ウチの上の階の金髪のガイジンさん? もちろん、知ってるわよ。 このマンションで あの人を知らなかったらモグリでしょ。 普通にしてても目立つ風貌なのに、何か 独特の雰囲気があるし、イケメン――っていうか、綺麗だし。 すごい不愛想だけどね。 ええ、うん、そうなの。 彼、滅茶苦茶 不愛想よ。 凶悪なくらい不愛想。 私、最初のうち、彼は日本語が駄目なんだと思ってた。 エントランスで会った時とか、『こんにちは』って言っても、会釈を返してくるだけだったから。 『こんにちは』、会釈、『こんにちは』、会釈――を、3、4回 繰り返してるうちに、ほら、彼、やたらと いい男じゃない。 どうしても 声が聞きたくなって、何回目かに、『ハロー』って言ってみたの。 でも、やっぱり会釈を返してくるだけだったのよね。 そうなると、私も意地になっちゃって、その後も いろいろ試してみたわけ。 『ボンジュール』も『ボンジョルノ』も『グーテンターク』も試した。 『アロハ』も『ジャンボ』も『ナマステ』も『ニーハオ』も『スパシーボ』も試したわね。 え? 『スパシーボ』は『こんにちは』じゃない? そんな、硬いこと言うもんじゃないわよ。 ほんとなら 夕食の準備に取り掛からなきゃならない忙しい時間に、こうして ただで情報提供してあげてるんだから。 そう。そんなふうに、どれを試しても、会釈が返ってくるだけだった。 それで、彼は日本語ができないんじゃなく、耳や口の方が不自由な人なんだと思うようになって――あんなに いい男なのに勿体ないって、胸中密かに同情してたわけ。 でも、ほんとは ただ普通に不愛想なだけだったみたい。 ウチのマンション、エントランスのゲートを通り抜けて自分の部屋に行くには、ゲート脇のタッチモニターに4桁の暗証番号を入力してカードスキャンしなきゃならないんだけど、いつだったか、私、カードを忘れて外に出ちゃったことがあったのよ。 いつもいる警備員さんもいないし、どうしたらいいのかって、エントランスでおろおろしてたら、彼が、『カードをお忘れですか』って、声を掛けてくれたの。 ガイジンさんで、しかも あんなに若いのに、敬語。 日本語のイントネーションも、ガイジンさんのイントネーションじゃなくて、日本語で育った人のイントネーションだった。 私が何度も『こんにちは』をトライしてたのが よかったのね。 それで 彼、私の顔を憶えてくれてたみたいで、自分のカードで私をゲートの中に入れてくれたの。 おかげで、私は 自分の部屋に戻れた。 不愛想は不愛想だけど、親切な人よ。 そういえば、その敬語事件があったのも 真昼間だったわね。 近所のイタ飯屋の午後2時までのランチタイムの帰りだったから。 そうなの、あの人、日中は家にいるのよ。 で、夕方、どこかに出掛けていくの。 私、初めの頃は、彼は、モデルとか、そういう芸能関係の仕事をしてる人なんだろうって思ってた。 顔もスタイルもいいし、身のこなしなんかも 普通の人と違って、素早いっていうか、無駄がないっていうか、隙がないっていうか、とにかく いちいち決まってるから。 でも、そういう仕事なら、毎日 決まって 夕方 定刻に出掛けていくのは変じゃない? まるっきり不規則な方が、まだ わかる。 となれば、考えられるのは 夜のお仕事。 夜の仕事で、あの見た目っていったら、これはもうホストしかないわよね。 それなら、一応 接客業だし、敬語ができるのも納得がいく。 あ、私には、水商売してる人への偏見はないわよ。 うん。でも、彼、ホストにしちゃ不愛想すぎるわよね。 ホストって、仕事中じゃない時はあんなもんなのかしら。 でも まあ、親切は親切だし。 そういえば、以前、ウチの子が風邪をひいて病院に連れていった時、彼が 病院の庭で、病院の建物を じっと見上げてるのに 出くわしたことがあるわよ。 そうそう。すぐ そこの 光が丘病院。 病院の建物の中に入っていくでもないし、彼自身は具合い悪そうでもなかったし、だから私、家族か恋人が入院しているんだと思ったのよ。 きっと すごい難病で、植物人間状態になってて、彼は その治療費を稼ぐために水商売してるんだって。 あんなふうに切なげに見てるとこをみると、難病患者は、どう考えたって恋人よね。 そういうドラマチックなのが、似合う男だもの。 気の毒だけど、こっそり素敵――とか思っちゃった。 それから何日か経った頃よ。 突然 彼のうちに小さな女の子がやってきて、彼と 一緒に暮らすようになったのは。 4歳くらいかしらね。 その子が、何と、あのイケメンさんを『パパ』って呼んでるじゃない。 彼氏、なんと 子持ちだったのよ、子持ち。 イメージじゃなかったから、滅茶苦茶びっくりしちゃった。 だって、ねえ。 彼、いい男だけど、近寄り難いところがあるじゃない。 彼に迫られたら、大抵の女の人は 落ちるでしょうけど、普通の女子は 自分の方から彼に近付いてく勇気は持てないと思うのよね。 恋人はいても、奥さんがいるようには見えない。 平凡な家庭の中に収まるタイプじゃないでしょ、どっから何をどう見たって。 ドラマチックな恋をして、でも、絶対に、結婚して めでたしめでたしのハッピーエンドにはならないタイプ。 てことは、彼は未婚のパパよ。 考えられるのは、病院に入院してたのは 彼の恋人で、あの女の子は その恋人の忘れ形見――ってパターン。 でも、その女の子、彼に似てないのよ。可愛い子なんだけど、似てない。 十中八九、あの女の子と彼は血が繋がってない。 まあ、さすがに、『もしかして 血の繫がってない娘さんですか』なんて訊けないから、確かめたことはないけど。 んー、白状しちゃうとね。 血の繫がった親子には見えないから、彼、あの女の子を誘拐してきたんじゃないかと疑ったこともあるの。 もちろん、不治の病に侵された恋人の治療費捻出のためよ。 平凡な家庭の中には収まりそうにはないけど、彼、そういうことは しそうな雰囲気あるじゃない。 恋人のために罪を犯して、人生の破滅に向かって まっしぐら。 きっと、誘拐してきた子供の身代金で、恋人の高額な治療費を手に入れようとしたのよ。 けど、いつまで経っても 身代金の受け渡しをする気配はないし、女の子は ずっと一緒に暮らしてるし、彼のこと『パパ』って呼び続けてるし。 となると、もう、あれしかないでしょ。 あれよ、あれ。 ロ、リ、コ、ン。 小さな女の子にしか興味を持てなくて、無抵抗の子供に悪さをするアブない人。 それなら、あんなにイケメンで、その気になれば 女なんて よりどりみどりなのに、女出入りが全くなかったことにも 説明がつく。 あ、私が こんなこと言ったなんて、彼には言わないでね。 ううん、誰にも言わないで。 ロリコンだろうが、誘拐犯だろうが、彼、私には親切にしてくれたし、そんな人のこと、あれこれ言うのって、気が引けるから。 ねえ、あなた、興信所の人? 刑事とかじゃないわよね。刑事なら、最初に警察手帳を見せるのが お約束よね? ドラマと現実は違うのかしら。 サラ金の取り立てとか? 彼、恋人の治療費を そういうとこで借りちゃったの? 気の毒だとは思うけど、いやあよ、このマンションの周りを、そんな サラ金の取り立て屋なんかが うろついてるなんて。 え? 私の言ってること、そんなに支離滅裂だった? そうかなあ。 すごく理路整然としてたと思うけど。 で? あなた、興信所の調査員なの? それとも刑事なの? |