「……」 初対面の人間に その名を口にされ、さすがの氷河も 彼に無関心で い続けることができなくなったらしい。 氷河と瞬は、瞬時に心身を緊張させた。 彼は、“敵でも味方でもないもの”ではなく、“敵”か“味方”のいずれかなのだと考えて。 彼に 小宇宙は感じられない。 にもかかわらず、彼は 氷河と瞬の名を知っている。 聖闘士ではないのに――聖闘士ではないはずなのに。 敵意も害意もない――敵とは思えない。 好意も親しみやすさも感じられない――味方とも思えない。 アテナの聖闘士に対して、どんな立ち位置にある者なら、そんな存在でいられるだろう? その答えを見い出せず、氷河と瞬は無言で彼を見詰め返した。 沈黙していれば、彼が自発的に 自己紹介を始めてくれるかもしれないと、それを期待して。 青年は、瞬たちの期待に応えてはくれなかった。 彼は、別の質問を重ねてきた。 「キグナス氷河とアンドロメダ瞬?」 その質問も変である。 アクエリアスの氷河とバルゴの瞬が この世界に現れた時、キグナス氷河とアンドロメダ瞬は この世界から消え失せた。 それは二人の過去の呼び名になった。 氷河と瞬がアテナの聖闘士であることは知っているのに、二人が どの聖衣を まとう者なのかを、彼は知らないというのか――。 あまりに奇妙で――だから、瞬は 反撃に出ることにした。 彼の質問には答えず、彼に質問をすることで。 「あなたは誰。その名を誰から聞いたの」 人に名を尋ねる時、先に自分の名を名乗らないのは、名乗りたくないからなのか、名乗れない事情があるからなのか。 自己紹介をせずに、氷河と瞬に その正体を尋ねてきた青年が、素直に自分の質問に答えを返してくるとは思えなかったのだが――意外や、彼は瞬に問われたことに答えを返してくれたのである。 それは、答えになっていない答えだったが。 「誰から聞かなくても、おまえたちの名は伝説的だ。キグナス氷河、アンドロメダ瞬、ペガサス星矢、ドラゴン紫龍、フェニックス一輝。アクエリアスの氷河とバルゴの瞬、サジタリアスの星矢、ライブラの紫龍、レオの一輝。問われなくても、誰もが語りたがる。おまえたちの伝説は、“ウサギとカメ”や“白雪姫”と同レベルの おとぎ話のようなものだ」 「……」 今 ここに生きている人間を 伝説という人間。 そんなことを言える人間は、どんな人間か。 時間の制約を越え、世界の制約を越え、生死の制約を越えて、過去から 今の この世界にやってきた先達たちを知っている氷河と瞬にも、彼の言葉は衝撃だった。 さほど驚くようなことではない気もしたが。 なにしろ、シュラ、アイオリア、アイオロス――過去に死んだ人間が 現在に生きて存在しているのだ。 未来に生きている人間が 現在に存在することも、決して 不可能なことではないだろう。 「アテナに忠誠を誓い、地上の平和を守るために戦う聖闘士の理想を体現した最高の聖闘士。最高であり、理想であり、完璧であるにもかかわらず、常に進化成長し続けた五人。青銅聖闘士であった時に既に聖域の黄金時代を築き、黄金聖闘士になった時には、聖域には光しかなかった。あまりにも輝かしく心躍る時代を作った五人。伝説の五人が存在した時代以上に 平和な時は訪れるかもしれないが、伝説の五人が存在した時代以上に 輝かしい時代が聖域に訪れることはなく、伝説の五人以上の聖闘士が出現することもないだろう――。そんな おとぎ話が、彼等の後に続く聖闘士たちに 伝説の五人への憧憬を抱かせ、同時に 伝説の五人を超えることは不可能だろうという思いが、後進の聖闘士たちを落胆させた」 いくら何でも それは話を盛りすぎだと、瞬は思ったのである。 が、伝説というものは そういうものだろう。 トカゲ退治がドラゴン退治になり、支流の多い川の氾濫がヤマタノオロチになり、タイミングのいい引き潮が 海を二つに割る奇跡として伝えられる。 それが伝説なのだ。 今 問題なのは、アクエリアスの氷河やバルゴの瞬が伝説として語られている時代を、彼が知っているということだった。 「君は……聖闘士なの? 未来――今より未来の……?」 謎めいた青年の答えを待たずに、氷河が 瞬の疑念を否定する。 「こいつが聖闘士だと? そんなはずがあるか。このガキには小宇宙がない――全く感じられない」 そんな聖闘士がいるはずがないのに、“このガキ”もまた、氷河の言を否定した。 「俺は聖闘士だ。俺の時代、俺以上の力を持つ聖闘士はいない」 『俺の時代』――それは、どう考えても 今より過去ではない。 未来の聖域は、アテナは、聖闘士をロボット化でもしたのだろうか。 小宇宙は、心がなければ生めないもの。 彼に小宇宙の存在を感じることができないのは、そういうことなのだろうか。 しかし、瞬は――氷河も――彼の小宇宙は感じとれないが、彼が人間であるという感触は知覚できていた。 彼は人間である。 どう考えても、彼は人間だった。 「俺は、光速拳を撃つことも絶対零度の凍気を生むこともできる。気流や嵐を自在に操ることも、おまえたちを異次元に飛ばすこともできる。過去の聖闘士の技は、すべて撃つことができる」 「小宇宙がないのに」 「ある。能力の低い、おまえたちには 感じ取れないだけだ。技名を言ってみろ。俺の言葉が嘘ではないことを証明してみせる」 「馬鹿らしい」 氷河が吐き出すように そう言ったのは、謎の青年の言葉を信じられなかったからではなく(もちろん 信じられなかったろうが)、倒さなければならない敵もいないのに 聖闘士の力を示しても何の益もない――という思いゆえだったろう。 謎の青年が 氷河の言葉をどう受け取ったのかは 瞬にはわからなかったが、彼は無感動な目をして、氷河に向かって拳を放った。 |