真のリーダー






氷河のスマホにエマージェンシーコールが入ったのは、夕方6時に5分前。
氷河が そろそろ店を開けようとしていた時だった。
ナターシャに『何かあったら、この電源を入れろ』と言って渡してあるモバイル機器からのコール。
そのソフトを作ったのは瞬で、ナターシャが電源を入れると 自動的に氷河のスマホに連絡が入り、通話ができるように設定されていた。
氷河が そのコール音を聞いたのは、これが2度目。
ナターシャに その機器を渡した際に、動作確認をした時以来だった。

ナターシャは、今日も いつも通りに、瞬に頼んでマンションを出た。
“何かあったら”連絡を入れてくるのは、瞬のはずである。
にもかかわらず ナターシャから連絡が入ってくるということは、瞬の身に何かあったのだとしか考えられない。
しかし、瞬の身に何が起こるというのか――起こり得るのか。
氷河自身 不安でなかったわけではないのだが、ナターシャを慌てさせ 不安にさせないように、氷河は 意識して落ち着いた声で、ナターシャからのエマージェンシーコールに答えたのである。
「ナターシャ、どうしたんだ。何かあったのか」
残念ながら、ナターシャは既に かなり取り乱していたので、氷河の装った冷静は あまり意味のないものだったが。

「パパっ! マーマが……マーマが……!」
今にも泣き出しそうなナターシャの声を、スマホが氷河に伝えてくる。
氷河は、今度は、更にナターシャを動揺させないために、冷静を装うことになった。
「瞬がどうしたんだ」
「知らない男の人たちに捕まっちゃった……!」
「なに……?」

瞬が“知らない男の人たち”に捕まった。
それは いったいどういうことなのか。
いったい誰なら、黄金聖闘士バルゴの瞬を捕まえることができるというのか。
ナターシャを人質に取られるようなことがあれば、そんなことも起こり得るだろうが、ナターシャが こうして“パパ”と話していられるのなら、ナターシャは自由を奪われているわけではないだろう。
氷河が最初に考えたのは、通常の人間には持ち得ない力を持った“敵”が、瞬を黄金聖闘士と承知の上で 戦いを挑んできたのか――ということだった。
そういう敵なら、たとえ それで戦局を有利にすることができるとわかっていても、彼等は幼い少女を人質に取るようなことはしないだろう。
そして、瞬も、被害を最小に抑えるために、大々的な反撃には出ないはずだった。

「瞬が どこかに連れ去られたのか !? ナターシャ、おまえは今 どこにいるんだ」
「パパのおうち。マーマが、パパのおうちに行ってなさいって。マーマは マーマのおうちにいるの」
「知らない男たちも一緒か」
「うん」
「どんな格好をした奴等だ。変な服を着ていたか? 何人くらいだ」
もし その男たちが、聖衣か それに類するものを身に まとっているなら、瞬は今、地上の平和を乱そうとする者たちと対峙していると考えていいだろう。
が、ナターシャの答えは、氷河の推察とは微妙に様相が異なっていた。
「三人。背広を着てて、黒い大きな車で来たみたい。ケーキと お花を持って、もう逃がさないとか、話を聞いてくれとか、言ってた」
「……」

無論、地上の平和を乱そうとする者が背広を着ていてはならないという決まりはない。
ケーキや花を持ってきてはならないという決まりもない。
だが、黒い大きな車でやってきた、ケーキと花を持った背広着用の男が3人。
常識的に考えれば、それは 地上の平和を乱そうとする者でも、アテナや聖域に敵対する者でもないだろう。
つまり、瞬は“敵”の襲撃を受けているのではない。
氷河は少し――否、大いに――嫌な予感がした。

「瞬は、その男たちを恐がっているようだったか? その男たちに何と言っていた?」
「困りますとか、そのつもりはありませんとか」
「男たちは、暴れたり、物を壊していたか?」
「暴れたりしてない。でも、マーマのおうちのドアの前に立って、ずっと騒いでて、マーマは おうちの中に 入れたくなさそうだったけど、仕方ないから おうちの中に入れたの。それで、ナターシャに、パパのおうちに行ってなさいって」
瞬に そう言われて、ナターシャは 別階にある“パパのおうち”に戻り、パパにマーマの救援を求めた――ということらしい。
「ナターシャが、マーマのことを マーマって呼んだら、どういうことかって 叫んで、ナターシャ、スゴク恐かったの……」
「……」

ナターシャの話から おおよその状況を把握した氷河は、思い切り 気が抜けてしまったのである。
そして、同時に ひどく緊張もした。
その状況は、どう考えても、瞬にいかれた男がケーキと花を持って瞬に迫りに来て、娘がいることを知り 逆上した――という通俗小説の一場面である。
男が三人――というのが解せなかったが、三人の男が同じ場所、同じ時に瞬に出会い、他の二人に抜け駆けをさせないために三人揃って 瞬の許を訪れた――と考えれば、何とか説明がつかないこともない。
その男たちは、地上の平和を乱そうとする輩ではないだろう。
そういう者たちが ケーキや花を持ってやってくるとは考えにくい。
しかし、その男たちが地上の平和を乱そうとする者たちでないなら安全かというと、そうとも言えない。
だから氷河は緊張した――というより、氷河は激怒したのだ。

氷河が迷ったのは、数秒だけだった。
瞬は、善意の(?)一般人――地上の平和を乱す敵ではない者たち――を 撃退することはできない――倒すことはできない。
攻撃力戦闘力を持たない人間の方が、瞬には脅威で、危険な存在なのだ。
そして、地上の平和を乱す“敵”より、そういう輩の方が 氷河には不愉快だった
氷河は 即座に、今夜は店を開けないことを決めた。
そして、
「ナターシャ! そこを動くな。今、パパが行く!」
店のドアに『CLOSED』のプレートを出し、氷河は 光の速さで店を飛び出たのである。






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