食べて 眠って 働く。もしくは、食べて 眠って 遊ぶ。 人間の生きる営みというものは、時代が変わっても 基本的なところは同じらしい。 瞬のマンションのどんな施設にも、どんな道具にも、自称未来人のウティスは戸惑った様子を見せなかった。 それを瞬は不思議に思ったのだが、ウティスの戸惑いのなさを不思議に思う方が おかしいのだと、瞬は すぐに考え直した。 たとえば、今 突然 縄文時代の縦穴式住居に招待されたとしても、自分は さほど見当違いな振舞いはしないだろう。 自分の本来の時代より未来に行くことになれば、見知らぬ道具や仕組みに戸惑うこともあるかもしれないが――彼がやってきたのは過去なのだから。 その夜、瞬は、自分のマンションの客用寝室を彼に提供し、自身は氷河の部屋の方で夜を過ごすことにした。 そうしないと、氷河の不機嫌が ますますひどいことになりそうだったので。 「あのガキが どんな技でも繰り出せるというのは本当かもしれないが、奴は さほど強くはないぞ。本気で戦えば、負ける気がしない」 氷河が そう考える訳――もとい、そう感じる感覚――が、瞬には わかるような気がした。共感した。 彼の小宇宙を感じることができないからなのだろうか。 それとも、彼の意欲の欠如、気概の無さのせいなのか。 瞬は、ウティスに、脅威や威圧感を 全くといっていいほど感じていなかった。 「地上の平和を乱す者でもないのに、本気になれるわけがないでしょう」 「地上の平和を守りたいという気持ちもなさそうなのが、最大の問題だな」 ナターシャは、まだ眠くならないのか、両目を ぱっちり開いて、氷河の膝の上で遊んでいる。 ナターシャに 夜更かしの癖をつけないようにしなければと、瞬は思った。 が、それはまた 後日に対策を講じることにして。 「生まれつきの聖闘士なんていない。聖闘士の――それも 黄金聖闘士レベルの技を使えるようになるためには、どうしたって何らかの修行が必要だよ。彼も、それは僕たちや他の聖闘士たちと同じだったろうに……」 そうして聖闘士になったはずのウティスの目的意識の無さが、瞬には理解できなかった。 「彼だって、聖闘士になるために 様々の試練を乗り越えてきたはずなのに……恐ろしいことだよ。目的がないのに努力できるって。そして、あれほどの技を身につけているのに、ウティスなんて名前を名乗るのは悲しい……」 聖闘士が その戦いを戦い続けるのは、歴史に名を残すためではない。 伝説になって、後代まで その名を伝えるためでもない。 聖闘士が そんな承認欲求を抱いてはならないと思う。 だが、だからといって、自分を“誰でもない”と名乗り、自分という存在に意味を持たせまいとすることは、“聖闘士として”以前に“人間として”不自然だと、瞬は思わないわけにはいかなかった。 「彼は……そうだね。無心に勉強して、難関大学に入る学生みたいなものだよ。なりたい未来像はない。社会的にも、どんな望みも抱いていない。人にすごいと褒められたいわけでもない。世界一の称号がほしいわけでもない。記録を残したいわけでもない。誰かのためでもない。自分のためでもない――我が身を守るためでもない。自分が生きたいと望んでいるからでもない。誰かに強いられたわけでもない」 誰でもない――ウティス。 「平和を守りたいわけでもない。不幸な子供をなくしたいわけでもない。海の底にいるマーマに会いたいわけでもない。なのに、彼は聖闘士になれた。……そんなことは あり得ない」 それとも、『そんなことはあり得ない』と、『そんな聖闘士、そんな人間がいるはずがない』と思う自分が、滅私できずにいる未熟な聖闘士なのだろうか。 否、そうではないだろう。 「僕たちには――人間には、夢があり、望みがあり、欲がある。そして、その内容によって 個性が形成される。独自の色や雰囲気が生まれる。彼には それがない。誰にだって目的はあるものなのに。なりたい自分があるものなのに。彼はテクニックは完全だけど、表現したいものがない芸術家のようなものだよ。バイオリンや笛の音の出し方は知っているけど、奏でたい曲がない。絵の具も絵筆もカンバスもあるのに、描きたい絵がない」 「体力があり、性欲があり、テクニックがあり、持続力もあるのに、抱きたい相手がいない男のようなものか。それは空しいだろうな」 「氷河っ!」 “パパ”が何を言っているのか、まだナターシャには わからないだろうが、子供は、親が驚くほど 詳細明瞭に親の言動を見聞きし、かつ 記憶するものである。 瞬は、氷河の冗談を その名を呼んで たしなめた。 ナターシャは もちろん、パパとマーマのやりとりを熱心に聞いていた。 そして、その会話をナターシャなりに理解し、解釈し、彼女の意見を口にする。 「ナターシャは、地上の平和を守るケーキ屋さんにナリタイー」 「素敵な夢だね」 ナターシャの可愛らしい(?)夢に、瞬は ほっと安堵し、そして微笑んだ。 こんなに幼いナターシャにさえ 夢がある――思い描く未来がある。 だが、あれほどの力を持つウティスには、それがないのだ。 それは、やはり不自然なことだった。 僅かに眉を曇らせた瞬の顔を、氷河の膝の上からナターシャが覗き込んでくる。 「ナターシャ、あの お兄ちゃん、好きダヨー」 ナターシャの その言葉は、瞬には少々 意外に思われるものだった。 つい、 「どうして? どんなところが?」 と、問い返してしまう。 「ワカンナイー」 「……」 ナターシャは、一癖も二癖もある特殊な大人に(だけ)囲まれて暮らしているせいか、人見知りも物怖じも知らず、偏見を持たない素直な少女である。 だが、だとしても――であればこそ――今日初めて会った人を、訳もなく好きになるようなことはしない。 そこまで 根のない少女ではない。 ナターシャがウティスを好きだというのなら、ウティスは ナターシャに好意を持たれる何かを持っているのだろう。 ナターシャは、それを言葉にできないだけなのだ。 ナターシャに好意を抱かせる、ウティスの“何か”。 その“何か”を見付け出せない自分に、瞬は もどかしさを覚えた。 |