瞬の涙を止めるために、エスメラルダは積極的に快く、自称 瞬の兄は不承不承、氷河が瞬に会える場面を設定してくれた。

自称 瞬の兄の手引きで――オテル・リッツのスイート・アンペリアルの第二寝室に突然現れた氷河の姿に、瞬は驚いた様子も見せなかった。
泣きすぎて、その気力さえ、瞬の中には湧いてこないらしい。
泣きはらした目をしていても可愛らしい瞬を――むしろ、阿呆な男のために 泣きはらした目をしているからこそ可愛らしい瞬を――氷河は『 Comment allez vous ?』も言わずに抱きしめたのである。

気力も体力も喪失しているような瞬は、抵抗する気配もない。
さすがに、調子に乗った氷河に唇をふさがれたのには驚き、氷河の腕の中から逃げようとしたが、無論、氷河は瞬のそんな我儘を許さなかった。
今、瞬の涙を止め、瞬を元気にしてやらないと、二人の対面の場を作る労をとってくれたエスメラルダに顔向けができない。
そして、瞬は やたらと機転が利き、弁舌が立つ。
氷河は、瞬が気力を取り戻し、余計な抵抗に及ぶ余裕を取り戻す前に、すべてを丸く収めてしまわなければならなかったのだ。
そのために、勢い込んで、この再会の用件を瞬に訴える。

「瞬。俺がおまえを好きになったのは、おまえが神秘の性の持ち主だからじゃない。男だからでも女だからでもない。俺がおまえを好きになったのは、おまえがおまえだからだ」
「氷河……」
「俺は侯爵家の存続にも、金にも興味はない。ただ」
「ただ?」
「ただ、おまえと一緒なら、人生の試練を乗り越えるのも楽しそうだと思う」
「……」
「好きだ。ずっと一緒にいてくれ」

瞬が弱っていることに付け込んで、自分の言いたいことだけを まくし立てる男を、瞬がどう思ったのかを、氷河は知らない。
氷河が知っているのは、自分の言いたいことだけを まくし立てた阿呆な男に、最初は当惑の目を向けていた瞬が、最後には嬉しそうな笑顔になってくれたことだけ。
その笑顔によって、彼の恋が無事に(?)成就したということだけだった。
そして、氷河には、それだけが重要なことで、他のすべてのことは 取るに足りない些事でしかなかったのである。
些事でしかなかったのだが。

「ヴェルソー侯爵家の経済状態に関しては、おまえは何も気にする必要はないぞ。カミュには、カミュの薔薇園の薔薇の販売ルートを開拓することを提案するつもりだ。ジャガイモの代わりに薔薇で金を得ることはできないかと調べてみたら、カミュの作った新種の薔薇に とんでもなく高い値段をつけた輸入業者がいたんだ。俺も知らなかったんだが、今 フランスの外では空前の薔薇ブームが起きているらしい。欧州各国の王室や貴族、米国の成金たちが 美しい薔薇の苗に法外な値をつけて買い取ってくれるそうだ。新種の薔薇に“ヴェルソー”の名をつけて売り出せば、ヴェルソー侯爵家の名が美しい薔薇の花と共に 世界中に広まることになる。ヴェルソー侯爵家の尊厳は守られ、金も入る。政略結婚なんて姑息な手段に頼る必要はなくなる」

些事は些事だからこそ、さっさと解決してしまった方がいいに決まっている。

「カミュは侯爵家の尊厳を守ることには固執しているが、侯爵家の血筋にこだわりは持っていない男だ。俺たちも、カミュがそうしたように、不遇な子供を引き取って、愛してやればいい」

恋が成ったからには、些事に かかずらうことなく、恋を楽しむ時間を 少しでも長く持ちたい。

「おまえはフランスに渡り、俺と恋に落ち、俺と暮らすようになった。それで、何の問題もない。城戸の家のあれこれは、エスメラルダのことも含めて、おまえの自称兄が何とかすべきことで、おまえが気に掛けることじゃない。それくらいのことを うまく対処できないなら、そんな無能な当主を戴くことになった城戸家は、どのみち没落するだけだ」

氷河は、目的が明確で、かつ その目的が納得できるものであれば、いくらでも問題解決能力を発揮できる男だった。
そして、氷河が納得できる人生の目的は、ただ“愛”のみ。
愛だけが、氷河の人生の唯一の糧にして、唯一の実りだった。


愛という目的があれば実に有能だが、愛という目的がなければ、氷河は無能無才の ぐうたら男になってしまうのだという事実を知った瞬は、そんな氷河に驚き呆れつつ、最近では彼の人生の目的の実現に熱心に付き合っていている。






Fin.






【menu】