沙織の有難い忠告は、本当に有難いものだった。
アテナに逆らうことの無益を知っている氷河は、もちろん彼女の有難い忠告に従おうとしたのである。
従おうとしたのだが。

「宮子さんは 氷河のことを好きだったんだね。それで、あんな――」
沙織の書斎を出た瞬は、優しさを生む自らの想像力を、まず宮子のために働かせ始めてしまったのだ。
「……」
氷河は、瞬が そんな人間だから、そんな人間である瞬を好きになった。
だが 氷河は、今は――今だけは、瞬に その優しさを放棄してほしかったのである。
今 ここで、宮子の気持ちを思い遣ることの中に 瞬を逃がしてしまったら、白鳥座の聖闘士は アテナの有難い忠告を無視したことになる。
そんなことになったら、アテナは、白鳥座の聖闘士を どれだけ甲斐性なし呼ばわりしてくれることか。
氷河は その事態を、どうにかして回避しなければならなかった。

「優しさというものは もちろん、自分の価値観の押し付けにならないように、相手の心や立場を想像し 思い遣るところから入るべきだが、相手のことを考えすぎると、人は行動できなくなる。それで、俺とおまえの両方が膠着状態に陥ってしまったら――いくら 俺たちに相手の心や立場を慮る想像力があっても、それを行動に移さなければ、優しさなど 無意味だ」
「氷河……」
「そして、あの女が真正の馬鹿でなく、本気で優しい人間になろうと考えているのなら――せめて そのための努力ができる女だったなら、その優しい気持ちで、自分以外の人間の幸福を願い、自分以外の人間の幸福を喜ぼうとするはずだ。そうでないなら、あの女は、おまえが気に掛けてやるほどの価値のない人間だったというだけのことだ」

氷河が、そんなふうに、自分勝手にも聞こえる主張を主張したのは、もちろん、氷河自身の恋のため。
瞬のため、アテナのため。
そして、宮子の名誉のためでもあった。
人の心を思い遣ることのできる想像力を持つ瞬は、もちろん、氷河の そんな自分勝手な主張の意図を察し、許してくれるのだ。

「……人は誰でも 優しい気持ちを持っていて、優しい人間でありたいと思っているのに、それが考え過ぎのせいで すれ違ってしまったら悲しいね」
言葉通りに悲しげに(つまりは、優しく)、瞬は そう言った。
そして、氷河が 差しのべた手に、その白い手を重ねてくる。
瞬は 瞬らしく、氷河は 氷河らしくなく、相手の気持ちを考えすぎて、互いの手を取る時が遅くなり過ぎた。
重ねた手から伝わってくる互いの優しい体温の快さの中で、氷河と瞬は そう思ったのである。
遅くなりすぎはしたが、間に合ってよかったと。



「沙織さんから、連絡をいただいたんですぅー。氷河さんと瞬さん、くっついちゃったんですってぇー。信じられないぃー!」
開き直ったように 大らかに元気になった宮子が、星の子学園のボランティアとして奇跡の復活を果たしたのは、それから3日後。
「あれだけ馬鹿馬鹿 言われたら、意地でもほんとに優しい人間になって、私を馬鹿呼ばわりしてくれた馬鹿男を見返してやらなきゃ、腹の虫が治まらない気分になっちゃってぇー。ついでに、私の健気な恋心を踏みにじってくれた似非クール男に嫌がらせもしたいしぃー」

それが本来のキャラクターだったのか、奇跡の復活の混乱の中で 生まれた新しいキャラクターなのかは、誰にも わからなかったのだが――もしかしたら宮子自身にも わかっていないのかもしれなかったが――ともかく、“新キャラクター・宮子ねーちゃん”は 星の子学園の子供たちには 大いに受けているらしい。
宮子の復活と変身を、瞬は 彼女の優しさと強さゆえのものだと言うが、それは絶対に瞬の考えすぎだと、氷河は思っている。






Fin.






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