結局、紫龍は、天津飯、フカヒレラーメン、アワビのオイスターソース煮込み、甕出し紹興酒を飲めるだけ、デザートにタピオカ入りココナッツミルク、一輝一人分で〆て 21600円を奢らさせられてしまった。
奢らされること自体は構わないし、金額の多寡に こだわるわけでもない。
ただ、あの流れで、なぜ自分が 瞬の兄のやけ食いの代価を支払わなければならないのかが 納得できない。
すべての元凶は氷河なのだから、一輝のやけ食いの代価を支払うべきは氷河ではないのか。

翌日、紫龍が 氷河と瞬のマンションに向かったのは、せめて その理不尽への文句を氷河に ぶつけたいと思ったからだった。
そこに星矢がついてくるのは、普通に おやつ狙い。
瞬の部屋の客間のテーブルに出された、うさぎ屋のうさぎ饅頭と虎屋の栗蒸し羊羹。
お茶は宇治産の薄茶。
星矢は、満足至極のていだった。
紫龍の方は、文句を言いに来た相手が ナターシャとお昼寝中だったため、思い切り 気勢を殺がれてしまったのだが。
しかも。
氷河に文句を言いにきた紫龍(と星矢)は、逆に瞬から相談事(?)を持ちかけられてしまったのだ。

「最近、怪しい人が、僕たちのことを 嗅ぎまわっているみたいなんだ。顔の無い者たちの組織が ナターシャちゃんのことを探っているんじゃないかと、心配してるんだけど……。星矢、紫龍、何か聞いてない?」
「怪しい人?」
「うん。僕に その人のことを教えてくれた人たちは みんな、口を揃えて、すごく怪しくて、見るからに怪しくて、怪しいとしか言いようがないくらい怪しい人だったって言ってた。そんな人、顔の無い者以外に心当たりがないから……」
「――」

『それはお前の兄だ』と言うこともできず、星矢と紫龍は 顔を引きつらせた。
それを、事態を深く真剣に案じるがゆえの引きつりと思い違いをしたらしい瞬が、瞳に浮かんでいた憂いの色を 更に濃くする。
「デスマスクの時も、顔の無い者の組織は、どこからかナターシャちゃんの居場所を探り当てて、攻撃を仕掛けてきたでしょう。何か、小宇宙とは違う、居場所がわかるような力がナターシャちゃんから発せられてるんじゃないかって……」
「え……あ……いや、それは……」
虚ろな笑い声が 喉の奥から漏れ出てきそうになって、紫龍は 慌てて ごくりと それを飲み込んだ。
星矢は、お茶で、それを喉の奥に押し戻す。

「氷河は、ナターシャちゃんが可愛いから 誘拐犯に目を付けられたんじゃないかって、ぴりぴりしてて……氷河が あんなふうだと、ナターシャちゃんにも よくない影響を及ぼすんじゃないかと、案じてるの」
「ん……まあ、そりゃあ、親が神経 高ぶらせてるのって、よくないよなぁ」
「その怪しい人、蘭子さんのところにまで 行ったそうなんだ。マンションの人たちも、皆さん、気を付けてねって おっしゃって下さって、交番にパトロールの強化を頼んでくださった方もいらして――」
何か言いたげに ウサギのように口をもぐもぐさせる紫龍の隣りで、星矢が うさぎ饅頭を口に頬張って、余計なことを言いそうになる自分を抑えている。

「その怪しい人、まるでマフィアか殺し屋みたいだったんだって。マフィアや殺し屋だったら どうとでもなるけど、顔の無い者だったとしても どうとでもなるけど、何かが起きる前に未然に防ぐのが、最善だから」
瞬は 本当に本気で 事態を憂えているのだろうか。
あまりに瞬に余裕がありすぎて、マフィアや殺し屋や顔の無い者が 気の毒になるほどである。
瞬に軽く『どうとでもなる』と断定された一連の人々に、星矢と紫龍は胸中 密かに同情した。

「うん、まあ、気をつけとくよ。バルゴの瞬に刃向かうなんて、フツーに馬鹿のすることだから、大丈夫だと思うけど……」
この地上世界に 一輝と氷河以上の馬鹿はいないだろう。
万が一 いたとしても、そんな馬鹿は瞬の敵にもなれまい。
「ナターシャちゃんは歳の割にしっかりしてるけど、氷河は何をするかわからないから、心配事が絶えなくて……」
「おまえも大変だな」
「ううん。こっちこそ、ごめんね。面倒をかけて。でも、僕、ナターシャちゃんを守らなきゃならないんだ。何があっても」
「ああ。わかっている。俺たちも、可能な限り 力になるから、何かあったら 遠慮せずに言ってくれ」

全く納得できない理由で 食事を奢らされ、文句を言いにきた先では 逆に頼まれ事。
そんな理不尽な状況に置かれても、紫龍は 笑みを浮かべなければならないのだ。
彼は、バルゴの瞬に刃向かうような馬鹿ではないから。
人生というものは、普通に利巧な人間が 最も生きづらいようにできているのかもしれなかった。






Fin.






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