史上最大のトラブルメーカー






城戸邸では、11月1日は“氷河の日”ということになっている。
といっても、それは、11月1日が 氷河に関する何らかの記念日だからではない。
11月1日は、氷河の誕生日でも、母の日でも、マザコンの日でもない。
諸聖人の日――いわゆる万聖節――ではあるが、氷河が聖人であるはずもない。

11月1日は“犬の日”なのである。
1987年制定。ワンワンワンの語呂合わせ。
ならば、1月11日で ワンワンワン、あるいは、1月1日でワンワンでもいいではないかと思う向きもあるかもしれないが、11月1日を犬の日と定めたペットフード協会にも色々と都合があったのだろう。
ともかく、日本国においては、11月1日は犬の日。
犬についての知識を身につけて、犬を可愛がる日ということになっている。

では、なぜ 犬の日が 城戸邸限定で“氷河の日”となったのか。
それは 氷河が“瞬の犬”と呼ばれているから――だった。
ちなみに、氷河が 瞬の犬と呼ばれるようになったのは、彼が飼い主( =瞬)に従順だからではない。
氷河が瞬に 毎日のように散歩(デート)をねだるからでもない。
瞬の兄と違って、群れでの生活ができるからでもない。
性交を始めると どんな力をもってしても引き離せない犬と同じ生態の持ち主だから――というわけでも(おそらく)ない。
それが邪神であるならば、神に対しても恐れることなく拳を向ける歴戦の勇士である氷河の仲間たちも、さすがに それを確かめられるだけの度胸は持っていないので、現時点で 氷河がそういった特性(?)を持っているのかどうかということは未確認事項となっている。
そうではなく――氷河が“瞬の犬”と呼ばれるようになったのは、他でもない氷河自身が、自らを そうだと認めたからだった。


その日も やはり秋の日だった。
城戸邸の庭に1本だけ植えられているノムラモミジが鮮やかな真紅の葉をつけているという話をメイドから聞いた瞬は、早速 紅色の紅葉を干渉するため、庭に出ていった。
それが自分の義務と言わんばかりに、氷河が瞬のあとを追っていく。
その30分後、ラウンジに戻ってきた瞬が、
「氷河って、犬みたいなのは可愛くていいんだけど、人間としての尊厳を忘れてほしくないよね」
と、ため息交じりに呟いたのだ。
それは どういう意味なのかと星矢が問うと、
「え……何でもない」
と、瞬はお茶を濁した。

瞬自身は、仲間たちに話題を提供するつもりで そんな呟きを呟いたのではなかったのだろうが、そんな呟きを聞かされて、『何でもない』で済まされては、聞かされた側の人間の気持ちが治まらない。
星矢は 当然、(一応、瞬が席を外した隙を見計らって)瞬の呟きの意味するところを、もう一人の当事者である氷河に問いかけることになったのである。
「おまえ、瞬に犬みたいな真似をしたのか? 瞬が、おまえのことを犬みたいだとか、人間としての尊厳がどうだとか、言ってたんだけど」
「犬?」
氷河は 一瞬、なぜ そんなことを問われるのかわからないという顔をした。
(おそらく)わからないまま、
「そんなことをした覚えはないが……。瞬の犬と呼ばれるのは、俺にとっては名誉なことだな」
と答えてくる。

人間を“犬”と呼ぶ時、それは“スパイ”や“手下”という意味の侮蔑的代名詞として用いられるのが一般的である。
『○○の犬』という呼称は、決して褒め言葉ではないだろう。
が、“瞬の犬”なら、それは 氷河には褒め言葉であり、名誉ある称号にすらなるらしい。
飼い主が優しく可愛いなら、氷河は、自分が その人の犬でいることに どんな不満も抱かない――ということのようだった。
「おまえが 瞬に尻尾を振る男だってことは、誰もが認める事実だけど、瞬の犬呼ばわりされても、おまえは平気なのかよ?」
確認のために 再び問うた星矢に、氷河は――氷河もまた――さきほどと同じ仕草を繰り返したのである。
つまり、彼は 再度、なぜ そんなことを問われるのかわからないという顔を作った。
「“アテナの犬”なら、それは侮蔑の言葉だろうが、“瞬の犬”は尊称だろう」
完全に真顔で そう答えてくる氷河に敬意を表して、その日以降、氷河は“瞬の犬”と呼ばれるようになり、城戸邸では 犬の日=氷河の日となったのである。






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