瞬がエリシオンで、ハーデス以外の 人間でもニンフでもない人物に出会ったのは、それから しばらくの時間が経ってからのことでした。
“しばらくの時間”が具体的に どれほどの時間なのかは、朝も夜もないエリシオンにいる瞬には わからなかったのですが、ともかく それは“しばらくの時間”が経ってからでした。

瞬の前に ふいに現れたのは、全く同じ顔をして 色だけが違う二人の若い男。
彼等は、神以外はハーデスの許しを得た者しか入ることのできないエリシオンの野に 唐突に現われ、花の中に座り込んで 仲間たちを恋しがっていた瞬を、冷ややかな目で見おろし――いいえ、見くだしてきました。
「おまえが 最後に残った ただ一人のハーデス様の“お気に入り”か。こんな子供の どこがいいんだか。ハーデス様の酔狂には呆れるばかりだ」

これが初めての出会いだというのに、吐き出すように そう告げる銀色の男は、出会う前から瞬を嫌っていたようでした。
ですが、瞬には、今は そんなことよりも、彼が口にした『最後に残った ただ一人のハーデス様の“お気に入り”』という言葉の方が 気に掛かったのです。
“気に掛かった”というより、彼の言葉は 瞬の許に不安を運んできました。
やはり このエリシオンには、人間は もう瞬一人しかいないのです。
ハーデスが 彼の“お気に入り”の人間に帰還を許したはずはありませんから、彼等は皆、ハーデスの意に沿わない者になって、この平和な国から追放されてしまったのでしょう。
そのことを、こんな世界を作るほどの力を持つハーデスはどう思ったのか。
瞬は とても嫌な予感がしました。

「妬いているのか? この者の心が清らかなことは、おまえにもわかっているのだろう。ひどく悲しんでいるようだが、その悲しみすらも清らかだ。おまえと違って」
この二人は、ハーデスと同じように神なのでしょうか。
だから、このエリシオンに入ることができたのでしょうか。
額に金色の星がある金色の神に からかうような口調で そう言われた銀色の男は、むっとしたような顔になり、けれど すぐに楽しそうな(でも、意地の悪い)笑顔になりました。

「ふん。その清らかな心の持ち主が、ハーデス様に 人間共をすべて滅ぼす決意をさせてくれたんだから、俺は このガキに感謝すべきなんだろうな。これで、あの目障りで不愉快極まりない人間共が 世界から一掃される。世界は さぞかし美しいものになるだろう。それも これも、おまえが 仲間たちの許に帰りたいと 駄々をこね続けてくれたおかげだ。おい、ガキ。いい仕事をしたな。地上に有象無象している見苦しい人間共の方が ハーデス様よりいいと言い張る貴様の考えは、到底 理解し難いが」
「え……」
それは いったいどういうことなのでしょう。
ハーデスが、すべての人間を滅ぼす決意をした?
自分が 仲間たちの許に帰りたいと言い続けたせいで?

銀色の神の言葉に、瞬は慄然としてしまいました。
金色の神が、無感動な目で、けれど 言葉だけは瞬に同情しているように、ハーデスの意図を瞬に知らせてくれました。
「君が あまりに君の仲間たちを恋しがるので、ハーデス様は すっかり臍を曲げてしまったらしい。人間たちを すべて滅ぼしてしまえば、君も人間界に帰る意味を失い、このエリシオンで生きていく決意をするだろうと、ハーデス様は お考えになったようだ」
「そんな……」

ハーデスより仲間を恋しがる人間が気に入らないのなら、その人間だけを消し去ってしまえばいいではありませんか。
ハーデスはなぜ、その人間以外の人間を すべて滅ぼしてしまおうという考えになるのでしょう。
兄だけでなく、仲間たちまで――仲間たちだけでなく、すべての人間が――ハーデスに滅ぼされようとしている。
瞬の頬からは すっかり血の気が失せてしまいました。
頬だけでなく、全身の血が凍りついてしまったような――瞬は、そんな気持ちに囚われてしまったのです。






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