「瞬は気付いてないのか。氷河が、瞬を自分の側に 繋ぎとめておくために――」
星矢の声をひそめたのは、瞬が気が付いていない場合を考えての用心だったろう。
瞬が気付いているのだとしても、それは大きな声で話せるようなことではなかったが。
「……気付いていないわけがない。だが、瞬は、ナターシャの幸せと氷河の幸せを願っているから、氷河を責めることができないのだろうな。氷河がナターシャを愛しているのも事実だし、瞬には責めようがない」
星矢と紫龍の前には、カーディナルが置かれていたが、瞬の前には ピンク色の液体が入ったカクテルグラスが置かれている。
紫龍は 最初はそれをピンク・レディかと思ったのだが、どうやら ピンク・レディにレモンジュースを加えたクローバー・クラブのようだった。

「氷河の瞬に対する執着は、ガキの頃から常軌を逸してたけど、それが どんどん強くなってるような気がするな。大人になったら、少しは収まるかと思ってたのに」
「瞬はナターシャのマーマであって、決して氷河の母ではないのだが――。どう言えばいいのか……瞬は、もっと広い意味で 母なる者なんだ。そういうものであるように、氷河に仕向けられている」
「母でもあり、恋人でもある者か。男にとっちゃ、理想的な存在だな」
「まあ、何にしても、人は一人では生きていけないものだから」
「それは わかってるんだけどさあ……」

氷河は 決して卑劣なことをしているわけではない。
にもかかわらず、星矢は、氷河の やりように 今ひとつ すっきりすることができなかった。
まるで未熟なバーテンダーが作ったカーディナルを飲まされたように――取り除き損ねたワインの(おり)が舌に残っているように。
氷河が、そんなミスを犯すはずがないというのに。

氷河は心からナターシャを愛しているし、心から瞬を愛している。
ナターシャを幸せにするためなら何でも利用する――瞬でも利用する。
瞬と幸せになるためなら、ナターシャも利用する。
それは 悪いことではないし、氷河でなくても――誰でも――無意識のうちに行なっていることだろう。
氷河は ただ、それを完全に意識して行ない、にもかかわらず 全く罪悪感を抱いていない。
星矢には、その点に問題があるように感じられてならないのだ。
存在しないはずの澱のせいで 渋い顔になっている星矢に、紫龍は同情の目を向けることになった。
星矢は、単純で明快なことが好きなのだ。
いつも――いくつになっても、まっすぐに正面だけを見詰めていたい。
それが星矢という少年――いつまでも少年――だった。

「瞬とナターシャを失ったら、氷河が不幸になるのは事実だ。二人のためになら、氷河は 自分の命をかけることも平気でするだろう。心配はいらない。氷河は そういうことでは、決して道を誤らない男だ」
氷河は 決して道を誤らない。
だが、力が及ばないことはあるだろう。
そして、そういう時のために、彼の仲間たちは存在するのだ。
紫龍の言で、星矢は澱を喉の奥に押し込むことに成功したらしい。
平生の彼に戻り、星矢は、おどけた様子で肩をすくめた。

「氷河ほど評価の難しい男はいないな。単純なんだか、複雑なんだか、真直なんだか、屈折してるんだか」
「氷河は、自分が 一人では幸福になれない男だということを 自覚しているんだ。瞬がいないと生きていけない自分を知っている。だから、自分が生きるために、自分が幸福になるために、瞬を自分のものにしておこうと、あらゆる努力をする。氷河は……子供の頃から変わっていないんだ。おまえと同じように」
「氷河も瞬も一輝も俺も――紫龍、おまえもか。俺たち、みんな、本質は あの頃のままなんだろうな」

幸いなことに、彼等は、あの頃の自分を嫌いではなかった。
その生き方、生き様を、悔やんでもいない。
あの頃の延長に 大人である自分たちがいるのなら、それは 幸福なことなのだろう。
そう考えて、紫龍は、カーディナルを飲み干したのである。
氷河が作る 完璧なカーディナルには、無論、澱など混じっていなかった。






Fin.






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