢の顔を機嫌を損ねた人間のそれにした。
たとえ それが親切心から出た真実を告げる言葉でも、それを人が喜ぶとは限らない。
言葉のやりとりというものは、実に厄介なものなのだ。

「それはよかったわ」
そして、沙織のように、『瞬が 人を傷付ける嘘のつき方を覚え、汚れてくれた方がどんなによかったか』という自らの思いを言葉にしないという選択をする者もいる。
沙織が その思いを言葉にしなかったのは、『だが、だからこそ、瞬と瞬の仲間たちは ハーデスに勝つことができるかもしれない』という希望があったから。
聖域は まもなく、その最大の戦いの時を迎えようとしていた。






Fin.






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