5月の連休が終わっても、城戸さんは学校に来なかった。 担任の先生が、家庭の事情で 城戸さんは学校をやめたと、短く クラスのみんなに報告して、それだけ。 城戸さんは、存在感はあったけど、特に親しい友人もいなかったし、詮索を厳に禁じる空気を感じ取って、クラスのみんなは誰も騒ぎ立てることをしなかった。 たった数分で 大きな別荘が一つ半壊したっていうのに、それは 新しい建物を建てるための解体工事だったことにされて、地方紙のローカルニュースにもならなかった。 ろくに人のいない別荘地。 いちばん近い隣りの別荘までの距離が100メートル。 そこで 実際に何が起こったのかを知っているのは、城戸さんと彼女の お取り巻き美形戦隊だけ。 騒ぎの間、私は瞬さんの綺麗な顔に見とれてて、(もちろん恐さもあったけど)周囲の様子なんか ほとんど見てなかった。 要するに、その事件は、見事に なかったことにされてしまったの。 私は、何か 気が抜けて――胸に ぽっかり大きな穴が開いたような気分で、連休明け最初の登校日を過ごしたのよ。 私の胸にぽっかり開いた穴。 それは、あの事件の真相を知り損なったせいじゃなく、最高の萌えネタを手にしたと思った途端に それを失ったからでもなく、『きっと、友だちになれる』と思った城戸さんに もう会えないのかもしれないっていう予感が もたらす落胆が作った穴だった。 きっと、もう会えない。 もし会えたとしても、城戸さんは、私との間に壁を築く。 根拠はなかったけど、そんな気がした。 『沙織さんは、多分、同年代の同性のお友だちが欲しくて、学校に通うことにしたんです』 『沙織さんと仲良くしてくださいね』 瞬さんの言葉を思い出すと切なくて――。 きっと 城戸さんは、私のことなんか すぐに忘れちゃうんだろうけど、それもまた切なくて――。 城戸さんと 友だちになれたら、さぞかし刺激的でスリリングで楽しい高校生活を送れるようになるだろうって、私は すごく わくわくしてたのに。 城戸さんがいなくなったら、多分 この学校の主席は私になっちゃうわよ。 詰まんないこと この上ない話だわ。 今どき、5月病なんて流行らないと思うけど、私の症状は まさにそれだった。 連休明けの最初の日、城戸さんが学校をやめたことを知らされて、1日 ぼうっとして過ごして、私は すごく憂鬱な気分で校門を出た。 あの日 城戸さんや瞬さんたちと出会ったこと、城戸さんの別荘で見たこと、聞いたこと、交わした言葉。 すべてが夢か幻だったような気がして、私は、楽しい夢の世界から 灰色の現実世界に戻ってきた 異界トリップストーリーの主人公みたいな気持ちになっていた。 「友野さん」 それが夢でも幻でもなかったことを知らせる声が聞こえてこなかったら、私は、竜宮城から人間世界に戻ってきた浦島太郎みたいな人生を送ることになっていたかもしれない。 校門の脇に、氷河さんと瞬さんが立っていた。 現金なものね。 目が二人の姿を認知すると、それまで休眠してたらしい私の五感は アドレナリン大放出で活発に活動を開始した。 駅に向かう生徒や 駐車場に向かう生徒たちの流れが 門の辺りで妙に滞ってると思ったら、それは門の脇に立ってる瞬さんと氷河さんの姿を 少しでも長い時間 自分の視界に留めようとした下校中の生徒たちのせいだったらしい。 つまり、彼女等は ほぼ全員、通常の3倍遅く歩いたり、用もないのに その場に立ち止まったりしてたのよ。 そりゃあ、気になるわよね。 白百合の君と、高慢宮廷貴公子。 こんなに綺麗で、異様で、不思議で、異質で、目立つ二人。 こんな美形だから気にしてる人と、二人が非日常街存在だから 気にしてる人。 生徒たちの意識は一様じゃないみたいだったけど、とにかく誰もが二人を気にしてた。 その二人が、私の名を呼んで、私の方に歩いてくる。 この学校に入学して、私が これほど衆目を集めたのは、多分 これが初めて。 私、目立ちたがり願望は全くないから、以前だったら すごく居心地の悪い気分になってたんだろうけど、この時ばかりは 安堵感でいっぱいだった。 だって 私、もしかしたら このまま何の説明もなしに、挨拶らしい挨拶もなしに、うやむやな状態で、もやもやした気持ちで、永遠に 城戸さんに会えなくなるんだって思って 消沈してたんだから。 事情説明はね。できないんだったら、してもらえなくてもいいの。 でも、城戸さんには会いたい。 そして、城戸さんとの間に壁を作ってることを意識してなかった自分の馬鹿さ加減を謝って、罵倒するなり、許すなり、城戸さんのしたいことをしてほしい。 でないと、私、悪さをして永遠に『ごめんなさい』を言う機会を奪われた小心者の悪たれ小僧みたいに、いつまでも そのことを引きずることになる。 瞬さんと氷河さんの姿を認めた時、もしかしたら城戸さんのところに連れてってもらえるかもしれないって、そんなことまで 私は期待した。 瞬さんと氷河さんを見ているうちに、それは 過ぎた望みだと わかってきたんだけど。 「あの……僕と氷河が二人で行くと、友野さんが喜んでくださるだろうって、紫龍が――」 どこか遠慮がちで、済まなそうな目と声の瞬さん。 瞬さんが、楽しくて 爽快な解決策を携えて ここに来たんじゃないってことは、瞬さんの美貌に目が眩んでる私にも容易に感じ取れた。 「城戸さんは、無事だったの? 元気でいるの? どうして学校をやめちゃったの?」 瞬さんは、私の質問には答えてくれなかった。 「沙織さんから、『ご迷惑を お掛けして ごめんなさい』と伝言です」 とだけ言って。 瞬さんの その言葉で、私は 沙織さんが あの事件で 死んだり大怪我したりしたわけじゃないことだけ、知ることができた。 「私、全然 迷惑なんかじゃなかったのよ。確かにびっくりしたけど、どきどきしたし、わくわくしたし、嬉しかった。滅多にできない経験でしょ、あんなこと」 『それは命があったからです』 瞬さんが、言葉にはせず、寂しげな微笑だけで、私に告げる。 それはわかってる。 それはわかってるけど、実際 命はあったんだから、それでいいじゃない。 そう思う私は軽率で浅はかな人間なの? 「学校が始まったら、私、城戸さんに 色々 話を聞かせてもらえるって期待してたのよ!」 あの騒ぎの時、私は瞬さんの綺麗な顔のどアップに見とれてて、氷河さんや星矢くんや紫龍さんが何をしたのかも知らないままだったから。 「そうできたらいいんですけど……」 「それから、これまで勝手に僻んで 引け目感じて、壁を作ってて ごめんなさいって言えると思ってたのに……!」 一生 この もやもやを抱えてなきゃならないの、私は。 「私、城戸さんと、お友だちになれるような気がしてたのに!」 「友野さん……」 私、馬鹿みたい。 まだ 友だちにもなってなかった人のために 涙をにじませて。 こういうの、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げて酔ってる馬鹿女っていうのよ。 私は、私が許されたいだけ。 こんなの、城戸さんにだって迷惑だわ。 私と城戸さんは まだ“お友だち”でも何でもなかったんだから。 私の勝手な言い草を聞いても、瞬さんは腹を立てた素振りは見せなかった。 瞬さんは わかってるんだろうに。 私が そんなことを言うのは、私自身が すっきりしたいからで、城戸さんのためじゃないってこと。 でも、瞬さんは 優しく私に微笑んでくれた。 少し寂しそうに。 「沙織さんには、いろいろ公にしてしまえないことがあって、秘密にしておかなければならないことがあって――。それが感じ取れるから、友野さんも、沙織さんとの間に壁を作らないわけにはいかなかったんでしょう。沙織さんは せめて――自分には 友だちにも打ち明けられない秘密があることを、友野さんに伝えるべきだった。その上で、友だちになってほしいと願うべきだった。友野さんのせいじゃありませんよ」 瞬さんは 私が何を求めてるのかが わかってて、だから 私のせいじゃないって言ってくれてる。 瞬さんは優しいんだ。 でも、私は わかってる。 私のこの もやもやは、城戸さんと ほんとの友だちになることでしか消えない――ってことが。 そして、その機会は もう二度と巡ってこないんだってことも。 そう思って、私は項垂れた。 そんな私に 希望をくれたのは、なんと高慢宮廷貴公子の氷河さんだった。 氷河さんが、傲慢な口調と不遜な目つきで、 「どれだけ 先になるかは わからないが、しばらく待ってろ。俺たちは 必ず、この世界を平和な世界にする。そうすれば、沙織さんの秘密は 秘密にしておく必要のないことになって、貴様と沙織さんは オトモダチにでも何でもなれる」 って、言ってくれたの。 希望が全くないわけじゃないって。 私と城戸さんが 友だちになれる時が、いつか来るかもしれないって。 多分 氷河さんは、私のためじゃなく、私が しおれてるせいで明るくなれないでいる瞬さんのために、そう言ってくれたのよ。 それくらいのことは、大馬鹿者の私にだって わかる。 でも、それこそ 私の望むところ。 氷河さんは、世界のすべてより 瞬さんを愛してる。 そして、私には希望がある。 これ以上の望みも、これ以上の喜びも、私にはないわ。 萌えと希望。 それが私の生きる力よ。 「その時が来るかしら。ほんとに」 「貴様、俺たちの力を信じられないというのか!」 氷河さんが むっとした顔になって、 「氷河、その言い方……!」 瞬さんが、そんな氷河さんを たしなめる。 それから 私の方に向き直って、瞬さんは、優しいくせに厳しい目をして、私に約束してくれた。 「来ますよ、いつか きっと。僕たち、頑張りますから」 「じゃあ、城戸さんと お友だちになれる その時まで、私も頑張って生きることにする」 「友野さんの その言葉を聞いたら、沙織さんも喜びます」 私の その決意表明に、瞬さんが初めて 明るい瞳になる。 そんな瞬さんを見て、氷河さんも満足したよう。 そんな二人を見て、私も もちろん、大満足。超萌え萌え。 そうして 私は、綺麗な二人と笑顔で(氷河さん除く)別れたの。 あれから数年。 あれ以来、私は、城戸さんにも 城戸さんの美形お取り巻き軍団にも 一度も会ってない。 城戸さんからの連絡もまだない。 この数年の間には、パパが仕事でドジって 蓼科の別荘を手放さなきゃならなくなるようなこともあったんだけど、でも 私は、結構元気。 絶望することも、立ち直れないほど落ち込むこともなかった。 あの特別に綺麗な人たちが、私の希望を叶えるために頑張ってくれてるんだと思うと、どんな時にも、どんな状況にあっても、私の中には生きる力が湧いてくるのよね。 私は、あの綺麗な人たちに守られてるんだって思うと。 だから。 いつかきっと来る、その日まで。 いつかきっと来る、その日のために。 とりあえず、私は、今日も一日、必死こいて生きていくわよ。 Fin.
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