その日、瞬の次に天秤宮にやってきたのは星矢だった。 星矢の相談事は、 「一輝の奴がさあ、なんで瞬が氷河を好きなのか わかんねーって騒ぐんだよ。言われてみれば、俺も、確かに その訳が わかんなくてさ。氷河が瞬を好きなのはわかるんだ。瞬は優しいし可愛いし、氷河は何度も瞬に命を救われてるしな。でも、瞬が氷河を好きなのはさ、世界の七不思議から 万里の長城を追い出して、代わりに入れてもいいくらいの すっごい謎だろ。一輝は 俺たちんとこに帰ってくるたび うるせーし、老師なら、その謎を解けるかと思ってさあ」 目上の者への礼儀も敬意もないが、瞬同様、星矢の悩みも 自分のことではなく 仲間のこと――仲間への理解を深めたいと願ってのこと。 これは、基本的に個人主義の黄金聖闘士たちには ない特性である。 それこそが 若き青銅聖闘士たちの強さの源にして理由なのか。 星矢には 瞬の趣味の悪さの謎解きより先に 目上の者への礼儀を教えてやるべきなのではないかと思わなかったわけではないのだが、童虎は すぐに その考えを放棄した。 他の黄金聖闘士たちは いざ知らず、天秤座の黄金聖闘士は 星矢の不作法を不快に感じてはいないのだ。 矯正の必要など あるわけもない。 むしろ、“天衣無縫、猪突猛進、当たって砕けろ!”な可愛い後進の謎を解き、その心から わだかまりを消してやる方が、よほど世界の平和のためになると、彼は思った。 そして、その思いを迅速に行動に移した。 「星矢。おぬしの疑念も 一輝の疑念も 至極もっともじゃが、瞬の悪趣味は 自然科学上、人類の歴史上の必然なのじゃ。そもそも人間というものは、欠点だらけの不完全な存在。優れて 美点がある者だけが他者に好かれていたら、いずれ 人類は滅びてしまうじゃろう。生物には、遺伝子の多様性を維持する必要性がある」 「自然科学に 人類の歴史、遺伝子の多様性?」 天秤座の黄金聖闘士が何を言っているのか 全く理解できないという顔で、童虎が口にした言葉(の一部)を 星矢が復唱する。 星矢が抽出反復した言葉が 見事に重要ポイントばかりだったので、童虎は星矢の理解力に 少なからず感心した。 もし 星矢が復唱した言葉が、彼が重要だと思った事柄ではなく、単に彼が理解できない単語だけを抽出し羅列したものだったとしても、要するに その点を理解すれば“わかる”のだということを、星矢は“わかって”いるのだ。 「そうじゃ。たとえば、馬鹿で阿呆な人間が 誰からも好かれなかったとする。そうなれば、馬鹿で阿呆な人間は 自分の遺伝子を残せないから、やがては この地上から 馬鹿で阿呆な人間は消滅してしまうじゃろう。そんな時、馬鹿で阿呆な人間だけが抵抗力を持つ病気のウイルスが地上を席捲したら、人類は滅亡するしかない。人類の歴史は、そこで終わりじゃ。そんなことにならぬよう、ヒトという種は、悪趣味な人間を生むのじゃ。これは いわば、ヒトという種の自然科学上の防衛本能といえるじゃろう」 「老師。頭でも打ったのか? 遺伝子も何も、氷河と瞬は男同士なんだぜ。ああ見えても、瞬はれっきとしたオトコなんだ」 星矢に8割以上 本気で心配している目を向けられ、童虎は自らの誤りに気付いた。 とはいえ 童虎は、決して瞬の性別を失念していたわけではなかったのである。 彼は 星矢に、『瞬が氷河を好きな理由がわからない(= 瞬の悪趣味の訳がわからない)』と問われたから、その答えを星矢に与えた。 星矢は この場合、『男の瞬が男の氷河を好きになり、しかも悪趣味な訳がわからない』と、天秤座の黄金聖闘士に問うべきだったのだ。 もちろん、そう問われた場合の答えも、童虎の中には ちゃんとあった。 「おお、そうじゃった。だが、それもまた 人類と人類の歴史には必要なことなのじゃ。ただし、それは自然科学ではなく、社会科学もしくは人文科学の分野のことになるがの」 「自然科学でも社会科学でも人文科学でも何でもいいんだけどさ、瞬の悪趣味って、そんなに科学的なことなのか?」 (現状では)科学で証明できない小宇宙が幅を利かせている世界で生きている星矢には、天秤座の黄金聖闘士の科学的説明が まどろっこしく感じられ、その上 胡散臭さを覚えるものになってしまっているらしい。 童虎も、性格的には 星矢と似たり寄ったりの男だったので、その気持ちは わからないでもなかったのである。 童虎も、本来は、科学的な あれこれを好む男ではない。 そこで童虎は方向転換。 彼は この際、星矢向けに わかりやすい解説を提供してやることにした。 「つまりじゃ。意外な組み合わせが 思いがけず 素晴らしいものを生むこともあるということじゃ」 「意外な組み合わせが生む素晴らしいものって、どんなんだよ」 「そうじゃのう。たとえば、あんことパンであんパン、カツとカレーでカツカレー、醤油で味付けした和風スパゲティも、日本の調味料とイタリアンという意外な組み合わせでできたものじゃな」 「へ」 「和洋折衷の建築物や衣類なぞもあるが、そんなのは おぬしにはどうでもいいことじゃろう。ともかく、そんなふうに 意外な組み合わせの妙によって、人類は発展していくのじゃ。それは 人類の生き残りをかけた進化と言っていい」 星矢は、やはり、理解力がないわけでも、理解が遅いわけでもないようだった。 童虎が星矢向けの説明を口にすると、星矢は光速で 腑に落ちた顔になった。 「すげー納得した。氷河と瞬は、あんパンだったのか」 その理解が正しいのかどうかは、この際 問題ではない。 この相談事の解決の目的は、あくまで 天馬座の聖闘士が 地上の平和を守るために どんな わだかまりもなく戦える状況を作ること。 そういう意味で、童虎の目的は達成されたのだ。 この決着には、童虎も大いに満足していた。 「まあ、世の中には、酢豚とパイナップルのように、人類の発展を阻害する最悪の組み合わせもあるがの」 「酢豚とパイナップル?」 童虎の補足説明に、一瞬 星矢が眉をひそめる。 「ああ、いや、パイナップルは無関係じゃったの」 せっかく 綺麗に決着がついた相談事を 酢豚のパイナップルごときで蒸し返すことにならないように、童虎は 曖昧な笑いで その場をごまかした。 素直な星矢は、もちろん 素直に ごまかされた。 「そっかー。あんパンかー。あんパン、うまいよなー。氷河と瞬は人類の宝だぜ!」 その結論が、腹の底から気に入ったらしい。 星矢は 今にもスキップになってしまいそうなほど軽い足取りで、天秤宮を出ていった。 |