「ウーミーハーヒロイナ、オオキイナー」 真っ青な海、水色の空、白い砂浜に寄せる波。 ナターシャは、沖縄の梅雨明けを知らせるテレビニュースで 沖縄の海の映像を見て以来、すっかり青い海に魅せられてしまっていた。 それ以来、1日に10回は『海』の歌を歌い、環境ビデオや 海洋生物のドキュメンタリー、海の写真やネット上の動画等、海の姿を映したものを見、瞬が修行したアンドロメダ島の海の様子や 氷河が修行した東シベリアの海の話を聞いては、瞳を輝かせる日々を過ごしている。 「ウーミーハー オオナミ、アオイナーミー、ユーレーテ、ドコマーデ ツヅクヤラー」 『海』の歌詞は3番まで覚えたが、2番までしか歌わないのは、海は見てみたいが、海に お舟を浮かべて よその国に行きたいわけではないから――なのだそうだった。 もちろん、『パパとマーマが一緒なら、ナターシャ、どこにでも行くヨー』という但し書き付きだったが。 海は すべての命の源。 そして、すべての命が還るところ。 人は、海を見る時、その大きさ豊かさに心打たれ、自分が大きく豊かな世界の一部であることを しみじみと思い出す。 ナターシャが海に魅せられ、海に惹かれる気持ちはわかるのである。 瞬自身、アンドロメダ島で、海の美しさ――死と隣り合わせであるがゆえの壮絶な美しさ――に圧倒され、あるいは、その姿に孤独な心を慰められてきたのだから。 「ウミは どこまで広がってるの?」 「ウミには カニさんやヒトデさんがいっぱいいるんダヨネ? みんなで遊んでるの? カニさんやヒトデさんにもパパやマーマがいるの?」 「クジラさんの背中に乗ったら 楽しいカナ?」 「ウミの夢を見たヨー。ナターシャ、イルカさんと一緒に、人魚姫みたいに泳いでるの」 ナターシャが思い描く海は、明るく楽しいテーマパークのような海である。 そこにいる命はどれも 幸福で、喜びに満ちている。 ナターシャは、“ワダツミ”などという海の神の名は知らない――忘れているのだ。 いずれ氷河はナターシャのおねだりに負けて、海に行くことになるだろうとは思っていた。 最初は、できれば あまり人のいない静かで綺麗な海。 海水浴客で ごった返している夏休みの海は避けたい。 沙織さんに、海辺にある城戸の別荘を借りることはできないか。 いっそギリシャに行ってみるのはどうだろう――? そんなふうに、その時のことを漠然と考え始めてはいた。 考え始めてはいたのだが。 まさか梅雨の真っ只中の熱海の海に、ナターシャを連れて 出掛けていくことになろうとは、ナターシャが『海』の歌を歌い始めた頃には、瞬は思ってもいなかったのである。 伏兵は思わぬところから現れた。 『晴れた日に、潮風に吹かれて 青い海を眺めながら食う 生しらす丼はサイコーだったぜ!』と、明るい瞳で語る星矢。 生しらす丼だけなら、ナターシャは心を動かされることはなかったかもしれないが、 『焼きトウモロコシも かき氷も アイスクリームも スイカも、海辺で飲み食いすると、なんでだか百倍 美味くなるんだよなー』 と、星矢は、食欲方面から ナターシャの海への憧れを煽ってくれたのだ。 ナターシャの海への関心を紛らせるのに役立つかと考えて 買い与えたビーチサンダルも、想定とは逆の方向に作用した。 「ナターシャ、新しいサンダル履いて、ウミを見ながら、百倍 美味しいアイスクリーム食べるのー」 ナターシャは すっかり その気になり、『海』の歌を歌う回数も、1日10回から20回に増えてしまったのである。 夏まで待てないというナターシャに、瞬の予想通り、氷河は負けてしまった。 氷河らしいと言えば氷河らしい。 あるいは氷河は、一度ナターシャを海に連れていき、それで何事も起こらなければ、心配症の乙女座の黄金聖闘士の憂いを消し去ることができるのではないかと、それを期待したのだったかもしれなかった。 海には、大いなる自然の意思しかない。 海自体に邪悪な意思が潜んでいるわけではない。 ナターシャを海辺に連れていくことは、その事実を確かめるために必要な儀式なのだと、氷河は考えたのかもしれなかった。 梅雨が明けていない方が 人出も少ないだろうし、いっそ雨でも降っていれば海に触れることなく 海の姿だけを鑑賞して、その儀式を終えることができるかもしれない。 かつてナターシャの身体に憑依していた殺戮者ワダツミは、今は 水瓶座の黄金聖闘士が作り出した絶対零度の氷玉に完全に封じ込まれている。 その氷球に対して精神感応による調査をしたが、固いシールドに阻まれて、聖域は“顔の無い者”に関する どんな情報も入手することはできなかった。 ワダツミは、死に近いほど深い眠りに就いているのかもしれない。 否、それは死より深い眠りなのかもしれない――。 良いことも悪いことも考えたが、氷河と瞬は、要するに ナターシャの“ウーミーハー ヒロイナ、オオキイナー”攻撃に負けて、星矢推薦の熱海の海に出掛けていくことになってしまったのだった。 海を見るためならチャイルドシートも我慢するというナターシャの約束を取り付けて 車で行くことにしたのは、途中でチャイルドシートの束縛に耐えられなくなったナターシャが『海を見れなくてもいい』と言い出すことを期待していたからだったかもしれない。 海に向かう前日から、水色のリボンのついたビーチサンダルを履いて、ナターシャは はしゃいでいた。 そんなにも海を見たがっているナターシャの望みが叶わないことを 心のどこかで期待している自分に、瞬は罪悪感を覚えてしまったのである。 |