「そこの金髪! 無神経で我儘で、大馬鹿で、超ド阿呆のキグナス氷河!」
氷河が 一度だけ会って終わりのはずだった効率重視女子に呼びとめられたのは、長年の夢が砕け散ったせいで“やる気 出ない病”を再発した氷河が、聖闘士志願の子供たちの指導をさぼり、闘技場の裏手の石段の上で昼寝をしていた時だった。
こういう時、人に ずぼらで いい加減な男と思われていることは 好都合である。
ずぼら組の氷河や星矢に責任ある仕事を一人で任せるのは危険だということが わかっている聖域の大人たちは、必ず 彼等を 責任感のある勤勉組の瞬や紫龍と組ませて仕事をさせようとする。
おかげで氷河は、今日も 瞬一人に仕事を任せて、自分は のんびり さぼっていられるのだった。

「おまえは……」
「あんたに おまえ呼ばわりされる筋合いはないよ! この超ド阿呆!」
効率重視女子は、先日にも増して粗野粗暴。むしろ凶暴。
“超ド阿呆”とは、一輝より口が悪い。
その上、効率重視女子の全身を包んでいるのは、一輝より攻撃的な小宇宙。
この女が あの優しい手紙を書いた人間だということが、氷河には やはり どうしても信じられなかった。
その攻撃的な効率重視女子が、仮面をつけていても眉を吊り上げていることがわかる声音で、氷河を怒鳴りつけてくる。

「超のつくド阿呆を許すにも、限界ってもんがあるんだよ! 超ド阿呆のあんたには、そんなこともわからないのかい! なんで 瞬は、あんたみたいなド阿呆のことを気遣い続けるんだ! ド阿呆なんて 放っときゃいいのに、いちいちド阿呆のド阿呆振りに落ち込んで、そのうち、瞬にまでド阿呆が移っちまうんじゃないかと、あたしは心配でならないよ!」
効率重視女子は、今日も無駄が嫌いらしい。
彼女は、一度も息つぎをせずに、氷河の前で一気に『ド阿呆』を7回も繰り返してくれた。

「瞬が また沈んでるから、訳を聞き出したら、あんた、あの手紙を書いたのが瞬だったらよかったなんて、ド阿呆なことを瞬に言ってくれたんだって !? ふざけるんじゃないよ! 瞬がどれだけ必死に励ましても 聞く耳 持たなかったのは、あんたの方だろ! 自分じゃ あんたの力になれないって気落ちして、それでも あんたに元気になってほしかったから、瞬は あの手紙を出すことを思いついたんだよ! それを、今更 瞬だったらよかったなんて、どの口で言ってくれたんだい、このド阿呆が!」

口は悪い。
所作も粗野粗暴。
およそ マーマのイメージとは ほど遠い攻撃性。
だが、彼女は、氷河に 極めて貴重かつ重要な情報を提供してくれた。
すなわち、あの手紙を出すことを思いついたのは瞬だった――という、途轍もなく重大な情報を。

「瞬が、あの手紙を思いついた……? あの手紙を書いたのは、貴様じゃなかったのか?」
「あたしが 何で、あんたを励ます手紙なんか書かなきゃならないんだよ! ちょっと考えたら、んなこと あり得ないって、わかりそうなもんだろ! あたしは、瞬に頼まれたんだよ。あんたを励ます手紙を書き続けてたのは、あたしだったってことにして、あんたと一度だけ会ってくれって。一度 会えば、あんたも気が済むだろうって」
「……」

確かに、この6年間、氷河が受け取ってきた手紙の内容は、いかにも瞬が書きそうなものだった。
そして、瞬のように、いつも仲間の身を案じ 見守っている人間にしか書けないような手紙だった。
文字も マーマのそれに似ていたが、瞬が文字を教わった最初の先生は 氷河の母だったのだから、それも道理。
氷河が 手紙の差出人を 瞬に似た少女だろうと思ったのは、至極 妥当なものだったのだ。
しかし――では、なぜ 瞬が書いた手紙が瞬のいるところに届いたのだろう。

フクロウ郵便は、手紙を託したフクロウを、手紙の差出人が自分の手で 直接 空に放たなければならない。
ある人間の手紙を、他の人間がフロクウに託すことは許されない。
フクロウは その偽りを見抜く。
そのルールを考えれば、それは不可能なことなのだ。

氷河が あの手紙を受け取る時、瞬は大抵 氷河と一緒にいた。
瞬が どこかでフクロウに手紙を託し 空に放てば、瞬は そこからフクロウより先に氷河のいる場所に来なければならないというのに。
「俺は、瞬のいるところで、あの手紙を受け取った……」
手紙の差出人が瞬でないことを訴えるためではなく、手紙の差出人が瞬である からくりを説明してほしくて、氷河は効率重視女子に 呟いたのである。
なにか フクロウ郵便のルールの抜け道があるのなら、それを教えてほしくて。
瞬が あの手紙の差出人であってほしかったから。
効率重視女子は、氷河の望みを叶えてくれた。

「瞬は頭がいいんだよ。手紙を二通、一度にフクロウに頼めばいいのさ。最初の一通目は、聖域の子供の指導員に陳情や質問の手紙を出す。もちろん、フクロウには届ける順番を きっちり指示する。手紙を受け取った人間は、届けられた手紙に間違いがないことを確かめるために、しばらく フクロウを その場に待たせておくからね。フクロウが一通目の手紙を届けているうちに、瞬はあんたのいるところに行くんだ。10歳にもなっていなかった頃に、瞬は その方法を思いついた。瞬は、ド阿呆のあんたと違って 賢いからね」
「……」
いちいち嫌味たらしい効率重視女子の言い草は 気に障ったが、氷河には 彼女の発言を否定することはできなかった。
それは紛うことない事実。
そして、事実は事実であるがゆえに変え難く、動かし難い。

「だが、なぜ瞬当人が直接……」
その疑念を口にしてから、効率重視女子からの返事を聞く前に、それがド阿呆な疑念だということに、氷河は思い至った。
氷河が思った通りの答えが、効率重視女子から返ってくる。
「だから! 瞬がいくら元気出せって言っても、あんたは聞かなかったんだろ! 瞬が あんたのマーマじゃなかったから!」
「……」

その通りだった。
幼く 小さかった瞬の必死の慰撫も鼓舞も、幼い頃からド阿呆だった氷河は 全く聞こうとしなかったのだ。
瞬がマーマではなかったから。
それがマーマの慰撫でも鼓舞でもなかったから、幼い氷河には、瞬の慰撫や鼓舞は どんな価値も力もないものだったのだ。
氷河は、幼い頃の自分の軽率を、無情を、無慈悲を、痛いほどに悔やんだ。

その無慈悲無情は、優しく繊細だった瞬の心を どれほど傷付けたことだろう。
だというのに、瞬は、ド阿呆の仲間のために 懸命に心を砕いてくれたのだ。
そして、ド阿呆のために、6年間、優しい手紙を綴り続けてくれた――。

氷河は もちろん、自身の軽率と無慈悲を深く悔やんだ。
深く反省した。
反省したのだが、今は それよりも。
「つまり、俺が恋したのは瞬だったんだ……」
ということの方が、はるかに重要なことだったのである。今の氷河には。
氷河の呟きを聞いた効率重視女子が、氷河の尻に蹴りを入れてくる。

「言っとくけど、瞬は あたしの顔を知ってるからね!」
「なに……?」
「あんなに可愛くて、優しくて、賢くて、強い子を、他の誰かに渡すなんて、ド阿呆のすることだろ! あたしは、あんたと違って、阿呆じゃないんだよ!」
「……瞬が望んだわけでもないのに、貴様は 無理矢理、その凶悪な顔を瞬に見せたんだろう。瞬は 当然、貴様のような凶暴な女を愛し返すことなどできない。ああ、だから 瞬は ここのところずっと、沈んだ様子でいたんだな。かわいそうに……」
「どういう意味だよ! このド阿呆!」
「どういう意味も、こういう意味もない。言葉通りだ」
「なんだとぉーっ !! 」

効率重視女子は、怒りの小宇宙を爆発させ、地上の平和を守る同志である氷河に 更なる攻撃を加えてきた。
仮面をつけている女子は、女を捨てた存在。
それ以前に、恋敵に男も女もない。
氷河は、堂々と(?)効率重視女子の挑戦を受けて立ったのである。
あんなに可愛くて、優しくて、賢くて、強い瞬を、他の誰かに渡すなど、ド阿呆のすること。
氷河は、瞬の優しさに報いるためにも、ド阿呆でない男にならなければならなかったのだ。



「瞬。おまえも大変だな。人が好くて、変人たちの世話ばっかりしてるから、変なのにばっかり好かれるんだぞ」
「僕は氷河が元気になってくれれば、それで……。よかった、氷河が元気になってくれて」
「これって、そういう問題なのか?」
闘技場の裏で 青銅聖闘士が アテナに禁じられた私闘をしている――と聞いて、瞬と共に その場に駆けつけた星矢は、先に その場にやってきていた野次馬たちに私闘の内容を聞いて、思い切り呆れてしまったのである。

星矢は、呆れることしかできなかったのだ。
ついに マーマに代わる“誰か”を見付けた氷河の小宇宙が、あまりに強く、明るく、生き生きとしすぎていて。
愛のために戦う聖闘士、愛によって力を得た聖闘士の姿が、どう考えても、アテナの思い描く それとは違いすぎるような気がして。
ともあれ、“愛”が人を強くし、“愛”が人を生かすものであることは、紛う方なき事実のようだった。






Fin.






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