五老峰の気候に上機嫌だった氷河を 一瞬にして不機嫌にしてくれた“天秤座の黄金聖闘士が青銅聖闘士たちを五老峰に招いた目的”。
それは、
「わしは、紫龍と春麗を さっさとくっつけてしまいたいのじゃ。おぬし等、協力してくれ」
というものだった。

老師が わざわざ3DK(3つの個室と、ダイニングルームならぬ談話室、キッチンならぬ階段付き)のログハウスを建てたのは、紫龍と春麗に知られずに、その策を練る場所を確保するためだったらしい(紫龍は、老師たちが居住している家の修行時代からの部屋を使っていた)。
ログハウスの談話室に 紫龍の仲間たちを集めて、紫龍と春麗の仲を取り持つよう 協力を要請してきた黄金聖闘士の前で、氷河は 遠慮する様子もなく露骨に不快の念を示した。

「黄金聖闘士の命令であっても――地上の平和を守るために戦うことを第一義とするアテナの聖闘士が、なぜ そんなことのために骨を折らなければならないんだ。紫龍にも、余計なお世話だろう。その手のことで 傍から他人に やいのやいの言われることを快く思う人間はいない。それは つまり、『おまえは女ひとり自分で ものにできない甲斐性無しだ』と言われるようなものだからな」
「他人同士をくっつけてる場合じゃないよな。自分がくっつきたくても くっつけずにいるのに」
「それは どういう意味だ」
氷河が、星矢の揶揄に かちんときた様子で、天馬座の聖闘士を睨みつける。
星矢は 武士の情けで、それが“どういう意味”なのかを その場では(瞬のいる場では)答えることをしなかった。
代わりに、わざとらしく肩をすくめてみせる。

「おまえのことじゃなくてさ。俺たちみんなが、って意味だよ。独り身の人間が縁結び事業に乗り出しても説得力ないし、なんか うら寂しいじゃん」
ごまかす星矢に、氷河は疑り深い目を向けたまま。
氷河の視線を無視して、星矢は、談話室の中央に鎮座ましましている老師の方に向き直った。
「五老峰に着くなり、紫龍と春麗だけを桂魚取りに行かせたのは そういうことかー。川漁、俺もやってみたかったのに」
これは本気で、残念そうに星矢が ぼやく。
「馬に蹴られて死なずに済んでよかったの」
冷ややかに そう言ってから、老師は しんみりした口調になった。

「おぬし等にも思うところは多々あるじゃろうが、協力してくれ。わしは、こんな若い女の子向きの楽しみもないような山奥で、紫龍の帰りを ひっそりと待っている春麗が哀れなのじゃ。好きになった相手が たまたまアテナの聖闘士だったばかりに、春麗は いつ訪れるのかわからない平和の時を待つしかないのじゃぞ。あたら若いみそらで、じっと待つだけの日々。このままでは春麗は、待って待って行かず後家になってしまう」
「それは とても悲しいことです……」

瞬が、同情に耐えないといった様子で、溜め息を一つ洩らす。
人の色恋沙汰に手出し口出しをすることは、地上の平和を守るために戦うことを第一義とするアテナの聖闘士の務めではないと考える氷河と違って、一人でも多くの人を幸福にすることこそが アテナの聖闘士の務め――というのが、瞬の考え。
紫龍と春麗のためにできることがあるのなら、当然 協力は惜しまない――というのが、瞬のスタンスである。
とはいえ、『では、そのために紫龍の仲間たちには何ができるのか』と問われると、瞬も皆目 見当がつかないというのが実情だったのだが。

「でも、それは難問ですね。紫龍は、あの通り 生真面目で、無責任なことは絶対にできない性格ですし……。アテナの聖闘士は 常に死と隣り合わせで、いつ命を落としてもおかしくはない。だから、軽々しい行動は もちろん、軽々しい約束を交わすことすらすべきではないと、紫龍は考えているんじゃないでしょうか」
「うむ」
瞬の推察に、老師は重々しく頷いた。
それから、軽く首を横に振る。
「聖闘士は 常に死と隣り合わせ。春麗は そんなことは承知しておる。だが、だから 紫龍を諦めて 他の男との幸せを考えろと言っても、春麗は おそらく わしの言うことはきかんじゃろう。ならば、若すぎるなどということは、この際 無視して、わしは あの二人を結びつけてやりたい。いつ死ぬかわからないのなら、少しでも長い時間を共に過ごせるようにしてやりたいのじゃ」

「アテナは僕たちが守るから、紫龍は春麗さんの側にいてあげて――と、僕たちが紫龍に言って、紫龍が それを聞き入れてくれるといいんですけど……」
「おぬしは、聞き入れんと思うか?」
「……」
老師の問い掛けに、瞬は楽観的な答えを返すことができなかった。
瞬の口調が、少々 沈んだものになる。

「紫龍は、堅苦しいくらいに生真面目で、ほどほどということができないところがありますから……。何にでも一意専心、一本気。平和のために戦うなら、そのために全力を尽くすべきだし、春麗さんと約束を交わしたなら、その約束を果たすために全身全霊を傾けるべき。そう考えて、両方を ほどほどにこなすことができないというか……」
そして、そのどちらかを選べと言われたら、紫龍は おそらくアテナの聖闘士であることの方を選んでしまうだろう。
瞬は、そんな気がした。
老師も、瞬の推測に賛同しないわけにはいかなかったらしい。
紫龍の師が渋い顔になったのは、紫龍のせいというより、紫龍を そんな男に育ててしまった自分に対してのことだったかもしれない。

「確かに、紫龍は不器用――というか、極端な男じゃからの。人類の大半は、仕事と家庭を適当に両立しているというのに、あやつの辞書には、“ほどほど”や“おざなり”という単語が載っておらんのじゃ」
「ええ」
その不器用な生真面目さは、紫龍の美点であると同時に短所でもある――短所であると同時に、得難い美質でもある。
老師に頷く瞬の表情は、叱らなければならない子供を どうしても叱ることができずに困っている親のそれに似たものになった。

「平素は春麗最優先で よいのにのう。地上の平和を脅かすほど強大な敵が現われれば、あの朴念仁は どうせアテナのもとに馳せ参じるじゃろう。わしがどれほど春麗の幸福を願おうと」
「プライベートを優先して聖闘士稼業をさぼることを 自分の弟子に推奨するとは、アテナの聖闘士の言うこととも思えんな。しかも黄金聖闘士が」
老師の もどかしげな ぼやきに 氷河が非難の響きの濃いコメントを付したのは、その言葉通りに、老師の黄金聖闘士としての姿勢に異議を唱えるためだったのか、瞬が真面目に 聖闘士らしからぬ老師の与太話の相手をしていることを不快に感じたからなのか。
そのいずれであったにしても――弟子の幸福を願う師の優しさを非難するような氷河の言に、瞬は慌てた。
そして、氷河の非難を なかったことにするために、急いで 話の筋を元の場所に戻す。

「僕たちの存在がよくないのかもしれません。紫龍にとって、春麗さんを幸せにするということは、自分の幸せのために努めることと同義なんですよ。いわば、地上の平和を守るために戦う聖闘士としてではなく、一人の人間としての――紫龍個人の幸福を追求すること。紫龍は、自分の幸福を守るために、僕たちだけにだけ戦わせておくことは卑怯者の振舞いだと考えているような気がします」
「ありそうなことじゃ」
「僕たちは それで一向に構わないんですけど……。それで紫龍と春麗さんが幸せに暮らしていられるのなら、僕たちは喜んで紫龍の分も戦うのに」

瞬の断言に、氷河が 露骨に仏頂面になったのは、紫龍のさぼりを 彼は許す気がないから――ではなかった。
紫龍に戦いより大事なものがあるのなら、無理に戦う必要はないと思う。
氷河が仏頂面になったのは、紫龍のさぼりを是とする瞬の意見に賛同できないからではなく、
「おまえも、少しは、おまえ自身の幸せというものを考えたらどうなんだ」
と思うから――だった。






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