天蠍宮を出ると、次の宮は人馬宮である。
まだ赤ん坊だったアテナの命を守るために 自らの命を散らした男の守護していた宮。
『ここを訪れし少年たちよ。君たちにアテナを託す』
装飾用石材が剥がれ むき出しになった岩壁には、もしかしたら永遠に 誰の目にも触れないままだったかもしれないアイオロスのメッセージが刻まれている。
その文言も、文言を刻んだ聖闘士の思いも、再確認の必要もないほど承知しているのに、この宮に来ると つい そのメッセージの前で立ち止まってしまう。
いつものように その場で立ち止まった氷河の腕に、瞬は両手の指を絡めていった。

「ミロがね。氷河は大愚で、僕は悪趣味だって言ってた」
氷河が怒らないことを知っているので、瞬はミロの言葉を氷河に告げた。
氷河が 短い沈黙を作ってから、
「事実だな」
と 抑揚のない声で言い、瞬の肩を抱いてくる。
瞬は、氷河の胸に頬を寄せた。
あらゆるものを凍りつかせる絶対零度の凍気を生む氷雪の聖闘士であるにもかかわらず、氷河には 瞬の心を温められるだけの体温がある。
その体温に触れながら、瞬は小さく呟いた。

「氷河が大愚なのはいいけど、温かいのは想定外だった」
「想定外?」
「ん……。僕は、氷河に 僕の心を凍らせてほしくて、氷河なら それができると信じて、僕自身を氷河に預けたのに、氷河は ちっとも冷たくないんだもの」
「敵と戦っている時はともかく、小宇宙を燃やしていない時の俺は 普通の人間だ。温めることしかできない。期待外れだったか?」
「期待外れでよかった」

本当に期待外れでよかったと思う。
であればこそ、自分はアテナの聖闘士として 恥じることなく、心穏やかに、このメッセージを見詰めていることもできるのだ。
瞬は、自分の幸運に 心から感謝していた。






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