『変な子』 物心ついてから これまで、俺が最も多く聞いてきた言葉はそれなんじゃないかと思う。 いや、最近は『変な奴』の方が多いかもしれないな。 とにかく 俺は 変な子供、変な男、そして、変な人間だった。 そういうことになっていた。 俺に対して『変な』という形容をつけない人間は、俺のマーマくらいのものだったんじゃないかと思う。 マーマの死後は、瞬だけだ。 マーマは 俺にそんな言葉を投げつけたりはしなかった。ただの一度も。 マーマは 俺を『私の可愛い氷河』と呼んでいた。いつも。 自分が なぜ“変な子”呼ばわりされるのか、俺が その訳を明瞭に自覚したのは、確か 俺が5つの時。 まだマーマが生きていた頃、季節は秋。 遠出が容易でなくなる冬に備えて、マーマとペベックの町に買い出しに出掛けた時のことだった。 生まれ育った村から そんな遠くにまで出掛けたのも初めてなら、いわゆる“町”と呼べるようなところに行ったのも、それが初めて。 通りで 人とすれ違い、ぶつかりそうになるなんて、俺には初めての経験で、世界には こんなにたくさんの人間が生息していたんだと驚いた記憶がある。 その町で、一冬分の薬を買うために入った薬局。 たまたま 俺とマーマが店内に入った時、そこには薬の仲買いの男が来ていて、店主に、最近 出回り始めた強力な熱冷まし薬を仕入れないかと熱心に薦めていた。 (そば粉と塩の混ぜ物を、一服 100ルーブルで買ってもらえたら、俺は大儲けだ) 仲買人の男は、そんなことを考えていた。 不思議に思った俺は、マーマに訊いたんだ。 「そば粉と塩を混ぜると 熱冷ましになるの?」 と。 店先で、俺のその言葉を聞いた途端、仲買いの男は急に挙措を失って、 「新しく出たばかりの薬で、副作用の検証がまだ完全じゃないらしいから、やっぱりやめといた方がいいかもしれないなぁ」 と言い出し、棚の上に広げていた薬を一つにまとめて、そそくさと店を出て行った。 自分が考えていたことを、俺に言葉にされただけで。 「そば粉と塩が熱冷まし? そんな話は聞いたことがないねえ。坊や、どうして そんなことを思いついたんだい?」 薬局の店主に、笑いながら言われて、俺は気付いたんだ。 薬局の店主には、あの男が考えていたことが聞こえていなかったんだということに。 そば粉と塩の混ぜ物が熱冷ましにならないのなら、あの仲買いの男は、薬じゃないものを薬として この店主に売りつけようとしていた――店主を騙そうとしていた――ことになる。 店主は、だが、顔馴染みの仲買人が自分を騙そうとしていたなんて、そんなことは考えてもいなかったらしい。 (おい。冗談じゃないぞ。俺の店で、そんなものが売られてるとでも言うつもりか、このガキ) 店主は 気持ち悪いくらい、にこにこ笑いながら、そんなことを考えていた。 その時、俺は、俺以外の人間は、人の心が読めないんだと気付いたんだ。 読まれないのをいいことに、人を騙そうとする薬の仲買人。 笑いながら、腹を立てるなんて器用なことをする薬局の店主。 店主は、客商売だから 特に、客に見せる顔と本音の使い分けの技に長けていたんだろう。 仲買いの男と入れ違いに店に入ってきた老婦人に、 「いらっしゃい。神経痛の方はどうですか?」 と心配顔で言いながら、考えていることは、 (このばばあ、また話が長くなるぞ。どうせ いつも同じ薬しか買わないんだから、買うもの買って、とっとと帰ってくれればいいのに) だ。 俺は、言葉と思考が ここまで乖離している人間に会ったのは、それが初めてだった。 俺とマーマが住んでる村では、貧しい暮らしをしている俺たちに お愛想を言う奴もいなかったから、言葉と心が全く違っている人間なんて、ほとんど いなかったんだ。 当然、俺は 人の心を読める力のせいで トラブルを起こしたこともなかった。 村にも 俺を『変な子』呼ばわりする奴はいたから、俺は意識せずに 何かは しでかしていたんだろうが、それがトラブルと言えるほどのものになることはなかった。 が、人の多い“町”では、そういうわけにはいかなかった――ということか。 見知らぬ者たちが大勢 集まってできている町では、本音と建前の使い分けが大事。 その技を駆使して生きている人間が多くいるのも道理だ。 俺の力に、マーマは気付いていたと思う。 だが、マーマが そのことで 俺に何か言うことはなかった。 『言葉はナイフより鋭く 人を傷付ける武器になるものだから、人に何かを言う時は、それを言ってしまっていいのかどうかを よく考えてからになさい』とは、よく言っていたが。 気付いていたなら、そのことについて何か考えていたはずだから――考えていれば、それは俺に読めていたはずだから――マーマは、俺の力のことを考えないようにしていたのかもしれない。 人の心が読めるといっても、俺が読めるのは、特定の個人を 特定の個人と認識できる程度の距離にいる人間の心だけだ。 最低でも、俺の周囲 2、30メートル以内の場所にいてくれないと、俺の力は使い物にならない。 そして、群衆の中にいる人間の心を読むこともできない。 相手が、一人の個人だと区別認識できる状況にいてくれないと、その人間の心は読めないんだ。 そんな出来事を幾度か経験して、ともかく 俺は、マーマを失う前――5歳の頃には、人は 腹の内では 言葉とは違うことを考えているんだっていうことを知っていた。 だから、マーマを失ったばかりの俺に、 「可愛そうに」 と言いながら、 (母親と一緒に死んでくれていれば、面倒がなかったのに) と考えている児童福祉協会の職員に、『面倒で悪かったな!』と言ってはならないことも わかっていたし、実際 黙っていたんだ。 マーマが死んでから日本に連れてこられるまでの2ヶ月ほど、俺はウラジオストックの総合病院に併設されている児童福祉施設にいたんだが、そこでも俺は貴重な学習をした。 その一つは、本当に恐いのは、悪意のある人間や裏表のある人間じゃなく、絶望した振りをしている人間だということ。 その手の人間の思考は、絶望も裸足で逃げ出すくらい、負の方向にしか進まないんだ。 その上、そういう奴等は、滅多に思考を休めない。 希望を持たないこと、期待しないことの価値を懸命に論理立てて考え続け、絶望している自分を正当化し、幸福な人間を愚か者だと思おうとする。 そんな思考に長く触れていると、その虚無主義の影響を受けて、こっちの心まで その虚無の中に引きずり込まれかねない。 結局、自分という存在の正当化のために足掻いているんだから、そいつは本当の意味では絶望していないんだがな。 本当に絶望している人間は、何も考えないか、一つ二つの短く空虚な単語を延々と繰り返してばかりいる。 第二は、俺は他人の心を読めるせいで 人に騙されることはないが、そんな俺より、人に騙されることのできる人間の方が はるかに幸せだということ。 それはそうだろう。 人に騙される人間ていうのは、それまで人に騙された経験を持たない幸運な人間か、あるいは 学習能力を備えていない馬鹿のいずれか。 どっちも幸せな人間だ。 第三に、子供が純真だというのは、大人の幻想にすぎないということ。 子供だって、大人の前では 善良で純真な振りをして、それで褒美をせしめようとか、褒められようとか、自分の評価を上げようとか、無気力な大人より よほど複雑なことを精力的に考えている。 まあ、その点に関しては、俺自身もそうだったから、非難するつもりはないがな。 マーマと暮らしていた頃は、マーマに笑顔でいてもらうため、マーマの注意を俺だけに向けさせておくために、俺も いろんなことをした。 理由はどうあれ、動機はどうあれ、子供はいつも 一生懸命に嘘をつくんだ。 マーマだって、言葉と考えていることが違うことは よくあった。 いちばん多かったのは、『大丈夫。氷河は心配しなくていいのよ』かな。 いろんな場面で、マーマは その言葉を繰り返した。 天気のこと、暮らしのこと、村人たちとの人間関係、マーマ自身の体調のこと。 『大丈夫。氷河は心配しなくていいのよ』と言いながら、その実、それらのことを いちばん心配してるのはマーマ自身なんだ。 俺には笑顔を見せて、俺の父との出会いや その早すぎる死を恨むこともあったし、俺がいなかったら、今とは違う人生を歩めていたのではないかと考えていることもあった。 そのたびに 俺は、俺と俺の父がマーマを不幸にしたんじゃないかと胸を痛めることになって――。 そう。マーマにも、後悔はあったし、運命を憎むことも 恨むこともあった。 そんなこと、俺の前では おくびにも出さなかったけど、確かにあったんだ。 マーマも、本音と建前を使い分ける人間の一人だった。 でも、マーマの最期の思い。俺が読んだマーマの最後の心は――。 (私の命はいらない。でも、この子だけは――氷河だけは生きて、幸せに……!) 神に、世界に、この世に存在する すべてのものに訴えかける、強く激しい願い。 あの強い思いこそが、マーマの真実だったんだと思う。 俺はマーマの愛を信じている。 だから、俺は生きていられたし、マーマが死んでからも生き続けたんだ。 俺が生きて 幸せになることが、マーマの願いだったのだと思うから。 |