「僕は――僕にはソフトのアイデアはいくらでもあったけど、プログラム設計の才能も経営の才能も企画の才能もないことを自覚していた。だから、僕に代わるリーダーを育てたんです。それが あなた方でした。僕は、あなた方を部下だと思ったことは一度もなかった」
「社長……」
「リーダーっていうのは――フォロアーなんか作らないものです。リーダーは、もっと多くのリーダーを作る。少なくとも、僕は そのつもりで あなた方に接していました。自分がトップに立とうなんて、考えたこともなかった」
「フォロアーではなくリーダーを作る?」
「それが本当のリーダーというものでしょう?」
「……」

瞬は もう彼等を非難してはいなかった。
ただ優しく、同意を求めただけだった。
が、三人のニューリッチたちは 身の置きどころをなくしたように 身体を小さくし、顔を伏せるばかり。
彼等は 瞬とは異なり、自分の指示に従う部下だけを作ってきたのだろう。
おそらく、自分たち以外にリーダーシップを持つ者を育てることは、自分たちの地位を危うくすることだと考えて。
それでは、会社の成長が止まるのは致し方のないことである。

長い沈黙のあと、最初に気を取り直したのは、イタリア製スーツの男だった。
イタリア製スーツ男は、伊達に社長の座に収まっているわけではなかったらしい。
社員の生活が 自分の肩にかかっているという思いは、さすがに他の二人より強いようだった。
「これから、心と考えを入れ替えて頑張ります。ですから、どうか 我々の許に戻ってきてください。医師というのは、立派な仕事ですが、社長は こんなところに埋もれ燻っていていい人ではありません!」

“こんなところ”というのは、この家、この家族という意味だろうか。
瞬は 自分の目的を果たし、その上、自分の育てたリーダーたちに必要十分なものを与え、彼等を信じて 向後を委ねたというのに、その期待を裏切っておきながら、言いたいことを言ってくれるものである。
『瞬は、“こんなところ”に埋もれ燻っているわけではない。“地上の平和を守る”という、もっと大きな目的のために努めているのだ!』と、氷河は、甘ったれたニューリッチたちを怒鳴りつけてやりたい衝動に かられたのである。
瞬は、その上、ナターシャという悲しく小さな命を幸福にするために努めてもいる。
瞬は、自分という人間にできることを果たすべく、懸命に努めているのだ。
そんな瞬に、自分たちの犯した過ちの尻拭いをしてもらいたいなどとは、あまりに虫の良すぎる望み。
大の男が三人も揃って、甘えるのも大概にしろ! と、氷河は彼等を怒鳴りつけてやりたかった。

その憤りを口にしてしまうと、元同僚と家族の間で 瞬が板挟みになり、つらい思いをすることになるのが わかっているので、氷河は懸命に 自身の怒りと衝動を抑えた――何とか抑え切ったのだが。
しかし、氷河の自制は あまり意味のないものだったかもしれない。
氷河の腕の中のナターシャが――彼女に、瞬とニューリッチたちのやりとりが理解できていたとは思えないのだが――氷河の憤りを代弁してしまったのだ。
「マーマは、パパとナターシャのマーマだよ! マーマはどこにも行かない。おじちゃんたち、どっかに行って! おじちゃんたちの おうちに帰って!」

『おじちゃんたちの おうちに帰って』
確かに、彼等が今 いるべき場所は“こんなところ”ではない。
こんなところではないはずだった。
ナターシャの叫びに、三人のニューリッチたちが怯む。
ナターシャの言う通り、彼等は彼等のいるべき場所に帰って、今 彼等が為すべきことを為すべきだった。

「マーマ!」
ナターシャが、瞬に向かって両腕を伸ばす。
瞬は、氷河とナターシャの前にやってきて、氷河の腕から小さな女の子の身体を受け取った。
その小さな命を抱きしめ、頬擦りをする。
「そうだね。僕はナターシャちゃんのマーマだから」
「マーマは いつもナターシャと一緒よね。ナターシャとパパは、マーマが大好きなんだから」
「僕は、ずうっとナターシャちゃんと氷河の側にいるよ。ナターシャちゃんと氷河の側が、僕のいるべき場所だから。ナターシャちゃんと氷河の側で、僕は 僕のすべきことをする」

この世界から、不幸な子供をなくすこと。
そのために、仲間たちと共に戦うこと。
広義でも狭義でも、ナターシャと氷河の側が、瞬の いるべき場所。瞬が いたい場所。
それは、瞬の中では もはや揺らぐことのない定めのようなものになっているのだろう。
ナターシャを抱きしめている瞬の瞳には もう、迷いも困惑もなかった。
ナターシャを抱きかかえたまま、瞬が、自分の育てたリーダーたちの方に向き直る。

「僕がカリスマだというのなら、あなた方は、その僕が育てたリーダーです。僕はずっと、あなた方を頼りにしていた。あなた方になら きっと、会社を立て直すこともできます」
「しかし、我々には 打つ手が思いつかな――」
「そして、できれば、小さな子供らにスマホや携帯電話を持たせなくても、保護者に その居場所がわかるツールを販売してほしいかな。洋服や靴につけられるリボンやボタン、装飾用の紐なんかでもいいかも。需要はあると思うの。徘徊の不安がある老人やペットと、用途も広いし。GPSやオービスの電波を利用するようにすれば、比較的簡単に開発もできるでしょう。可愛くて、さりげないのがいいと思う」

「それは……開発できたら、売れるでしょうが」
「ええ。小さな子供にスマホを持たせたくない親は、とても多いと思うから。僕の名前だけなら使ってくださって結構ですよ。“SHUN”がバックについていると公言してくださっても構いません。僕の名が役に立つのなら。それからどうするかは、あなた方次第です」
「今から開発に取りかかっても……遅すぎるのでは」
「そんなことはありません。企画に半月、システム作成とテストで ひと月。あなた方の力をもってすれば可能でしょう。次の決算期までに 正式発表の目途が立てば、十分に乗り越えられる。どんなことにも、遅すぎるなんてことはないんです。人を育てることにも、会社を育てることにも」

「そんな短期間で……」
それでも不安そうだったニューリッチたちは、
「やって。あなた方は、僕が育てたリーダーです。あなた方になら できる。できたら、僕が いっぱい褒めてあげます」
『いっぱい褒めてあげます』という、瞬の鼓舞に力を得てしまったらしい。
「はい。必ず、ご期待に沿います。社長が褒めてくださるのなら」
彼等は、真顔で瞬に頷いた。
瞬は どこまでも甘い――と、氷河は胸中で嘆息したのである。
瞬は、苦しんでいる者や つらい立場にいる者を、どうしても突き放すことができないようだった。

そうして。
瞬に新システムのアイデアとプラン――むしろ、それは目標、希望というべきか――をもらったニューリッチたちは、
「社長。情けない姿をお見せして申し訳ありませんでした」
「ご教示、ありがとうございます」
「諦めずに、我々にできる限りのことをしてみます」
瞬に謝罪し、感謝し、決意表明をし、
「ナターシャちゃん、ごめんね」
「君からマーマを取ったりしないから、安心して」
「社長に育ててもらえるなんて、本当に羨ましい」
ナターシャに謝罪し、安堵させ、羨望の念を示し、
「……」
「……」
「……」
氷河には なぜか、『お騒がせしました』の一言も言わず、冷ややかな一瞥だけをくれて、瞬の家を辞していったのだった。






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