「あの鬱陶しい暗い空気が消えたみたいだけど、もしかして、瞬と何か 進展があったのか?」
紫龍はいるが 瞬はいない時を見計らって、星矢が氷河に そう尋ねたのは、もちろん、氷河の立場と心を慮ってのことだった。
氷河の恋に進展があったはずがないのだ。
何か嬉しいことがあったら、大親友の(と、星矢は思っていた)天馬座の聖闘士に必ず報告してくるはずの瞬が何も言ってこないのだから。
むしろ、瞬は 昨日から妙に元気がない。
つらいことや 悲しいことは、大親友の(と、星矢は思っていた)天馬座の聖闘士にも 遠慮して報告してこない瞬を知っているので、星矢は瞬のいないところで氷河に尋ねるしかなかったのである。
二人の間に 何かあったのか、何があったのかを。

暗さは消えたが 明るくもない顔で、氷河が彼の恋の進展具合いを仲間たちに報告してくる。
その報告は、よりにもよって、
「俺は、来年の お年玉は諦めた。金が必要になったら、バイトでもする」
というものだった。
言葉だけは、未練を吹っ切って さっぱりした人間のそれだったが、氷河が 瞬への思いを完全に吹っ切れていないことは明々白々。
とある事情があって、氷河に吹っ切られてしまうと困る星矢は、吹っ切る決意だけはしたらしい氷河の その態度に、少なからず慌てることになったのである。

「来年の お年玉は諦めたって、それって、瞬を諦めたってことか !? バイトするも何も、アテナの聖闘士に バイトなんかしてる暇ないだろ! そんなことしてたら、地上の平和を守る時間がなくなっちまう。だいいち、おまえにできるバイトなんて、せいぜい冷凍倉庫で 凍った肉や魚を運んだり積んだりすることくらいだぞ。あれって、毎年 死人が出るくらい きつくて危ない仕事なんだぞ。おまえが 瞬を諦めて、事故死して、どーすんだよ!」
実際にバイトの必要が生じるかどうかもわからないうちから、バイトの職種のみならず、事故死することまで決めつけてくれる天馬座の聖闘士に、氷河は 暫時 むっとしたようだった。
それも(一応)仲間の身と地上の平和を案じてのことと思い直したのか、氷河が 氷河にしては落ち着いた声で、彼の事情を語り始める。

「瞬を諦めるわけじゃない。そんなことは 一生できない。瞬ほど優しい目で 俺を見てくれる人間は、この地上に存在しないと思う。だが、だからこそ、入学してもいないマザコン学校の卒業証書に瞬を利用することはできない。大事なのは、俺の恋が実るかどうかではなく、瞬が幸せでいてくれることだ。俺は それを第一に考えなければならない」
「そりゃ、あったりまえのことだけど、だからって、なんで、最初から 瞬を恋人にできないって決めつけてんだよ。アテナの聖闘士が諦めるなよ! 瞬が好きなんだろ! 頑張って、ものにしろよ! それが地上の平和を守ることにつながって――」
「やかましい! 俺には、瞬の幸せこそが、俺の命より大事なもんなんだ!」

氷河が声を荒げたのは、氷河が瞬のために為した決意を 頭から否定してくる星矢に腹が立ったから――だったろう。
氷河とて、望んで そんな決意をしたわけではないのだ。
だが。
その優しさに胸が詰まり、自身の心を抑え切れずに『好きだ』と告げた人に、『頑張って』と答えられてしまった男に、他に何ができるというのだ。
瞬の幸せを願うことの他に、いったい何が。
恋の才能に恵まれず、恵まれないながら その恋を貫こうとしたら、こういう道を選ぶしかないではないか。
氷河の怒声は、そういう怒声だった。
そして、氷河は――氷河という男は、恋の才能には恵まれていないが、幸運には恵まれすぎるほど 恵まれている男なのだ。
これまで、いつもそうだった。
今年も もちろん、そうなのである。

ラウンジのドアの前に 人の気配を感じた紫龍が、そのドアを開ける。
そこには瞬が立っていて、瞬は どう見ても、氷河の怒声を しっかり聞いてしまった顔をしていた。
つまり、『俺には、瞬の幸せこそが、俺の命より大事なもんなんだ!』という、『君の瞳に乾杯』より一層 古いかもしれないが、永劫の未来まで輝きを失わないだろう恋の言葉を。

「ぼ……僕は、氷河には よそに行きな人にいるんだと思って、だから、つらくても、氷河を応援するしかないと思ったんだよ!」
立ち聞きの謝罪より先に――瞬は そう訴えずにはいられなかったのだろう。
「――俺に、おまえ以外に好きな奴など いるはずがないだろう!」
恋の才能に恵まれていない男は、どうしても気の利いた台詞が言えない。
だが、瞬には それで十分だったらしかった。

「じゃ……じゃあ、もし僕が今年の目標を達成できなくて、来年の お年玉をもらえなかったら、星の子学園のみんなへの誕生日プレゼント代を、氷河が 氷河のお年玉から出してくれる?」
「それは……」
それは、つまり、白鳥座の聖闘士の“今年の目標”は達成されたということなのだろうか。
大々的に喜んで、それが早とちりだった場合、瞬に迷惑をかけることになるかもしれないので、氷河は らしくもなく慎重に、瞬に確認を入れようとした。
が、氷河が そうする前に、星矢が、盛大に“今年の目標”達成を喜び始めてしまったのである。
しかも、星矢が その達成を喜んでいるのは、どうやら 氷河の今年の目標ではないようだった。

「よっしゃあ! これで、今年の目標達成! 来年の俺のおやつは安泰だぜ!」
なぜ そういうことになるのだと 星矢を問い詰めようとした氷河への答えは、龍座の聖闘士から返ってきた。
「なんだ。星矢、もしかして、おまえの“今年の目標”も、本当は“氷河の片思いを終わらせる”だったのか?」
「ありゃ、紫龍もだったのか? 俺の本当の“今年の目標”は“氷河と瞬をくっつける”だったんだ。その件が いつまで経っても決着がつかないもんで、俺、ずっと いらいらしてたからさー。沙織さんも、瞬に氷河を監督させとけば、氷河も馬鹿なことしなくなって、聖域にも地上の平和を守るのにも いいこと尽くめだって言ってた。多分、だから、沙織さんは 氷河の“今年の目標”を“踊らないダイヤモンドダスト”から“マザコン卒業”に変えさせたんだと思うぞ」

「星矢……」
ならば、なぜ 最初に そうと言ってくれなかったのか。
それは、嘘の目標まで作って、仲間を騙さなければならないようなことなのか。
――と、瞬は星矢に問いたかった。
だが、瞬は そうすることができなかったのである。
『ならば、なぜ 最初に そうと言ってくれなかったのか』
それは、氷河に『好きな人がいる』と言われるまで 自分の気持ちに気付かずにいた仲間に 恋を無理強いする事態を避けるため――だったに決まっているのだ。
氷河に『好きな人がいる』と知らされてから 今までの胸の痛みは、これまでの自分の鈍感への罰だったと思えば、瞬は、星矢たちの言動のすべてを 仲間への思い遣りだったのだと解することもできた。
しかも。

「瞬、よかったな。おまえが氷河とくっつけば、一輝はおまえが心配で、頻繁に様子を見に来ざるを得なくなるだろう。おまえは、“ 一輝に定期連絡を入れさせる仕組みの構築”という、今年の目標を達成することになるんだ」
と、親切顔の紫龍に言われてしまっては、瞬には 仲間たちの嘘を責めることなどできるものではなかったのである。

新しい年が始まって、数えるほどの日にちしか経っていないというのに、城戸邸に起居する青銅聖闘士たちの“今年の目標”は すべて達成されてしまった。
残りの日々をどう過ごそうと、それは各々の自由。
氷河の青い瞳が、温かく嬉しそうに輝いている。
これほど 幸先のいい 年の始まりもない。
今の瞬には、仲間たちの嘘を責めることはおろか、ほんの少し機嫌を悪くすることすら不可能だった。



明るく希望に満ちた、1年の始まり。
瞬だけではなく、アテナの聖闘士たちは皆、今年が 幸福で実り多い年になることを、その時 疑ってもいなかったのである。

その日、星矢たちの“今年の目標”完全達成の報告を受けたアテナが、翌々日には 瞬の兄の居場所を突きとめ、鳳凰座の聖闘士に“今年の目標”を提出させること。
一輝が設定した“今年の目標”が、“最愛の弟を、阿呆な白鳥座の聖闘士の毒牙から守り抜くこと”になること。
その目標内容を面白がったアテナが、瞬の兄の“今年の目標”を 快く受理すること。
その結果、当然のごとくに、白鳥座の聖闘士のその年が 数々の試練に彩られた苛酷な1年になることを、アテナの聖闘士たちは、その時には まだ知らなかった――知りようがなかったから。
たとえ知っていても、そんなことは 氷河以外の者たちには 所詮は他人事だったろうが。






本年も どうぞよろしくお願い申し上げます。






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