公園のアイドル






複数の女性が、自分を遠巻きに見ている(観察している?)ことには気付いていた。
『ママ友』なる言葉の存在も 知ってはいた。
ママ友――幼い子供の母親であることを共通項とする女性たちが築く友人関係。
彼女等の主たる生息地は公園。もしくは、幼稚園、保育所、その周辺。
ママ友ができないことや ママ友間でのトラブルに悩む母親が、日本国には大勢いるということも 知らないわけではなかったのである、瞬とて。

とはいえ。
そもそも 瞬は、ナターシャのマーマではあっても、ママ(= 女性の親)ではない。
ナターシャが公園に行く時は 大抵 氷河(=パパ)が一緒で、そこに瞬が同行する日もあれば、父娘だけで行く日もある――というのが、氷河一家(ナターシャ一家と言うべきか)の基本スタイル。
仕事が夜間の氷河と違って、瞬は昼間の勤務の方が多く、どうしても ナターシャと二人で公園に行くことは少なくなる。
“パパと娘”もしくは“パパとマーマと娘”の組み合わせは、光が丘公園を主たる生息地とするママ友集団には 声を掛けにくい形態らしく、それゆえ 瞬は これまで彼女等に関わったことはなかった。

ナターシャはパパが大好きで、パパが一緒なら、楽しくて幸せ。
よその家の母親や子供との交流がなくても、不便も不満も不都合も不足もない。
瞬自身、氷河やナターシャと一緒にいられれば、それで十分に楽しく嬉しく、他の家の母親たちと親交を持つ必要を感じていなかった。
必要を感じないどころか、不要とすら思っていた。
瞬が 氷河やナターシャと共に公園に出掛けていくのは、ナターシャと遊ぶのが楽しいから。
氷河とナターシャが遊んでいるのを見ているのが嬉しいから。
そして、ナターシャの身の安全を守るため。
かつ、氷河が無茶をしないように見張るため。
つまり、決して親同士の親睦を図るためではなかったのだ。
まして、親同士の親交に気を取られて、ナターシャから目を離すようなことは本末転倒。
そんな馬鹿げたことができるわけがない。
――というのが、瞬の考えだったのだ。

そういうわけで、瞬は、ママ友なるコミュニティの存在に必要性を感じておらず、そのコミュニティの一員になりたいと望んでもいなかった。
が、それを積極的に拒むべきものと考えていたわけでもない。
子供同士で遊ぶことを欲する子供たちの親たちによって 小規模なコミュニティが形成されることは、その親たちにとっては自然なことなのだろう――という認識でいた。
その瞬が、子供の母親たちから成るコミュニティを、害悪――とまではいかなくても、あまり好ましいものではない――と思うようになったのは、たまたま 瞬がナターシャと二人で公園に行った ある日のこと。
紫龍から よい茶葉と紹興酒が手に入ったという連絡を受けた氷河が、ナターシャと瞬の公園行きに同道しなかった、ある日の出来事のせいだった。

その日、ナターシャは公園の東屋のテーブルに24色クレヨンを持ち込んで、公園の花壇にある 八重咲きヒマワリの絵を描いていた。
ゴッホのヒマワリを見て、
「ナターシャも お花の絵を描きたい」
と言い出したナターシャに、氷河がクレヨンと お絵描き帳を買い与えたのである。
ちなみに ナターシャは、ヒマワリの絵を描いたあと、パパとマーマとナターシャの絵を描き、その後、花と長いリボンのついた帽子の絵を描き、可愛いピンクのバッグの絵を描く予定でいて、絵の題材(を売っている店)の目星もつけているらしい。
ナターシャの芸術的才能を伸ばすために、氷河が それらをナターシャに ぽんぽんと買い与えてしまうことを、瞬は懸念していたのだが、それは ともかく。

スケッチブックに黄色やオレンジ色のヒマワリの花が咲いていく様を眺めていた瞬に、いつも公園で群れていた母親6人のグループが、瞬に声を掛けてきたのである。
彼女等は まず、瞬たちが着いていた木のテーブルの前に、無言で ずらりと並んで立った。
それから、中のリーダー格らしい女性が、
「時々、こちらでお見掛けしますね。娘さんは、何の習い事をなさってるの? ピアノ? 英会話? 水泳? バレエ?」
と尋ねてきた。
「は?」

本音を言うと、瞬は、彼女が なぜ そんなことを尋ねてきたのか、彼女の質問の意図が 咄嗟に理解できなかったのである。
彼女の質問は とにかく、不躾、無遠慮と言っていいほど唐突にすぎるものだったから。
とはいえ 瞬は、アテナの聖闘士の中では突出したコミュニケーション能力を誇る、ある意味 異質な聖闘士。
なぜ そんなことを尋ねてくるのかと問い返すと 角が立ちそうだと判断し(つまり、空気を読んで)、
「いえ、うちの娘は そういった習い事は何も……」
と、事実を答えることだけをした。

答えてから、彼女の不躾な問いかけは、子供同士の共通の話題を求めてのことだったのかもしれないと、おぼろげに推測する。
子供たちが同じ習い事をしていれば、それを端緒に、子供同士、親同士で交流を持つことができるだろう。
彼女は そうなることを期待していたのかもしれないと、瞬は考えたのである。
しかし、彼女の質問意図は、そういう 穏やかで和やかなものではなかったようだった。

「何も?」
質問者が、まるで それが悪いことであるかのような声をあげる。
非難の響きが あからさまだったので、瞬は、戸惑いを余儀なくされた。
そんな瞬に、次の質問。
「ご主人は お仕事は何をなさっているの」
瞬は 今度は、その質問に答える前に、質問意図を推し量ることができた。
彼女は おそらく、ナターシャの父――昼間 いつも娘と一緒にいる父親――いつも娘と一緒にいられる父親――の立場と境遇を奇異に思い、不審に思っているのだろう。
自分の子供が遊んでいる公園に不審人物がいたら、それは母親として 心配せずにはいられないものなのかもしれない。
そう、瞬は考えたのである。
彼女等の中には、“普通の父親”は昼間は会社にいるもの――という思い込みがあるのだ。

だから、瞬は、“仕事”というものは 昼間のオフィスだけにあるものではないという事実を知らせて、彼女等の懸念を晴らしてやろうとした。
「娘の父の仕事でしたら、バーテンダーです。夜間の仕事なので、日中 娘と一緒にいることができるんです。僕は勤務時間が不規則なので、毎日 一緒に公園に来ることはできないんですけど」

「ま」
6人の母親たちは、瞬の説明を聞くと、そわそわした様子になって、互いに顔を見合わせ出した。
彼女等は、視線で何事かを語り合っているようなのだが、瞬には 当然、その会話の内容は聞き取れない。
それゆえ 瞬は、自分は何か おかしなことを言ってしまったのかと訝った――案じた。
が、彼女等は 瞬の説明の どこが おかしかったのかを、瞬に教えてはくれなかった。
質問の意図を説明することなく、その回答に対するコメントを付することもなく、
「お邪魔して ごめんなさい」
とだけ言って、瞬とナターシャがいた東屋から そそくさと立ち去る。
彼女等は そして、東屋から 少し離れたところで 頭を突き合わせて 何やらディスカッションを始めた。

『水商売』『共働き』といった言葉が漏れ聞こえてくる。
『底辺』『下流』という言葉が聞こえてきた時、瞬は、彼女等の質問の意図を やっと把握することができたのである。
彼女等は、瞬の家のレベルを査定するために、“ナターシャのマーマ”に声を掛けてきたのだ。
「でも、あの子、その割にいい服を着ているわ」
「そういうの、教養レベルが低い家にありがち。経済観念が狂ってて、お金の投資先を間違えているのね。子供の教育を軽視して、外見だけ飾って、見えを張ろうとしているわけ。下流の家に よくあるパターンよ」
「経済力も教養もない、見た目だけの二人が無計画に子供を作って、底辺の人間を再生産しているのよ」
「近付かない方がいいわ」
彼女等の会話が聞こえてくるのは、瞬が聖闘士の耳を持っているからではなく、彼女等の声の音量が 実際に増してきているから。
彼女等は、わざと瞬に聞こえるように話しているようだった。

彼女等の価値観、彼女等の判断基準、彼女等の論理――むしろ倫理――が、瞬には まるで理解できなかったのである。
他人の家の内情を探り、ごく限られた情報で 勝手にランク付けをし、交際するかどうかを決める。
その行為自体を完全に非合理だとは思わないが、その判断基準に 子供もしくは親の人間性という要素が含まれていない点が、瞬には 考えられないことだった。
それゆえ 瞬は、たった今 起こった出来事の意味を理解するのに、かなりの時間を要したのである。
理解して、呆然とした。

「あの おばちゃんたち、いつもパパとナターシャのこと見てるンダヨ。パパが かっこいいから、ナターシャが羨ましいンダネ」
「あ……うん、そうだね」
「でも、パパは ナターシャとマーマのパパだから、誰にもあげない」
大人である母親たちの考えや言動より、ナターシャの考えの方が 容易に理解でき 同感できる自分は、大人より子供に近い人間なのだろうか。
瞬は、胸中で ひそかに溜め息をつき、そう思った。
そして、ママ友なるコミュニティに、自分は近付かない方がよさそうだと、しみじみ思ったのである。






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