遊び相手というのなら、ナターシャには氷河がいる。 子供同士の交流が必要というのなら、紫龍の家の翔龍がいる。 瞬は、公園のママ友コミュニティに入る必要性を、全く感じていなかった。 瞬には――ナターシャのマーマには――それは必要なものではなかったのである。 だが、世の中には、それが必要な母子もいるようだった。 それから1週間ほどが経った ある日。瞬がナターシャと連れ立って公園に入っていった際。 見るからに内気で大人しそうな女性に、 「あの……ナターシャちゃんに、うちの娘と遊んでいただくことはできないでしょうか」 と、おずおずと申し出られた時、ママ友なるコミュニティに属することが必要な母親もいるのだということに、瞬は 初めて思い至ったのである。 その女性は、ナターシャと同じ年頃の女の子の手を引いていた。 「娘は何も習い事をしていなくて、私はパート務めをしているんですが」 「あの……?」 それが 子供同士が公園で遊ぶのに必要な情報だろうかと、本音を言えば、瞬は思った。 その情報が名刺代わり。 相手に渡すのが 常識で礼儀と思っているのなら――思わされているのなら――彼女は この公園のママ友システムのルールに毒されている母親(犠牲者)の一人なのだろうとも思った。 が、瞬は思ったことを言葉にしてしまうことができなかったのである。 その名刺(情報)は、彼女と彼女の娘が 現在 置かれている状況を、極めて明瞭に瞬に知らせてくれるものだったから。 つまり 彼女は、この公園のママ友集団に“下流”“底辺”と見なされ、彼女等のコミュニティに入れてもらえなかった母親なのだ。 ママ友コミュニティに入れてもらえないと、彼女の娘は コミュニティ・メンバーの子供と遊んでもらえない。 この公園に、彼女の娘と遊んでくれる子供はいない。 だから、彼女は、おそらく 一人ぽっちの我が子のために 勇気を出して瞬に頼んできたのだろう。 ナターシャに、娘と遊んでほしいと。 その申し出が今日の日になったのは、今日はナターシャが氷河と一緒ではないから。 氷河がナターシャと共にいる時は、さすがに恐くて(?)彼女は勇気を奮い起こせなかったに違いない。 そんなふうな彼女の事情を察して――瞬は 彼女の申し出を拒むことができなかったのである。 「娘さんのお名前は、何とおっしゃるんですか」 瞬に問われると、彼女の顔は 一瞬 ぱっと明るく輝いた。 その後、安堵の気配が 全身に にじんでくる。 「スミレと言います」 「スミレちゃん? 可愛いお名前ですね」 春の訪れを ひそやかに、だが 力強く告げる可憐な花。 スミレの花を、ナターシャは見たことがない。 次の春には見せてやろう。 そう考えながら、瞬は、スミレの花のように 顔を俯かせている少女の前に しゃがみこみ、その顔を覗き込んだ。 「スミレちゃんは、どんな遊びが好きなの?」 「あやとり!」 彼女がスミレの花のように 顔を俯かせていたのは、自分の名と同じ花に倣ってのことではなく、母親の態度や心情に影響されてのことだったらしい。 瞬の親しげな様子を見てとると、スミレちゃんは 思いがけず はっきりと躊躇のない声で、彼女の好む遊びを答えてきた。 今時、なかなか新鮮。 趣があり、実に ゆかしい遊戯である。 彼女が その遊戯を好むのは、もしかしたら 一人遊びができるから――なのだろうか? 瞬が微笑み頷くと、スミレちゃんの前にしゃがんでいた瞬の背中に、ナターシャが抱きついてきた。 「マーマ、あやとりってナニー?」 「輪になっている紐で、いろんな形を作る遊びだよ。ハシゴやカニさんや東京タワー」 「スミレちゃん、できるー?」 ナターシャのスキンシップは、“マーマ”を よその子に取られまいとして、自分の所有権を示すための行動なのかと 瞬は疑ったのだが、そうではなく――ナターシャは単に、すぐそこに 抱きつきやすいものがあったから抱きつかずにいられなかっただけだったらしい。 ナターシャは、“よその子”に敵意を示すことなく、物怖じした様子も見せずに、スミレちゃんに声を掛けた。 「うん」 スミレちゃんが、持参の あやとり紐を素早く取り出して、ナターシャの前で器用に東京タワーを作ってみせる。 「東京タワーだよ」 「スゴイー。フシギー」 スミレちゃんの鮮やかな手並みに、ナターシャが目を見はる。 瞬の背中から離れて、スミレちゃんの側に行き、彼女の作った東京タワーを間近で見て、ナターシャは歓声をあげた。 氷河は そういう遊びはしない。 瞬も、さすがに あやとりを教えたことはなかったので、一本の紐が様々な形に姿を変えるスミレちゃんの技は、ナターシャの目には驚異的な至芸に映ったようだった。 「あやとりは、一人でも遊べるけど、二人で かわりばんこに取って、遊ぶこともできるんだよ」 「ナターシャにもデキルー !? スミレちゃん、教えてクレルー?」 「うん。いつも母さんとやってるから」 ナターシャは、氷河の愛情を ふんだんに受けて、明るく快活。 そして 華やかな少女である。 そんなナターシャに教えを乞われることが、スミレちゃんは嬉しかったらしい。 そして、少し得意な気持ちにもなったらしい。 公園の東屋に移動して、二人の少女は あやとりの特訓を開始。 熱心な教師の指導を受けた熱心な生徒は、次々に高難度な技を習得していったのである。 「スミレちゃん、ほんとに色々 知ってるね。ホウキも作れるんだ」 「うん。母さんに教えてもらったの」 「ナターシャちゃん、そういえば 本物のホウキを見たことあったっけ?」 「ナターシャ、知ってるヨ。ホウキ星のホウキダヨー」 「そう、ホウキ星のホウキ。ナターシャちゃん、よく知ってたね」 「パパに教えてもらったのー」 二人の少女たちは楽しそうだった。 そんな二人を見ているスミレちゃんのお母さんは嬉しそうだった。 瞬も もちろん。 件の“上流”のママ友集団が ちらちらと自分たちの方に視線を投げていることには気付いていたのだが、瞬は素知らぬ振りをしていたのである。 瞬には そんなことは、ナターシャとスミレちゃんが楽しそうなこと、スミレちゃんのお母さんが嬉しそうにしていることほど重大なことではなかったから。 |