キャンパスで、俺が 次に夢美を見掛けたのは、その決意から1週間後。 俺は、声を掛ける きっかけを狙って、夢美のあとをついて行ったんだ。 午前の講義が終わったとこだったから、教室を出た夢美は ランチをとるために学食かキャンパス近くのカフェにでも入るだろう。そしたら、そこで声を掛ければいいと思ってた。 だけど、夢美は、教室を出ると 学食にもカフェテリアにも行かず、そのまま駅に向かった。 午後の人間生物学の講義を取ってるはずなのに、夢美は家に帰るつもりらしい。 夢美の行動は想定外だったけど、俺は もう夢美を追いかけ始めてて、今更 後には引けない気分になってた。 だから――俺って もしかしてストーカーになりかけてないかって思いはしたけど、結局、俺は夢美と同じ電車に乗り込んだ。 大学のキャンパスがあるのがC区。 夢美のあとを追って 電車に乗り、N区のH駅で降りた時、これ以上 夢美のあとをつけたら、俺は完全完璧にストーカーになってしまうと思った。 声を掛けるなら、夢美が電車に乗る前に すべきだったと後悔した。 もう、夢美に声はかけられない。 学校の最寄り駅から10駅も離れた(しかも、1回 乗り換えもしてる)場所で 偶然の出会いを装うのは、さすがに無理がある。 実際、俺がH駅にいるのは偶然じゃないんだしな。 このまま夢美のあとをつけて、夢美のアパートだかマンションだかの場所を知るのは まずいって、思ったんだよ、俺は、ちゃんと。 だけど、夢美は 駅を出ると、住宅地とは違う方向に歩き出した。 いったい夢美は どこに行くつもりなのか。 それが気になって、俺は結局 夢美を追い続けたんだ。 自宅じゃなく、行きつけの店とか 散歩コースを知るだけなら、ストーカー行為にはならないだろうって、自分で自分に変な言い訳をしながら。 追い続けながら、その辺の案内板を見て、俺は、夢美がH公園に向かっていることを知った。 夢美の目的地の公園は、かなり大きな公園だった。 噴水やテニスコート、キャンプ施設まであって、あちこちに いろんなモニュメントがある、妙に 洒落のめした公園。 夢美は、ちびっこ広場とかいう区域の端にあるベンチに座ると、それきり動かなくなった。 夢美は ぼんやりと 何かを眺めている――いや、何かを睨み続けている。 いったい何を? 俺は、夢美が掛けているベンチから10メートルくらい離れたところにある木の陰に身を隠して、夢美の視線の先を辿り――俺はもう立派なストーカーだと思った。 なんで こんなことになるんだ、しかし。 夢美が見てるのは、公園の広場で遊んでる家族連れだった。 別に知り合いでもなさそうなのに――知り合いなら声を掛けるくらいのことはするだろう――そんなものを、夢美は じっと見詰めてる。 初めての一人暮らしで ホームシックになって、夢美は家族を恋しがってるのかと疑ったんだが、夢美が凝視してる対象を特定するに及んで、そうじゃないことに、俺は気付いた。 夢美が睨んでるのが、その家族の、主に父親だけだったから。 その男は金髪で――当然、目の色は青だろう。 なぜ“当然”なのかは わからないが、俺はそう思った。 とにかく、やたらと目立つ男だった。 まだ小学校には上がってないだろう小さな女の子と、奥さん(にしては、若すぎるし、可愛すぎる気もしたけど)らしきカノジョと一緒にいる。 金髪男と女の子は、高い高いとか、飛行機ごっことか、肩車とか、けんけんぱとか、素朴な運動遊びをしてて、少し離れたところで、可愛子ちゃんママ(だよな?)が、そんな二人を見守ってる。 なんかもう、絵に描いたように理想的な家族、家庭。冗談だろって思うくらい綺麗で、幸せオーラ満載。 金髪男は表情に乏しくて、よく子供が恐がらないもんだと思うくらいだったけど、女の子は金髪男との素朴な遊びを滅茶苦茶 喜んでて、公園内に はしゃいだ歓声を響かせてた。 そんな二人を、可愛子ちゃんママが、金髪男の分も優しそうな目で見詰めている。 結婚願望なんて(まだ)抱いたこともない俺でさえ、その光景には、まじで ほのぼのした。 結婚して子供を作るなら、体力のある若いうちだなーなんて、金髪男と遊んでる女の子の元気な声を聞きながら思ったりもした。 そんな幸せそうな家族を見てる夢美は、でも、全然 ほのぼのしてないんだ。 むしろ幸せそうな家族を憎んでるみたいで――。 俺は、幸せそうな一家(の主に父親)を 微動だにせず凝視してる夢美の横顔を見てるうちに、夢美は その幸せな家族連れを“憎んでるみたい”なんじゃなく、“憎んでる”のだと思うしかなくなった。 でも、だとしたら、なぜだ? あの小さな女の子が夢美に何かしたはずはないし、全身から優しさオーラが放出されてる可愛子ちゃんママが夢美に何か危害を加えたってことも考えにくい。 となれば、どう考えたって、夢美が憎んでるのは あの金髪男だってことになる。 けど、どうすれば、そんな状況が現出するんだろう? 俺の出来の悪い頭で思いつくパターンは、自分で自分に呆れるくらい お粗末で陳腐なものだった。 パターン1は、夢美が あの金髪男に一方的に片思いをしている(だけ)。 パターン2は、コクったけど、相手にしてもらえなかった場合。 パターン3は、相手にしてもらえたけど、すぐに捨てられた。 そんなとこ。 視線で呪い殺してやろうってくらいの夢美の様子から察するに、パターン3の可能性が いちばん大きいんだろうか、やっぱり。 あんな綺麗で可愛い奥さんのいる男が、田舎から出てきたばかりの化粧っ気もない女の子に食指を動かしたりはしないだろうって思わないでもなかったけど、俺は その夢美が好きなわけだしな。 俺にとって魅力的な女の子は、俺以外の男の目にだって魅力的に映るだろう。 夢美は、ガキの頃から、機転が利いて、リーダーシップもあって、気持ちいいくらい さばさばしてる奴だった。 ガキの頃は、近所のガキ共の まとめ役で、ガキ共に一目置かれる存在だったんだ。 俺は、そんな夢美の命令通りに動くのが好きで――別に、下僕願望があったわけじゃないぞ。 俺は基本的に 要領が悪くて、滅多に夢美の期待に沿うことはできなかったけど、たまに うまくいった時、夢美に褒めてもらえるのが嬉しくてさ。 やっぱ、下僕願望があるんだろうか、俺は。 でも、そういう願望、俺は夢美にしか感じたことはないぞ。 うん。まあ、つまり、俺にとって夢美は それくらい特別な幼馴染みだってことだ。 でも、あの金髪男には そうじゃないだろう。 あんな派手な水商売風の男が、夢美を相手にするなんてことは考えにくい。 してみると、パターン1かパターン2. パターン1は、ないかな。 夢美は思い切りのいい奴で、うじうじ片思いなんかする奴じゃない。 パターン2も ないか。 夢美は、コクって振られたら、すっぱり諦める奴だ。と思う。 やっぱ、夢美は第一志望の大学落ちて がっくりきてるのかな。 それで、幸せそうな奴が憎たらしいとか。 初めての一人暮らしで、近くに頼れる人が欲しかったとか? でも、夢美の目は、どう考えたって、あの金髪男を憎んでる人間の目だ。 あの金髪男、もしかしたら、夢美を普通に振るんじゃなくて、途轍もなく ひどい振り方をしたんじゃないだろうか。 それで、夢美は、可愛さ余って憎さ百倍って気持ちになってるとか。 失恋で うじうじしてる夢美は想像できないが、自分をこっぴどく振った男に痛い目を見せてやろうって考えて意気盛んな夢美なら 想像できなくもない。 だとしたら、夢美が こんな幸せな場面を見続けているのは、夢美の心の傷を深くするだけだ。 まかり間違うと、夢美の復讐心を煽ることにもなる。 幸せな一家を見続けているうちに、夢美の中に、相手の男を傷付けるだけじゃなく、あの幸せそうな家庭を壊してやろうなんて考えが生まれないとも限らない。 なーんて、本当のところは どうなのかを確かめずに、あれこれ想像していると、ろくな考えが生まれてこない。 この際、ストーカーと思われてもいいから夢美に声を掛けて、夢美の視線を金髪男から逸らしてやるのが 最善の道なんじゃないかと、俺は思った。 意を決して、俺は、隠れていた木の陰から一歩 足を踏み出したんだ。 で、俺が二歩目を踏み出す動作に入った時、可愛子ちゃんママが娘に向かって声を掛けた。 「ナターシャちゃん、喉 渇かない? 大丈夫?」 可愛子ちゃんママが そう言い出したのは、甲高い声で きゃあきゃあ騒いでる“ナターシャチャン”の喉が心配になったからだったろう。 それが ちょうどいいタイミングだったらしく、ナターシャチャンは、可愛子ちゃんママに笑顔で頷いた。 「ナターシャ、喉、渇いた。アイスクリーム食べたいー」 「アイスクリームじゃ、喉の渇きは消えないよ。血糖が上がると、かえって喉が渇くんだから。アイスクリームじゃなく、お茶かミネラルウォーターにしようね」 可愛子ちゃんママは、優しい顔に似合わず、なかなか厳しい。 そんなママに慣れているのか、ナターシャチャンが、何かの合図を送るように、金髪男の手を握りしめる。 金髪男は、不愛想な顔に似合わず、娘に甘い父親らしい。 娘に手もなく懐柔された金髪男は、迷う様子もなく 娘の味方についた。 「瞬。ナターシャが食べたいと言っているんだから」 「氷河はナターシャちゃんに甘すぎます!」 「俺は、ちゃんと おまえにも甘くしている」 なに、んなこと真顔で言ってるんだ、この気障親父。 「もう……。ナターシャちゃん、じゃあね。アイスクリームは僕と半分こして、カシスジュースを氷河と半分こしよう」 「ナターシャ、パパとマーマと半分こスルー」 「ナターシャちゃんは、氷河よりずっと いい子だね」 “マーマ”に褒められた“ナターシャチャン”が、嬉しそうに“パパ”とつないでいた手を前後に揺らす。 なんかもう、やること、為すこと、言うことが、ほんとに いちいち可愛いな。金髪男はさておき、“ナターシャチャン”と可愛子ちゃんマーマは。 ともかく、そのやりとりで、俺はその家族連れの名前と おおよその 人となりを把握できた。 表情が乏しくて、娘に甘い グータラ親父の氷河。 しっかり者で優しいマーマの瞬。 素直で お利巧なナターシャちゃん。 絵に描いたように幸せそうな家族、赤の他人の俺でも ビデオに撮っておきたくなるような幸せな家族。 しかも、揃いも揃って美貌の持ち主ときた。 夢美を傷付けた ろくでなし男の一家だっていうのに、三人のやりとりを眺めている俺の顔は いつのまにか すっかり緩みきっていた。 まるで 初孫の やんちゃ振りに鼻の下を伸ばしてる、どっかの爺さんみたいに。 すぐ、こんなんじゃ まずいだろうって、自分に活を入れたけど、でも、この家族の前じゃ、どうしたって、誰だって、そうなるよなあ。 ――と思いながら、夢美の様子を窺ったら、夢美は そうじゃないみたいだった。 夢美は金髪男を睨んだまま、いらいらしたように 膝の上に置いた右拳を 強く握りしめたり、緩めたりしてる。 夢美は、あの金髪男に よほど ひどいことをされたんだ。 だから、あの一家が幸せそうであればあるほど、怒りが増す。 俺はもう一度、幸せな一家の方に視線を巡らせた。 金髪男の氷河が夢美に何をしたのかは知らなくても、腹が立つほど いい男だってことだけで、俺が氷河を嫌う理由は十分だ。 きっと、あの金髪男が最低男だってことを知らずに、可愛子ちゃんマーマの瞬とナターシャちゃんは 奴を信じきっているに違いない。 だからって、俺には どうすることもできないけど――事実を教えて、あの幸せそうな二人を悲しませることなんか、できるわけないしな――俺は可愛子ちゃんマーマの瞬とナターシャちゃんが かわいそうになってきた。 アイスクリームとカシスジュースを飲食するためだろう。綺麗で幸せそうな一家が、ちびっ子広場から移動を開始する。 三人の姿が、意味不明のモニュメントの向こうに消えると、夢美もベンチから立って歩き出した。 さすがに これ以上 幸せ一家を追いかける気はないのか、一行が向かった方向とは逆の方に。 公園を出て、その途中でスーパーに入ったところを見ると、夢美は 今日は もう帰宅することにしたらしい。 もうどうしたって声は掛けられないから、俺は夢美の追跡を中断して、N駅の方に引き返したんだ。 重い足取りで、夢美のために 俺はどうすればいいんだろうと悩みながら。 |