『 YOURS EVER ――永遠にあなたのもの』 あのペンダントに刻まれている“あなた”は いったい誰なのかと、瞬は いつも考えていた。 “あなた”はハーデスなのか。 ハーデスではない、概念としての神なのか。 “運命”なのか、あるいは、“死”、“正義”、“真実”、“戦い”。 “あなた”は“自分自身”なのではないかと考えたこともあった。 人は、永遠に、誰のものであるのだろう。 その答えは、あのペンダントを瞬に与えたハーデスとの戦いが終わった今でも、瞬には わからないままだった。 正体のわからない“あなた”――。 あのペンダントを授けられた人間は何人もいたのだ。 いつの時代にもいた。 しかし、その人間が ハーデスの魂の器となって戦える年齢に達する前に、ほとんどのペンダントは消えてしまったのだろう。 誰も 清らかであり続けることができなかったから。 聖戦が二百数十年ごとに起きるのではない。 ハーデスの魂の器となって戦える年齢に達するまで、ペンダントを消さずにいることのできる人間が、二百数十年に一人しか現われなかっただけなのだ。 あのペンダントは、もしかしたら、ハーデスにとっては――ひょっとすると アテナにとっても―― 一つの希望ですらあったのかもしれないと、瞬は思ったのである。 ハーデスの魂の器となれるような人間が、もし永遠に この地上世界に現われなかったなら、ハーデスやアテナは“人間のために”聖戦を起こす必要がなくなる。 汚れきった人間と その人間が生きる世界は、二柱の神が争うまでもなく、自ら滅んでいくだろうから。 (そんな、まさか……) いくら何でも、それは考えすぎ、穿ちすぎだと、瞬は すぐに その考えを振り払った。 だが――聖戦で払われた犠牲の多さが、瞬の胸から悔いを消し去ってくれない――その悔いは、いつまでも消えてくれなかった。 「僕も、あの子みたいになっていればよかったね。そうしたら、ハーデスも僕を見限ってくれて、あんな戦いはせずに済んだのに……」 人が清らかでいることは、必ずしも幸福なことではない。 瞬は、どうしても その考えを捨て切れなかった。 「俺は、おまえの綺麗な目が好きだ。俺は 永遠に おまえを好きでいたい」 瞬の悔いを、氷河が真っ向から否定してくる。 氷河の“あなた”は、氷河の愛する人なのだ。 氷河の冷酷なまでの迷いのなさが、瞬は羨ましかった。 こんなに迷いだらけの人間の何を見て、ハーデスは 瞬という人間を“清らか”だと判断したのか。 瞬には、それもわからない。 瞬の周囲と 瞬の中には、“わからない”ことばかりだった。 アテナの聖闘士として戦い 手に入れた今の平和が 本当に価値あるものなのかどうかすら、時折 わからなくなる。 こんな人間がアテナの聖闘士でいていいものなのか――。 眼下に広がる聖域を見詰め、瞬が そう思った時。 突然、瞬の前に、石段の左手から、星矢が飛び出てきた。 その手に、日本のものとは少々 形状の違う土つきの芋の蔓を持っている。 どこかで野生の芋を見付けてきたのだろう。 星矢は、いたく ご機嫌だった。 「瞬ー! おまえ、また クロノスにどっかに飛ばされたんだって? もう、いい加減にしてほしいよな。あいつ、絶対 俺たちを自分の退屈しのぎの 玩具か何かだと思ってるぜ!」 「沈んでいるようだが、どうした。何かあったのか? 氷河がまた、何か馬鹿をしでかしたか」 星矢の食糧探索に付き合わされていたらしい紫龍が、星矢に少々 遅れて登場する。 彼は、これまた日本のそれとは少々毛色の違う葡萄の房を持っていた。 「あ……そんなんじゃないよ」 気遣わしげに紫龍に問われ、瞬は慌てて微笑を作ったのである。 そして、ちらりと聖域の上の空に視線を投げた。 「空が高くなってて――いつのまにか秋になってるなあって、ちょっと感傷に浸ってたの」 「感傷なんて、食えもしないもんに浸ってんなよ。秋ったら、食欲の秋だろ! ギリシャなんて、オリーブとオレンジしかないようで、結構 秋の味覚もあるぞ。葡萄に、林檎に、芋! ギリシャで焼き芋って、面白くないか?」 「焼き芋?」 「ああ、中華まんのリベンジだ。沙織さんに見付からないように、どっかで焼こうぜ。おまえ、色々 真面目に考えすぎなんだよ。そういう時は、腹いっぱい食うのがいちばん!」 「あ……」 アテナの指示で、氷河が 過去に飛ばされた瞬を追いかけてきたように、星矢の この明るさも、もしかしたら 落ち込んで帰ってくるかもしれないアンドロメダ座の聖闘士を力づけるためのものなのだろうか。 「聖域で、沙織さんに見付からないように焼き芋を焼くなんて、不可能に決まっているだろう。どうしたって、匂いでばれる」 「そこは、瞬に気流を操ってもらって、匂いがアテナ神殿に届かないようにしてさ!」 「聖闘士の力を、焼き芋のために使うというのか」 星矢の計画に呆れた顔をしてみせる紫龍も、おそらくは、色々 真面目に考えすぎる仲間の気持ちを引き立てるために、わざとそんなことをしてみせているのだ。 瞬は、思わず目の奥が熱くなり、だが 仲間たちに それと気付かれぬよう唇を引き結び、その顔を上げた。 「焼き芋もいいけど、焼き林檎も美味しいと思うよ」 「禁断の実を ご所望なら、俺が いくらでも味わわせてやるぞ」 氷河が わざと意味ありげな笑みをたたえて そんなことを言うのも、瞬の気持ちを明るいものにするため。 瞬は、だから、いつまでも落ち込んでばかりはいられなかったのである。 「そういう意味じゃありません!」 「氷河、おまえさあ、なんで瞬と一緒にいて、そんなに清らかじゃないんだよ!」 「俺ほど 清らかな思いで瞬を愛している男はいないと思うが」 「おまえのキヨラカと 世間の清らかは、意味するところが 全然違うんだよ!」 仲間たちが揃うと、その場の空気が 優しく、温かく、生き生きと明るいものになる。 その優しく、温かく、生き生きと明るいものの正体が何なのか。 知っていたのに忘れていた それが、瞬の胸の中に甦ってきた。 人間が清らかで い続けることがいいことなのか悪いことなのか、それは 瞬にはわからない。 それどころか、“人が清らかであること”が どんなことなのかすら、わからない。 ただ、それがどんなことであっても、そして 自分が どういうことになっても、仲間がいてくれさえすれば自分は耐え 生き続けることができると、それだけは 瞬にもわかっていた。 瞬の“あなた”は“希望”。 そして、その希望は、瞬の仲間たちが運んできてくれるものだったから。 Fin.
|