「瞬を軟禁してるって、どういうことだよ! おまえに王位を譲ったばかりの一輝が へたに動くと、国内に混乱を招きかねないし、王宮からは ひっきりなしに、瞬が軟禁されて 毎日泣いてるだの、もう おまえに汚されたかもしれないだのって、瞬救援の訴えが飛んでくるし、一輝が離宮で爆発寸前だぞっ!」 氷河が心置きなくオオヤシマの政務に専心できるように シビルの国の視察に出ていたという星矢と紫龍が、氷河のいる王宮に乗り込んできたのは、その翌日。 母君を失った時と同じくらい、氷河の心が暗く沈んでいた時でした。 もしかしたら、彼等は、故国で失った王位を 別の国で手に入れ 王の権力に浮かれた氷河が、その力を我欲を満たすために悪用し、暴政を開始した――というようなことを考えて 王宮に乗り込んできたのだったかもしれません。 自室で、身体を だらしなく椅子に投げ出し、生気のない 亡者のような顔色をしている氷河に、 「俺は、瞬が好きで、瞬に ずっと俺の側にいてほしいと思っただけだったんだ……」 と、力ない声で弁解されるなんて、星矢たちは思ってもいなかったのでしょう。 周囲の空気を どんよりと重くしている氷河を見て、星矢たちは むしろ拍子抜けしてしまったようでした。 「俺は、王になりたかったわけじゃない。一輝に伍する力を手に入れて、自由に瞬に会える立場を確保したかっただけなんだ。王になったのだって、その力を使えば、この国で いちばん美しい人間は瞬だってことを、この国の馬鹿どもに わからせてやることができるだろうと思ったからだ。なのに、いったい どうして こんなことになるんだ。俺は どこで、何を間違えたんだ……」 おそらく それは、星矢たちの登場が 氷河に言わせた弁解だったのでしょうが――実際には それは、氷河の自責と後悔の独り言に近いものだったかもしれません。 それらの言葉を口にしている間、氷河は星矢たちの顔も見ていませんでしたから。 亡霊のような氷河の姿を見て、星矢と紫龍は、事情を察したようでした。 一度 互いに顔を見合わせてから 長い溜め息をつき、気まずそうに、彼等は彼等の事情を語り始めたのです。 氷河を この国に運んできたのは神だったのだけれど、その後 氷河の身の上に起きたことは、そのほとんどが一輝――瞬の兄の策略だったことを。 「一輝は もともと、おまえより自分勝手な男でさ。毎日 国王の仕事なんかしてたくなくて、自由に外出もできない生活には うんざり、私情だけで動きたい。黒髪黒い瞳至上主義なんて主張は馬鹿げてる、瞬こそが この国で いちばん美しい人間だと大声で叫びたい。でも、国王でいる限り、それは無理な話だろ。あいつは、自分勝手なくせに責任感が強い男だから。だから、誰かに王位を押しつけたいって、年がら年中、毎日 四六時中、俺たちに 文句たれたんだ。そんな時、王になるための教育を受けた おまえが この国に連れてこられた。これは、神が自分に与えた千載一遇の好機だと考えて、一輝は、おまえへの王位押しつけ計画を立てたんだ」 「なに……?」 「おまえを最下層の身分に落としたのは、この国の黒髪黒い瞳至上主義の理不尽を おまえに我が身で思い知ってもらうため、そして、そういう不遇状態での おまえの人となりを確かめるため。一輝の計画に便乗して、俺と星矢が おまえを瞬に引き会わせたのは、この国の黒髪黒い瞳至上主義のせいで、瞬のように善良で美しい人間が不当な扱いを受けていることを おまえに知らせ、おまえの義憤を呼び起こすため。見込みがありそうだったら、適当に理由をつけて、おまえに立身の機会を与えるつもりだったんだが、一輝や俺たちが それをする前に、瞬が おまえを一輝に推挙した」 「貴様等は、何を言っているんだ?」 「公開登用試験は、おまえの登用を重臣たちに納得させるため。ペルシャ軍の攻撃は、一輝にしてみれば、渡りに船だった。おまえは 一輝の期待以上の成果をあげてくれた。例の神託は、一輝がアテナに頼んで下してもらったもので……。あれこれ画策した苦労が実り、一輝は、めでたく 王位をおまえに押しつけるのに成功、自分は念願の自由を手に入れたんだ。黒髪黒い瞳至上主義は おまえが廃止してくれるだろうし、自由の身になった一輝は、さしあたっては国外遊学と しゃれこむつもりでいた――んだけど」 「一輝の唯一の誤算は、おまえが瞬に惚れてしまったことだな。一輝は、当初は 自分一人で 気ままな旅に出るつもりでいたんだが、おまえが統治している国に 瞬を一人で残してはいけなくなったんだ。そこで、おまえのためだと言いくるめて、瞬を連れて この国を出ることにした――らしいんだが」 「一輝の奴、おまえが 思いっきり私情で動く奴だってことを忘れてたんだよなー……」 「一輝は、念願の自由を手に入れて、そんなことにも考えが及ばないほど 浮かれていたんだろう」 「……」 へらへら笑いながら、この二人は 何を訳のわからないことを言っているのだろう――と、氷河は、ぼんやりした頭で 思うともなく思っていたのです。 時間が経過して、やがて彼等の言葉の意味するところを理解できるようになった途端、エトナ山の噴火さながらに 氷河の怒りが爆発しました。 「い……一輝を自由にしてやるために、俺は瞬に嫌われてしまったというのかーっ !! 」 「え? あ、いや、俺たちは、この国の黒髪黒い瞳至上主義を撤廃すれば、外の国との交易交流が盛んになって、この国が栄えるだろうって、純粋な愛国心から……。つーか、瞬に嫌われちまった――って、おまえ、瞬に嫌われるような何をしたんだよ!」 「そうか、そうか。貴様等の愛国心が、俺の恋を破滅に導いてくれたんだな! 瞬は 俺を、瞬が好きになった俺じゃないとまで言っている。みんな、貴様等の くだらない愛国心のせいだ。貴様等、全員 死刑にしてやる! 死刑だ、死刑!」 愛を失った君主が、その喪失感を埋めるために暴君になるというのは、洋の東西を問わず、よくあることです。 怒りに我を忘れ、正気ではないにしても本気で『死刑』を連発している この国の王に、星矢たちは震えあがってしまいました。 「氷河、落ち着け! 冷静になれ! 俺たちを死刑にしても、おまえの恋が実るわけじゃない!」 「お……おまえの清らかな恋心を利用しようとしたハーデスかオーディーンあたりが、おまえの身体を乗っ取って、瞬に悪さをしようとしたんだとか何とか言って、瞬の誤解は解いてやるから! 誤解じゃなくても、誤解にしてやるから!」 「一輝の方も、俺たちが説得してやろう。瞬の身は 俺たちが守るから、瞬を この国に残しておいても大丈夫だと。一輝がいなくなったところで、おまえは 思う存分 瞬に迫りまくればいいんだ!」 こんなことで死刑にされてたまるかと取り乱し 騒ぐ星矢たちの説得ごときでは、氷河の怒りは静まりませんでした。 氷河の怒りと興奮を静めることになったのは、 「そ……そうだ! 氷河を見てると心臓が どきどきしてくるのは どうしてだろうって、瞬が悩んでたぞ!」 という、氷河以外の人間にとっては およそどうでもいい、ささやかな情報でした。 「瞬が……?」 そんなことで、憑き物が落ちたように 突然 平静になってくれた氷河を見て、星矢たちは、自分の命を守るためにすべきことが何であるかを知ったのです。 そんな情報なら 腐るほど持っていた星矢たちは、己れの命を守るために、持てる情報の大放出を開始しました。 「氷河の姿が見えないと、氷河がいるはずのないところでも つい、その姿を探してしまうとも言っていたな」 「氷河のことを考えてると眠れなくなるせいで、睡眠不足が続いてるとか何とか、こぼしてた!」 「寝不足の目をして氷河に会ったら、変に思われるんじゃないかと、やたらと おまえのことを気にしていたぞ」 「……」 恋する男の気持ちは、恋をしていない男には わかりません。 ともかく、そんな些細な情報を提供されたことで、氷河は 星矢と紫龍の死刑を思いとどまってくれたのです。 もちろん、その後で、瞬の誤解(?)を解く仕事と、一輝を説得する(騙す)仕事も きっちり務めさせられましたけれど、死刑を免れるためと思えば、星矢たちには そんな仕事は手間の内にも入りませんでした。 氷河はハーデスに その身体を乗っ取られていたのだという、星矢たちの出まかせを真に受けて、 「氷河の清らかな心を利用するなんて、許せない……!」 と 珍しく本気で怒った瞬は、氷河の清らかな(恋)心を守るために 氷河の側を離れるわけにはいかないと言い出し、一輝は一輝で、 「瞬の貞操は、命に代えても俺たちが守る」 という星矢たちの言を信じて、単身、当てのない自由な放浪の旅に出掛けていきました。 その後、氷河が首尾よく 瞬の心(と身体)を手に入れることができたのかどうかは わかりません。 けれど、それまで事実上の鎖国状態だったオオヤシマの国が、さほどの時を経ずに 開国を果たしたことは、ギリシャ中の誰もが知る事実です。 オオヤシマの国の黒髪黒い瞳至上主義は廃れ、今では様々な色の髪や瞳の人間の姿が オオヤシマの国中の至るところで見られるようになっています。 現在のオオヤシマの国是は、『自由、平等、恋愛。しからずんば死』。 オオヤシマの国は、今では そういう お国柄の国になっています。 Fin.
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