周囲の空気を張り詰めさせ、睨み合う軍神アレスとキグナス氷河。 その緊張した空気を、じゃらじゃら ぴろりんと響き渡る騒がしい音が 一気に弛緩させ霧散させる。 「なんと、野蛮な」 と言いながら、竪琴をかき鳴らしつつ登場した赤毛の男が、そのバトルの勝利者(?)だった。 外見年齢は、アレスより少し下だろうか。 妙に すかした顔の、見るからに軟弱軟派系。 紅蓮の髪が、それこそ 炎のように逆立っている。 体躯は決して貧弱ではなく、背には矢筒と弓まで背負っているというのに、軟弱軟派系の印象が強いのは、鎧だけを まとっているアレスとは対照的に、彼が 丈の短い純白のチュニック一枚という いで立ちをしていたからだったかもしれない。 男の太腿など頼まれても見たくない星矢たちにとって、彼は 目に毒を流し込まれたようにも思える姿をした男だったのだ。 「瞬だと ミニスカートでも可愛いのに、男の太腿って最悪だな」 星矢の呟きは、幸か不幸か、二つ目の障害物が作り出す竪琴の音に 掻き消され、赤毛の男の耳には入らなかったようだった。 彼がかき鳴らしているのは、彼自身のテーマ曲らしい。 心なしか、ジグソーの『スカイハイ』に似た曲だが、『スカイハイ』が発表されるのは、今から1800年以上 後になるので、そんなはずはなかった。 「今度は誰だよ」 うんざりした顔で、星矢が、ぼやくように(闖入者当人ではなく)自分の隣りに立つ紫龍に尋ねる。 「さあ。知っていても、知らない振りをしたいタイプの男だな」 紫龍の感性が 自分のそれと同様に常識的だったので、星矢は とりあえず、その事実には安堵したのである。 いつになったら終わるのかと疑われた彼の演奏は、星矢以上に うんざりした顔のアレスの拍手によって、無事に(?)終わった。 二つ目の障害物は、観客の拍手を待って 演奏を続けていたらしい。 アレスのそれは、どう考えても称賛や感動の拍手ではなく 非難の拍手だったのだが、赤毛の男は 自分に向けられる拍手は すべて称賛の拍手と思い込める 幸せな男のようだった。 機嫌のよさそうな笑顔で、彼は 自己紹介をしてきた。 「私は、音楽・芸能の神、羊飼いの守護神にして光明神、医療の神でもあり、予言の神でもある太陽神アポロンだ。瞬を渡してもらおうか」 「軍神アレスの次は、太陽神アポロンが、瞬をご所望かよ? 何なんだよ、次から次に。これも 瞬に取り憑いてる邪神のせいなのか?」 彼等が瞬を所望する理由が 『瞬が可愛いせい』でないのなら、氷河が不機嫌にならなくて 大変結構なことなのだが、それでも彼等が アテナ直訴計画の障害物であることに変わりはない。 それらの障害物を 速やかに取り除いてしまわなければ、青銅聖闘士たちは いつまで経っても目的地に辿り着くことができないのだ。 「俺たちが会いたいのは 女神アテナなんだ。他の神サマは お呼びじゃないんだよ!」 「君たちが私に用がなくても、私は君たちに用があるのだ」 アテナの聖闘士たちに 瞬の引き渡しを求めてきた太陽神は、どうやら 瞬が誰なのかを知らなかったらしい。 青銅聖闘士たちの顔を 星矢、紫龍、氷河、瞬の順で確認し、四人目の瞬の上に視線を据えると、アポロンは嬉しそうに破顔した。 「清らかな魂に ふさわしい 優しく清らかな姿。大いに気に入ったぞ。さあ、瞬、こちらへ来なさい。これからは、私と毎日を楽しく暮らそう」 氷河は、その言動において、何よりも好悪の感情を優先させるので、あまり 人に賢い印象を与えないが、適応力や応用力はある男である。 並み以上の学習能力を備えている。 だからこそ 彼は、これまで幾多の戦いに身を投じながら、今日の日まで生き延びてきたのだ。 ゆえに、 「何を言っているんだ、この酔っ払い! 瞬、星矢、紫龍! こんな軟派野郎は無視して、アテナの許に急ごう」 という、氷河の言葉は、彼の優れた学習能力によるものだったろう。 氷河は彼の学習能力を稼働させ、アレスやアポロンの相手を まともにすることを、時間と労力の無駄と判断したのだ。 彼に その言葉を言わせたのは、もちろん、瞬を所望する神々への嫌悪の感情だったろうが。 わざとらしく(所有権主張のために)瞬の肩を抱いた氷河は、アレスとアポロンの脇を すり抜け、そのまま 先に進もうとした。 氷河が10歩分ほど足を進めたところで、竪琴を弓に持ち替えたアポロンが、軟派だが居丈高な口調で 氷河を制止してくる。 「私は、アレスのような肉弾戦は好まないが、弓は得意なのだ。遠矢の神と呼ばれている。逃げても無駄だ」 “逃げる”ではなく“無視”のつもりだった氷河に、アポロンの制止は 不愉快この上ないものだったのだろう。 彼は、むっとして、その場に立ち止まった。 途端に、アポロンの射た矢が、氷河の頬をかすめる。 アポロンは、氷河の肩か首を狙ったらしい。 狙いを外したアポロンは 忌々しげに舌打ちをした。 が、氷河の方は 舌打ちどころでは済まなかったのである。 「こ……こんな近距離で弓を射るとは、貴様、何を考えている! 瞬に当たったらどうするつもりだったんだ、この下手くそっ」 『下手くそ』と言われて、『下手くそじゃないもん!』と言い返してこないあたり、アポロンは 意外に潔い男なのかもしれない。 彼は、自身の未熟を素直に認めた。 「遠矢の神とはいえ、弓を射るのはトロイア戦争以来1400年振りだったのでな。どうも、腕が鈍っているらしい。――が、すぐに勘は戻るだろう。安心したまえ。次は確実に その足を止める。それとも、ひと思いに心臓を射抜いてやろうか。危ないから、瞬は どいていなさい」 『危ないから、どいていろ』と言われて 素直にどくのは、アテナの聖闘士のとる行動ではない。 「氷河、逃げてっ」 瞬は氷河を庇って、弓に矢をつがえたアポロンの前に両手を広げて 立ちふさがった。 その瞬を庇おうとして、氷河が更に瞬の前に出る。 その瞬間を逃さず、遠矢の神は矢を放ち、アポロンの射た黄金の矢は、今度は見事に氷河の腿に突き刺さった(外れようもない距離だったが)。 「馬鹿っ、奴の狙いはおまえなんだぞ! 逃げるのは、おまえの方だっ」 腿に突き刺さった矢を抜くことも、瞬の方を振り向くこともせず、氷河が瞬を怒鳴りつける。 そんなことを言われても、だからといって、『では、遠慮なく』と逃げられるわけがない。 他の人間、普通の人間は さておいて、そこで逃げられないのが 瞬という人間だった。 「僕のために、人が傷付くのは嫌なのっ!」 そう考えるのが瞬という人間だということを知っているから、瞬が そういう人間だからこそ、ためらいなく瞬を庇った氷河は、咄嗟に うまい説得の言葉が出てこなかった。 代わりに、アポロンが、瞬の認識を正してくる。 「誤解しないでくれたまえ。私は、君を傷付けるつもりはない。君を私のものにしたいだけだ。そこの男が邪魔立てさえしなければ、私は何もしない。こんな男に矢を射るのは勿体ないじゃないか。私の矢は純金製なんだぞ」 太陽神は、意外と せこい男のようだった。 「だったら、純金じゃなく木の矢を使えばいいじゃないか」 星矢は、半ば親切心からアドバイスしたのだが、 「太陽神である私が、そんな安っぽい矢を使えるか」 太陽神は、その助言を言下に拒否した。 『なら、そんな せこいことを言うな』と言い返したいところだったのだが、星矢は賢明にも その言葉を喉の奥に押し戻した。 今の星矢には、そんなことより もっとずっと気に掛かることがあったのである。 すなわち、 「まあ、それはそれとしてさ。軍神サマも太陽神サマも、『瞬を渡せ』だの『私のものになれ』だの、それって おかしいだろ。確かに瞬は可愛いし、側に置きたい気持ちは わかるけど、氷河ならともかく、神サマが瞬を手に入れて何になるんだ? 瞬には 邪神が宿ってるんだぜ? 地上を支配したがってる神サマ方には、瞬が聖域にいた方が都合がいいんじゃないのか? そうすれば 瞬の中の邪神と呼応して、聖域を内と外から攻略できるんだから。オリュンポスの神々が邪神が宿っている瞬を手に入れようとするのは理屈に合わない」 という気掛かりが。 アレスとアポロンの言動には、神として矛盾があるのだ。 地上の平和を守ることを第一義としているアテナの聖闘士には、その矛盾の解明の方が、アポロンの見栄っ張りの是非より、はるかに重要な問題だった。 その矛盾が解明されれば、なぜ瞬の中に邪神が潜むことになったのか、その理由がわかるかもしれない。 その理由によっては、アテナの手を煩わせるまでもなく、アレスやアポロンにも 瞬の中の邪神を追い出すことができるかもしれない。 星矢は そう考えて、アポロンとアレスに その点を問い質そうとしたのである。 そこに、三柱目の神 登場。 三柱目の神は、脅しや貶しから入ってきたアレスやアポロンとは異なり、称賛の言葉と共に登場してきた。 もっとも、それは全く褒め言葉になっていない褒め言葉だったが。 |