『僕に敵なんかいません』 いとも たやすく そう断言してしまえる瞬が 神々に与えられた力は、ひょっとすると、“敵を作らない力”なのではないだろうか。 それは あり得ないことではない。 そして、それは、中途半端な強さなどより はるかに有益な力であるかもしれない。 その事実を認めた上で、氷河は しかし、その力が瞬の兄の秘密より重大な秘密だとは思えなかったのである。 それ以上に。 もし瞬に与えられた力が“敵を作らない力”なのだとしたら、自分は瞬のために何もできない。 氷河には、それが何にも増して大きな衝撃だった。 氷河が有しているのは、“行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”である。 もし瞬に与えられている力が“敵を作らない力”なのであれば、あるいは“人に愛される力”なのであれば、氷河の持つ力は 瞬のためには“使えない”力。 無意味で 無益で 無価値で 無用の力でしかないのだ。 否。 たとえ 瞬に与えられた力が それ以外の何かであっても――美しさであっても、優しさであっても、清らかさであっても――氷河の“行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”は、瞬の力とは相いれない。 瞬は おそらく、南の大国の王に与えられた粗暴で野蛮な力を忌避するだろう。 好ましく思わないだろう。 そう考えずにはいられないことが、氷河の心を打ちのめした。 「なぜ 俺の父は、恋した人の心を必ず手に入れられる力を神々に望んでくれなかったんだろう……」 「え?」 それは、氷河が これまで感じたことのない無念だった。 自分の前に立ち塞がる障害は、神々から“地上で最も強い男になること”を約束された男だけだと、氷河は思っていた。 自分に与えられた力は、それほど――富より、名誉より、武力より、権力より価値あるものだと、氷河は これまでずっと信じていたのである。 だが、そうではなかったのだ。 「敵を打ち倒す力など、何の役にも立たない。俺は 不器用で、おまえの心を動かせるような 気の利いた言葉一つ言えないし、おまえを守ってやることもできない。俺には、おまえに愛してもらえるような力は与えられていないんだ……」 その事実に、氷河は愕然としていた。 「俺は……俺の“行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”は、敵のためにある力だ。味方や愛する人のためにある力じゃない。俺はおまえのために何もできない……」 それは 何と惨酷な事実であることか。 その力を 我が子に授けてくれと 神々に望んだ時、父は いったい息子を愛していたのだろうか。 我が子の幸福を望んでいたのだろうか。 敵に勝つことが、それだけが、息子を幸福にすることだと、父は考えていたのだろうか。 氷河には――今の氷河には、亡き父の愛どころか、正気さえ、信じることができなかった。 これまで、そんな気持ちになったことは一度もなかったのに。 父母の愛に不信の念を抱いたことなど、これまで一度もなかったのに。 「氷河……」 消沈して肩を落とした氷河を、瞬が不思議そうな目をして見詰めてくる。 「氷河は とても美しくて、優しいです。どうして そんなこと言うの。どうして、そんなに 神に与えられた力にだけに こだわるの。自分には それ以外には どんな力もないと思っているの。たとえ神々に どんな力を与えられたのだとしても、人は それだけの人間にはならないでしょう。僕を守りたいと思ってくれる氷河の優しさは 神に与えられたものではない。氷河が自分で自分の中に養ったものでしょう?」 そう言って、氷河の顔を覗き込んでくる瞬の 澄んだ瞳の温かさ優しさは――それもまた――神に与えられたものではなく、瞬自身が自分で自分の中に養ったものなのだろうか? おそらく そうであるに違いないと、氷河は思った。 瞬が自らの力で養った優しさは、氷河の胸に希望を運んできた。 「おまえに愛される力を神々に与えられていなくても、俺は おまえに愛されることができるのか?」 瞬に与えられた力が何であっても構わない。 もう、その力が どんな力なのか知りたいとは思わない。 この恋に 希望があることさえ わかれば。 それだけを願って、氷河は、瞬に問うたのである。 「え……」 沈んでいる異国の王を励まし力づけたいという気持ちだけを抱いていたのだろう瞬が、氷河の熱を帯びた視線と声に出会って、僅かに頬を上気させる。 ほんの数秒――それは氷河には10年にも感じられるほど長い時間だったが――ほんの数秒の間を置いてから、瞬は氷河に嬉しい答えを返してきてくれた。 「もちろんです。僕は氷河が大好きです」 「それは――俺にキスされてもいいと思うような“好き”なのか」 「あ……え……あの……はい」 神々が瞬に授けた力は、もしかしたら“人に希望を与える力”だったのではないか。 だとしたら、神々は、瞬の両親は、なんと素晴らしい力を、この美しい人に与えてくれたのか。 否、もう、瞬に与えられた力が何であっても構わない。 瞬に希望を手渡された氷河は、その希望に命じられるまま、瞬の身体を抱きしめ、その唇に自らの唇を重ねていた。 瞬は逃げなかった。 嫌がる素振りも見せなかった。 かといって、特に積極的なわけでもなかったのだが、今の氷河には それだけでも望外の喜びだった。 長いキスのあと、やっと氷河に解放された瞬の唇が 戸惑ったように、 「あの……僕たち、こんなことしてもいいんでしょうか?」 と、氷河に尋ねてくる。 その様子が いかにも無垢で、遠慮がちで、にもかかわらず、瞬が口にした言葉は 素朴にすぎるほど核心を突いた疑問文だったので、氷河は つい声をあげて笑い出したくなってしまったのである。 瞬を 困惑させないために、かろうじて氷河は自分を抑えきったが。 瞬の言う通り、敵を倒すしか能のない男でも 恋はできるし、愛することも、愛されることもできるらしい――その可能性はあるらしい。 瞬の それはまだ、恋と呼べるほど成熟したものではないのかもしれないが、それならそれで、時間をかけて育てていけばいいのだ。 希望はあるのだから。 そのためには まず、南の国と友好を結ばなければならない。 南北の大国同士が戦ったら、恋を育てるどころの話ではなくなる。 友好と平和――そもそも それが母の望みだったのだ。 氷河自身は、今以上の権力や領土を欲しかったわけではない。 更には、馬で3日はかかる南北両国間の距離という問題。 頻繁に瞬と会える方法を考える必要がある。 北の国に瞬を連れて帰ることができたなら、それが最善なのだが、それを瞬の兄が快く許してくれるとは思えない。 氷河の恋の前途には問題が山積していた。 だが、幸いなことに、氷河には“その行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”が与えられていたのである。 武器を持って立ち向かってくる敵は 言うに及ばず、たとえ その“敵”が武器を持って立ち向かってくる敵でなかったとしても――氷河は その敵に負けるつもりはなかった。 瞬を手に入れるために、氷河は負けるわけにはいかなかったのである。 |